第16話 お互いの希望
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夜も更けてきた。
照光と白心の寝室として一階の和室が充てられ、そこの先住民であるハムスターと一緒に寝ることとなった。
白心のパジャマは愛歩がその場で見繕ってくれた。ものの五分と経たずに白猫のように可愛らしいパジャマができてさすが『手芸』のジーニアスだと思ったが、どうやらスリーサイズの目測が大きく外れていたようで、腹はブカブカで胸と腰がパツンパツンと思わぬ形で白心のグラマラスさを見せつけられることとなった(鼻血はなんとか耐えた)。
食器を片付けて愛歩と白心は布団の準備をしてくれた。その間照光は作業の邪魔になると言われて修善と修福の遊び相手となっていた。何もさせなかったのは何かの拍子で義肢が白心にバレないための城ヶ崎家の配慮だと分かっていただけに、すでにバレてしまっていることが非常に申し訳なかった。
照光と白心はもう布団の中に入っている。当然入ったばかりだからまだ起きてはいるが、
「…………」
「…………」
会話はない。電車の中の時と同じようにお互い非常に気まずそうだった。照光は義体を見られた負い目と裸を見た恥ずかしさ、白心は二度目の頭突きと拒絶されたつらさが原因だろう。
照光は己の不甲斐なさに歯噛みした。理解しようとするくせに理解されるのを拒絶することがどれほど虫がいい話かに気づいていたからだ。
だが何も理解されるのを拒むのは人間嫌いとか人が怖いとかそんなちゃちな理由ではなく、それ相応の理由があった。
照光は今まで何度か仕事で義体を見られる場面があった。そしてそれに気づいて『理解した』者の向けてくる目はどれも一様のものだった。
侮蔑。憐憫。畏怖。
義体を知った城ヶ崎兄弟ですら一瞬そんな目をしたのだ。だったら出会って間もない白心もそうなると考えるのが自然だ。照光はそんな目を白心にだけは向けられたくはなかったのだ。
——口ではああ言ってたけど、実際は俺のことを憐れんでんだろうな。
戦兵衛と戦っている時は恐れることもないと思っていたが、やはり怖いものは怖い。人の心を叩き潰して挽き砕くあの目が怖い。
首をひねって白心の方を見る。改蔵たちのいらない気遣いですぐ隣になるように敷かれたのだが、どうやら顔を見るのも嫌なようでずっと背を向けてられていた。
——あの時、こいつはどんな目で俺を見てたのかな。
照光は風呂場での出来事を思い出してまた鼻血を噴き出しそうになっていると、
「どうしてなの?」
不意に声をかけられ体が躍りそうになった。
「ねえ、どうして?」
なぜいつも前触れなく話しかけるのだろうかと思っても、白心はお構いなく続ける。
「どうしてあなたは、私を拒絶するの? それだけじゃない。どうしてそんなに、つらそうな顔をして、拒絶するの?」
「お前にだけは、知られたくなかったんだ」
「私は知りたい」
白心がくるんとアザラシのように寝転がると、お互いの目が合うような状態になり慌ててそれを逸らした。
「あなたは私を、見てくれた。人形としてでも、実験体としてでもなく、『聖母の愛』の、フィルターも通さずに、一人の人間として、見てくれた」
「それがなんだよ」
「その恩返しがしたい。だからあなたを、教えて」
「知られたくないって言ってんだろ。お前はただ笑えるようになればいいんだよ」
「私は人形じゃない」
その言葉は戦兵衛の刃よりも周囲の視線よりも、何よりも深く照光の心に突き刺さった。
「笑う意味も知らないまま、笑い方を知っても、それは表情筋のある、ただの人形よ。私は、笑うことのできる、人間になりたいの」
「ッ……」
「笑うだけなら、誰だってできるわ。こうやって口の、両端に指をかけて、持ち上げれば私だって、できるんですもの」
白心は無表情の口に指をかけ、びよーん、と擬音が聞こえそうなほど大きく持ち上げた。
それは笑顔と呼ぶにはあまりにも目が無色だった。だがあの俗世とは無縁そうな美しい白で象られた白心の顔が年相応の少女のあどけなさに彩られ、逆にこっちが笑ってしまった。
「ひゃっほ、わはっへふへは」
「!」
白心は指を離していつも通りの無表情に戻す。
「私はきっと、あなたを笑わせるために、生まれたのでしょうね。お互いを希望として、あなたが私を、笑わせようとするのだから、そうに違いないわ」
「そう、なのか?」
「そうよ。現にさっきの笑顔は、あなたが初めて、笑わされたことで、浮かべた笑顔じゃない? 今まで以上に、自然なものだと、感じたわ」
「…………」
たしかにその通りだ。照光の記憶では自分から笑っても心から笑ったことはない。どれもこれも自我の崩壊を防ぐための補強材としてだった。だが、今のは心から面白いと思ってのものだった。
だとしたら————
「だとしたら俺は、お前を笑わせるために生まれたのかな?」
「ということに、なるでしょうね」
「……ニシ。ニシシシシシ」
「どうした、の?」
全無能である自分が笑い笑わせる関係を築けるとは夢にも思わず、ついつい口元が綻びる。照れ隠しのように白心の頭を乱雑に撫で回すと、白心が若干迷惑そうな無表情になったがまんざらでもなさそうだった。
運命、という言葉は自分には無縁だと……強いて言うなら、世界中の誰からも蔑まされる中でひっそりと死んでいくのが自分の運命だと思っていた。
だが、この出逢いのことをきっと運命だと言うのだろう。笑いたいと願う少女と空っぽに笑い続ける少年。その二人が巡り逢って少女が少年に真の笑顔を教えたのだから、それを運命と言わずしてなんと言う。
その相手となってくれた感謝を込めて心からの笑顔を浮かべる。ぷいっ、と照れ臭そうに顔を逸らした白心がなんだかいじらしく撫でる手を優しいものにした。
この娘を護って、そして絶対に笑わせよう。胸の奥でそう誓った。
とろん、と気持ち良さそうにまなじりを下げた白心が、自分の頭を撫でる照光の腕に手を伸ばしてゆっくりと添えた。今度はそれを振り払ったりしなかった。
「あなたの腕は、こんなにも力強く温かい。それを恥じる理由なんて、一つもないわ」
「ニシシ、ありがとう」
「でも、そんなあなたでも、あなたを教えなければ、笑わせることはできない。そして、私は笑えるようになって、あなたに恩返しがしたい」
「ああ、そういうことだったのか」
本題を思い出して何度も相槌を打つ。
照光は自分のことを教えたくない。白心は笑わせる人を知らないと笑えない。照光は白心の笑顔が見たい。でも照光は自分のことを教えたくない。
この堂々巡りを断ち切るにはどこかで誰かが妥協しなければない。そして照光は白心の笑顔のためなら自分のことなどどうでも良かった。
故に、迷う必要はなかった。
「じゃあ、俺の話を聞いてくれるか?」
「ぜひお願いするわ」
ニシシ、と笑った照光はカラカラとハムスターが回し車を回す音をBGMに自分の過去について語り始めた。
白心と同じように人と見られることのなかった、孤独の過去を。




