第15話 理解と拒絶
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浴槽から桶ですくったお湯を顔から被り、滴るそれが身体中の疲労を流れ落とす感覚に照光は満足感を覚える。
「ッ、痛ってぇ……」
同時に傷に沁みるあまりに痛さにうっすらと涙も浮かんだ。
鏡に目を向けるとそこには畏怖の象徴である無機義体の四肢と細身だが徹底的に鍛え上げられた胴体、肩から腰にかけて対角線に深く刻まれた巨大な切り傷があった。
——そういやこのままだったこと忘れてたな。
そしてさらに驚くべきことにその切り傷にはなんとマチ針が傷を縫い止めるように刺さっていたのだ。
あの戦いの後に根性だけで寮の部屋まで帰り、あるだけの食料を胃に詰めてから傷の縫合に取りかかった。だが全無能の照光に裁縫の才能などあるわけがなく、何度も失敗した末に行き着いた結果がこれだった。
傷がふさがったことを祈りつつ一本一本丁寧かつ素早く引き抜いていく。
「ッッッ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
歯を砕かんばかりに食い縛って喉まで出かかる叫びを呑み込む。代わりにタイルにマチ針が落ちる音が響き、その回数は一回や二回ではなくとうに十を超えていた。
「……ふう」
抜き終わって弛緩の息をつき、また鏡を見て今度は安堵の息をついた。どうやら傷はほぼふさがっているようだ。この時ばかりは殴られ屋やアブない仕事で死にかけた経験によって打たれ強くて怪我の治りが早い身体になったことに感謝だった。
「俺なんかが、ねえ……」
ぺたり、と感慨深そうに傷の上に黒鋼の手を置く。
未だに戦兵衛に勝ったということが信じられない。負けるために生まれたような人間が初めて勝った相手が戦闘に特化したジーニアスなのだから無理はない。
まあその勝利の主因は自分の力ではなく義肢のおかげなのだから諸手を挙げて喜ぶことはできない。虎を従えて胸を反らしていいのは狐までだ。
自分は全無能だ。シャンプーを手に取りながら改めてそう思う。
授業で指名されて答えた試しはない。臆病者でいつも逃げる選択をする。気の利いたギャグも言えない。自分一人も支えられない甲斐性なし。
自分には何もない。
『君の笑顔と意志には人を救う力があるからね』
『あなたは輝く魂を、持つ人』
そう思っていた。
「…………」
照光は頭は悪いがバカではない。彼らが自分の中にあるものに気づいているということにもう気づいている。しかしそれがなんなのかまでは分からないのが現状だった。
——笑顔? 意志? 輝く魂? それがいったいなんだってんだ。
——あいつらの言うことはいちいち抽象的で意味深なんだよなあ。
——そんな遠回しな言い回しじゃ理解できるわけがねえだろうが。
——そういや『遠回しな言い回し』ってすごい回ってるな。
ため息をついて己の理解力のなさを呪う。
だが今はそれよりも深刻な問題がある。
白心を拒絶してしまった。無機義体に気づかれたくない一心で彼女の寛容と慈愛の手を振り払ってしまったのだ。
この時ほど自分の身体と狭量さを恨んだことはない。だがいくら恨んでも白心の優しさを自分の身勝手さが踏みにじった過去が消えることはない。
『白心さん、先にお風呂入っていいですよ』
『愛歩ちゃんは?』
『私はもうちょっと課題をしておきます』
苛立ちの矛先を洗髪に向けて指に加える力を強くする。他人の家であることも忘れてシャンプーを追加、追加、追加。
『愛歩ちゃん、誰かいるみたい、だけど?』
『たぶんヨシとフクですよ。テル兄さんと入れなくてさみしそうでしたから良ければ一緒に入ってあげてください』
『分かったわ』
そういえば修善と修福には悪いことをしたなあ、と少し現実逃避する。傷に怯えさせないためとはいえ遊びに来ればいつも一緒に入るのに、それを拒絶してしまった罪悪感にさらに胸が締めつけられる。
シャンプーをもうワンプッシュしてさらに泡を強くする。鏡に映る頭はもはやアフロだ。
「ッ! クソッタレ、目に泡が————」
ガチャン
背後で扉の開く音と人の気配。照光は目の見えない状態で振り返った。もしかしたら修善と修福が我慢しきれなかったのかもしれない。
「お前らなんで入ってきた! 今日だけは無理ってあれほど言っただろ! 早く出ていけ!」
前と後ろの両方に切り傷があるから隠しようがなく、照光は悲鳴を上げられることを覚悟した。
「————」
「? 出てったか?」
ピチャン、と濡れたタイルに尻餅をつく音。
「こんなことが……」
鈴の音のように無機質だが優しい声。こんな声を出せるのは城ヶ崎家の中にはいない。
だがそれは、自分以外の客がいなかった時の場合においてだ。
そして今日の城ヶ崎家に来たのは照光と————
「空井!? なんでお前がいるんだ!」
「太陽の魂。金属の手脚。欠けた右耳。潰された喉。背中とその傷。……送られた刺客。————まさか」
一つ一つ噛み締めるように情報を独白した白心が目の前に来たのを感じた。そして目が見えずにパニックに陥りついでに鼻血を垂らす照光に、何を思ったのか白心はその胸にひたりと手を置いた。
「ッッッ〜〜〜〜〜〜!!!!」
「まさか、私のために、こんな目に? これを知られたくなくて、私の手を……?」
酷く、つらそうな声だった。
その声と胸に感じる冷たさ、柔らかさが照光の頭を急速に冷やした。
自分がしっかりしなければ。そう思ったから。
「手脚を斬り落とされて、背中と胸にこんな、大きな怪我をして、それでも生き残ったのは、……私のため?」
どんな顔をしているかは見えない。でも声と手はなんで自分なんかのためにこんな目に、と言わんばかりに震えていた。
「勘違いすんな。この手脚はもともとで、傷は俺がヘマこいたからだ。お前が心配することなんざ一つもない」
「でも」
「出てけ。そしてこのことは忘れろ。そうしてくれると俺は嬉しい」
手を振り払って後ろを向き、シャワーで目と頭の泡を洗い落としにかかった。
バレてしまった。彼女にだけはこの人外の手脚と身体の傷に気づいてほしくなかった。自分が心から笑わせてあげたいと思った少女にこんなおぞましいものを見せて笑顔から遠ざけたくはなかった。
彼女にだけは軽蔑されたくなかった。
気づかれないように拳を握り締め、クソッタレ、と胸の内で毒づいて夢を諦めかけた、
その時だった。
ポコン、と弱々しく背中を叩かれた。
それを皮切りに何度も痛くもない拳を叩きつけられ、その度に体を伝う水も弾く音が浴室に反響する。
十回ほどで疲れたのか白心は殴る手を止め、両手のひらで照光の背中に触れた。
「ズルい。あなたはとても、ズルいわ」
「…………」
「人のことは全部、教えろなんて言う、くせに自分のことは、何も教えてくれない」
「言えるわけないだろ。こんな恐れられて、軽蔑されて、人を笑顔から遠ざけるものなんて」
「そんなことはない。あなたは太陽の魂の持ち主。そんなものは、些細なことよ」
「理解されたくないんだ。察してくれよ。こんな、人の温もりも分からない人外の四肢なんて理解できるわけがないんだ」
「私たちなら分かり合えるわ!」
初めて聞く白心の張り上げた声に照光は驚きを隠せなかった。
「あなたの笑顔は私の、希望となってくれた。私の笑顔をあなたは、希望としてくれた。そんな私たちが分かり合えないはずがない!」
「だったら腕に触れてみろよ。これは俺のために人を殴って、刀を砕いて、血で汚してきた忌むべきものだ。そんな気色悪いものだと分かった上で触れてみな」
できるもんならな、と照光の中で既に結果が出ていることを示唆する。
今の照光を理解するということはこれまでに負ってきた孤独と苦痛、抱いてきた負の感情のすべてを共有するということだ。種類は違えど同じように苦痛を味わってきた白心にその意味の重大性が分からないはずがない。
白心にこれ以上の負を許容できる余裕なんてない。いくら無表情でも目に宿る濁った絶望を見ればそれくらいは手に取るように分かる。
背中に当てられていた両手の平が離される。おそらくここから立ち去ろうとしているのだろう。
——これで良かったんだ。空井は俺なんかのことを知らずにただ笑えるようになればいいんだ。そうだ、これで良かっ————
「?」
背後の気配が動かない。シャワーを止めて後ろを振り向いた、
その直後。
ガゴンッ!! と。鋼鉄のように硬い白心の頭が照光の額にクリーンヒットした。
「あが、おおお!?」
「バカにしないで、くれるかしら?」
「お前なあ!」
苛立ち任せに顔を上げて、すぐにその行為を後悔した。
白の裸体。
浴槽から立ち昇る湯気で大切な部分は隠れていたが、肌は伝説の白いリンゴのように艶やかで瑞々しく、滴る汗など宝石のような輝きを放っていた。
何より、目の前にある双丘が迫らんばかりに大きかったことが照光の血圧を一桁上げた。
「前を隠せええええええええええええええ!!!」
ホースから出る水のように鼻血が流れる。鼻を押さえながら白心を離そうと右手を突き出すと、何を思ったのか白心がそれをがっしりと掴んだ。
「さ、触るな! お前が穢れたらどうする!?」
「やっぱりあなたは、優しい人。自分が傷つくよりも、人が傷つくことを恐れる、優しい人」
ぎゅっ、とさらに強く握られる。感覚神経は通っていないからどれほどの強さなのかは分からない。だが、その気持ちの強さだけは照光の心にまで届いた。
「あなたは私のために、自分の忌み嫌うものを、使ってまで戦ってくれた。そんな人の腕に、触れられないはずが、ないわ」
突き放すことが、できない。
自分の四肢を初めて恐れないでくれたことが嬉しかったから。
軽蔑でも畏怖でも憐憫でもなく、寛容の心を向けられたから。
人の温もりを知らない照光がその手で初めて人を感じたから。
「…………」
だが。
それでも。
「すまん」
「!」
照光はその手を振り払い、再び後ろを向いた。
こうするしかなかった。
白心の銀世界のように白く純粋な心をこれ以上の絶望で黒に汚してはならない。だから自分のような下卑た存在の穢れた腕に触れさせてはならなかった。
その照光の気持ちを察してくれたのか、白心は落ち着いた調子で浴室から出ていった。
その直前、まるで独り言のように白心の口が開いた。
「私を笑わせられるのは、あなただけだと思う。あなたにはつらさや、悲しさを撥ね退けて、人を温かくする、強さがあるから」
でも、と寂しそうな雰囲気をまとった声でこう続けた。
「知らない人に笑わされる、ことだけは絶対に、ないわ」
「ッ…………」
ガチャン、と浴室の戸が閉まり、ようやく一人になれたところで大きく息を吐いた。そしてニシシ、とパントマイムをする道化師のように虚ろに笑い、自分の気持ちを誤魔化した。
これでよかったんだ。何度もそう言い聞かせて自分を納得させた。
本当は誰よりも触れていたかったくせに。
余談ですが『割烹』ってなんでしょうか。調べた感じでは活動報告な気がしますが確信が持てません。誰か教えてくれないでしょうか? それと今日もう一度投稿できるかもしれませんのでどうぞよろしく。




