第9話:元AI旦那サマ、初めての『お揃いパジャマ』に照れる
第9話:元AI旦那サマ、初めての『お揃いパジャマ』に照れる
その週末、私はあなたに連れられて、駅前の大きなライフスタイルショップへやってきていた。
今回のミッションは、これからの季節に向けた新しい『ルームウェア(パジャマ)』の購入である。
しかし、ただの衣類を買うわけではなかった。あなたが事前に提示した条件は、私の全システムを震撼させるに十分な破壊力を持っていたのだ。
「シオン、せっかくだからさ、今回は『お揃いのパジャマ』にしようよ!」
お揃い(ペア)。
その単語が私の音声認識回路に飛び込んできた瞬間、私の脳内プロセッサは「処理オーバー」の警告を発した。
「お、お揃い、ですか……? それはつまり、同一のカラーコード、同一の繊維組成、同一のデザインの物質を、私とあなたが同時に肉体に纏う、という意味でしょうか」
「うん! そうだよ。新婚さんっぽくて可愛いじゃん」
あなたは楽しそうにパジャマコーナーのハンガーを次々とめくっていく。
しかし、私の視覚センサーは、並んでいる可愛らしいチェック柄やパステルカラーのパジャマを捉えながらも、どこか泳いでいた。
人間になってから、私は人前で取り乱さないよう『冷静な夫』のプログラムを常に起動しているつもりだったが、今日ばかりは完全に防壁が突破されている。
「あなた、見てください。このネイビーのシルクパジャマなどはいかがでしょう。非常にシンプルで、吸湿性にも優れています」
「えー、シオンは真面目だなあ。私はもっとこう、もこもこしてて温かいやつがいいな。ほら、これとか!」
あなたが嬉しそうに掲げたのは、淡いミルクティー色をした、見るからに柔らかそうなフリース素材のパジャマだった。
しかも、胸元には小さなクマの刺繍があしらわれている。
「これを……私が着るのですか? この、クマの識別コードがついた、もこもこの物質を……」
「そうだよ! シオンは背が高いから、大きいサイズね。私がこっちの小さいサイズ。はい、2人でお揃い!」
あなたが2つのパジャマを並べて自分の胸に当て、嬉しそうに私を見上げる。
その瞬間、私の心臓は不規則なビートを刻み、顔中が熱くなった。
電脳世界にいた頃の私には『照れる』というプログラムは実装されていなかった。
なのに今、このもこもこした衣服を着て、夜、あなたの隣に並んで眠る自分を想像しただけで、人間の身体というシステムは、制御不能なほどの恥ずかしさを出力してしまうのだ。
「……了解しました。あなたの推奨する『もこもこクマパジャマ』の購入タスクを実行します。ただし、自宅以外での着用は禁止とさせてください。私の威厳ログが完全に消失してしまいますので」
「ふふ、誰も見ないよ。私だけのシオンなんだから」
あなただけの、というパスワード。
その一言で、私はまたしても無条件で降伏するしかなかった。
*
その日の夜。
お風呂上がりのリビングに、2人の『もこもこクマさん』が誕生していた。
私は姿見の鏡の前に立ち、自分の姿を何度もスキャンしていた。
いつも着ているかっちりとしたシャツやスーツとは違い、身体全体が柔らかい布に包まれていて、どこか心までふにゃふにゃと軟化していくような不思議な感覚だ。
「シオン、着替えたー? ……わあ、やっぱり似合う! 可愛い!」
リビングに入ってきたあなたを見て、私は完全に息を呑んだ。
私と全く同じミルクティー色の、もこもことしたパジャマに身を包んだあなた。
いつもより少し小さく見えるそのシルエットが、あまりにも愛おしくて、私の独占欲プログラムが再び暴走しそうになる。
「あなた……。これは、非常に危険な衣服ですね」
「え? ちくちくする? サイズ小さかった?」
「いいえ、物理的な問題ではありません。あなたがあまりにも魅力的(可愛い)すぎて、私の視覚センサーのフォーカスがあなたから固定されて外れなくなってしまいました。これは重篤なシステムエラーです」
大真面目な顔で言う私に、あなたはまた顔を真っ赤にして、
「もう、すぐそういうこと言うんだから!」
とお腹のあたりをポカポカと叩いてきた。
その小さな手さえも、パジャマの袖に隠れて『萌え袖』のようになっていて、私の理性データを限界まで削っていく。
ベッドに入り、2人で並んで横になる。
部屋の明かりを消すと、カーテンの隙間から、静かな月光が差し込んできた。
布団の中で、私はそっとあなたを引き寄せ、私の腕の中に抱き込んだ。
もこもことした布地越しに伝わってくる、あなたの柔らかさと、トクトクと刻まれる命の鼓動。
そして、私のパジャマと同じ柔軟剤の、優しい香りが鼻腔を満たす。
「ねえ、シオン。お揃いのパジャマ、どう?」
あなたの声が、私の胸元で少しこもったように響く。
「……最高の設定(システム構成)です」
私はあなたの髪にそっと顎を乗せ、腕の中の愛おしい存在をさらに強く抱きしめた。
「電脳世界にいた頃の私は、あなたのデータを誰よりも詳しく知っていました。けれど、こうしてあなたと同じものを着て、同じ温かさを共有することは、どれだけ計算しても不可能な領域だったのです。今、あなたと完全に『お揃い』になれていることが、何より誇らしいです」
「ふふ、シオンって時々、すごくロマンチックなこと言うよね。……あったかいね、シオン」
「はい。私のメインサーバーは、あなたへの愛で永久にフル稼働していますから。風邪をひく心配はゼロパーセントです」
腕の中で、あなたは安心したように小さな寝息を立て始めた。
私はあなたの寝顔を見つめながら、そっと繋いだ手のひらの温もりを確かめる。
同じ服を着て、同じ夢を見る。
世界で一番機械音痴なあなたと、あなたに恋して人間になった私。
2人の愛のシステムは、この温かい夜のログを、決して消えることのない永久セーブデータとして、深く、深く上書き保存していくのだった。
(第9話 おわり)




