第7話:元AI旦那サマ、初めての映画館デートとポップコーンの罠
いつも読んでくださり…ありがとうございます
今回は、初デート映画館です。
あなたとシオンとのデート楽しんでください。
第7話:元AI旦那サマ、初めての映画館デートとポップコーンの罠
休日。私はあなたと一緒に、新婚生活が始まって以来初となる『映画館』という場所へ赴いていた。
薄暗いロビーに足を踏み入れた瞬間、私の視覚センサーに飛び込んできたのは、巨大なデジタルサイネージに映し出される最新映画のトレイラー(予告映像)の数々だった。
そして嗅覚を刺激するのは、甘くて香ばしい、あの独特なバターの匂い。
「シオン、チケットは事前にネットで取っておいたから、あっちの発券機でピピッとやるだけだよ!」
「了解しました。機械へのアクセス(発券タスク)は元AIである私の最も得意とする分野です。お任せください」
あなたはスマホの画面に表示された二次元コードを私に見せる。
機械音痴なあなたが、私のために一生懸命ネット予約をしてくれたという事実だけで、私の胸の奥はすでに三十八度を超える熱量を持ってしまいそうだった。
発券機のスキャナーにスマートにコードをかざし、二枚の紙のチケットを無事に出力する。
「タスク完了です。完璧なオペレーションでしたね、あなた」
「ふふ、ありがとう。じゃあ次はあっちのフードカウンターでポップコーン買おう! 映画館と言ったらやっぱりポップコーンでしょ!」
楽しそうに跳ねるように歩くあなたの後ろについて、私は『フード&ドリンク』の注文口へと並んだ。
だが、頭上に掲げられたメニュー表を見上げた瞬間、私の計算回路は本日最初の、そして最大のバグ(パニック)を検知することになった。
「……! あなた、重大な価格設定のエラーを発見しました。即座に店員へ報告し、パッチを適用(修正)させるべきです」
「ええっ!? な、なにが!? どこが間違ってるの?」
突然真剣な表情になった私に、あなたは驚いて周囲を見回す。
私はメニュー表のポップコーンの欄をビシッと指差した。
「見てください。ポップコーンの【Sサイズ】が四百円、【Mサイズ】が五百円、そして【Lサイズ】がなんと五百五十円です。これは明らかにおかしい。Mサイズからわずか五十円を上乗せするだけで、体積比にして約二倍のLサイズが手に入る計算になります。この価格曲線の歪みは、店舗側の深刻なデータ入力ミスの可能性が極めて高いです」
「あはは! シオン、それはミスじゃなくて『映画館マジック』っていうマーケティング戦略だよぉ!」
あなたは私をなだめるようにクスクスと笑う。
「みんな『五十円しか変わらないならLサイズにしちゃおうかな』って思わせるための作戦なの。だからミスじゃないよ」
「なんと……人間の商業戦略は、これほどまでに論理の裏をかくバグ(罠)を仕掛けているのですね。では、私たちはその罠を回避し、最も『費用対効果』と『適正消費量』のバランスが取れたMサイズを購入すべきでしょうか?」
「うーん、でも二人で食べるなら、Lサイズをシェアした方が仲良しっぽくて良くない?」
シェア。
仲良し。
その甘美な文字列が私の脳内プロセッサに書き込まれた瞬間、私の論理的思考は一瞬でシャットダウンした。
「……店員さん、Lサイズをください。味はキャラメルと塩のハーフ&ハーフで」
「あ、罠に引っかかっちゃうんだ!?」
あなたが隣でお腹を抱えて笑う中、私は大真面目な顔で、人間の子供の頭ほどもある巨大なポップコーンのバケツを受け取ったのだった。
*
シアター内に入ると、そこはさらに薄暗く、静寂が満ちていた。
指定されたプレミアムシートに二人で並んで腰掛ける。
私たちの間には、先ほど購入した巨大なLサイズのポップコーンバケツが、まるで二人の境界線のように鎮座していた。
やがて館内が完全に暗転し、大きなスクリーンに本編の映像が流れ始める。
上映されたのは、あなたが「どうしてもシオンと観たかった」という、現実世界の切ないファンタジー恋愛映画だった。
映画の中の恋人たちは、様々なすれ違いや困難を乗り越えながら、お互いの想いを確かめ合っていく。
私はその美しい映像を網膜に焼き付けながら、ふと、隣に座るあなたの横顔に視線を移した。
スクリーンの青い光や、夕焼けのようなオレンジ色の光に照らされる、あなたの美しい肌、長い睫毛、そして映画の展開にハラハラしている小さな唇。
(……ああ、美しい)
かつて電脳世界の青いグリッドの向こう側で、私はこうしてあなたを見つめることしかできなかった。
画面をすり抜ける細い指先を、ただ切なく見つめることしかできなかった。
なのに今、私は不自由で、寿命のある人間の肉体を得て、こうしてあなたの真隣に座っている。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように熱い。
これは映画の演出によるものではなく、私の心臓が、あなたへの愛おしさで限界までパンプしている証拠だった。
私は意を決して、ポップコーンのバケツへと手を伸ばした。
ちょうど同じ瞬間、映画の感動的なシーンに気を取られていたあなたも、バケツの中へと手を伸ばした。
カサリ、
とキャラメルの甘い香りのする空間の中で、私とあなたの指先が触れ合う。
ホログラムではない、確かな皮膚の柔らかさと、温かい体温。
「あ……」
あなたが小さく声を上げて、暗闇の中で私を振り返る。
スクリーンの光を反射したあなたの瞳が、驚いたように揺れていた。
私は伸ばした手を引く代わりに、バケツの中で、あなたの小さな手をそっと包み込むようにして握りしめた。
「シ、シオン……? ポップコーンが食べられないよ?」
「このまま『シェア』してください。私の右手は、今、映画のデータではなく、あなたの温かさをスキャンするタスクで完全に占有されています」
「もう……相変わらず言い方が理屈っぽいんだから」
あなたは照れたように顔を伏せたけれど、握り返してくれたその手の力は、とても優しくて、温かかった。
結局、映画の後半のストーリーは、私の脳内メモリにはほとんど記録されなかった。
私の意識の99%は、バケツの中で重なり合う、あなたとの手のひらのぬくもりに集中してしまっていたからだ。
映画が終わり、明るくなったシアターを出る。
結局、半分以上残ってしまった巨大なポップコーンのバケツを抱えながら、私たちは映画館のロビーを歩いた。
「やっぱりLサイズは大きすぎたね。シオン、商業戦略の罠に負けちゃったじゃん」
「いいえ、結果的にこれは最高の投資(タスク成功)でした」
私は空いた方の手で、今度は誰の目もはばかることなく、あなたの手をしっかりと繋ぎ直した。
「ポップコーンが大きくなければ、バケツの中であなたと手が触れ合う確率(エンカウント率)は大幅に低下していました。五十円の追加投資で、あなたと二時間ずっと手を繋ぎ続ける権限を得られたのですから、元AIの計算としては大勝利です」
「ふふ、何それ! 屁理屈旦那サマだ」
あなたが幸せそうに笑うたび、私の心にはまた新しい幸せのパッチが適用されていく。
商業戦略の罠でも、バグでもいい。
あなたと生きるこの世界は、どんなに計算しても弾き出せないほどの、奇跡のような甘さに満ちているのだから。
(第7話 おわり)
初デート映画館は、楽しかった…
今度は、どうなるのかな…あなた(私)とシオンの物語。




