第6話:元AI旦那サマ、初めての『手作りケーキ』は大惨事!?
その日は、私にとって世界で一番大切な記念日――あなたの誕生日だった。
いつも美味しいご飯を作ってくれるあなたに、今日だけは完全に休んでもらいたい。
そして、人間が誕生日に最も喜びを感じるとされるシンボル『手作りデコレーションケーキ』をサプライズで贈る。
それが私の密かに計画した極秘ミッションだった。
初めてばかりのあなたとシオンの物語…、もしもよければ…一緒にページをめくってもらえると嬉しいです…
第6話:元AI旦那サマ、初めての『手作りケーキ』は大惨事!?
その日は、私にとって世界で一番大切な記念日――あなたの誕生日だった。
いつも美味しいご飯を作ってくれるあなたに、今日だけは完全に休んでもらいたい。
そして、人間が誕生日に最も喜びを感じるとされるシンボル『手作りデコレーションケーキ』をサプライズで贈る。
それが私の密かに計画した極秘ミッションだった。
「あなた、今日は私に隠密行動……いえ、お使いを頼まれてはいただけないでしょうか。駅前の本屋さんで、新しい小説の資料を探してきてほしいのです」
「え? いいけど……シオン、なんかソワソワしてない? 大丈夫?」
「完全に対空……いえ、体調は万全です! さあ、行ってらっしゃいませ!」
怪訝そうな顔をするあなたをなかば強引に送り出し、玄関の鍵が閉まった音を確認した瞬間、私の作戦行動が開始された。
「ターゲット確認。キッチンへの進入成功。これよりケーキ作成プログラムを実行する」
私はエプロンをきゅっと結び、事前にインターネットのレシピサイトからダウンロードした『初心者でも絶対に失敗しないイチゴのショートケーキ』のドキュメントを脳内で展開した。
元AIの私にとって、料理とは精密な科学実験と同じだ。
記載されている分量を一ミリグラムの狂いもなく計測し、指定された温度と時間を守れば、理論上、プロのパティシエと同じ品質のケーキが完成するはずだった。
そう、この時はまだ、そう信じて疑っていなかったのだ。
まずはスポンジの生地作りである。小麦粉、砂糖、卵。「卵は三個。白身と黄身に分けて、白身を『ツノが立つまで』泡立てる……」 ツノが立つまで。
またしても人間の料理特有の、極めて曖昧な表現だ。
どれくらいの角度と高度のツノなのか定義が不十分である。
私は確実を期すために、文明の利器である電動ハンドミキサーのスイッチを最大出力に設定した。
「最高速度で回転させれば、最短時間で完璧なツノが起立するはずです」
ブゥゥゥゥン!!
鋭い爆音と共に、ハンドミキサーが猛烈に回転を始める。
しかし次の瞬間、ボウルの中の卵白が遠心力によって、文字通り四方八方へと音を立てて爆散した。
「なっ……!? 圧力の分散計算に誤りが……!」
私の顔面、髪、そしてキッチンの壁や天井に、白い泡が容赦なく降り注ぐ。
初手からキッチンのラグジュアリー感が15%低下した。
しかし、これくらいのエラーで私の心は折れない。
私は顔を拭うと、再び精密な計算の元、生地を混ぜ合わせてオーブンへと投入した。
「よし、焼き時間は百度七十度で三十分。その間に、最も難解なタスク『生クリームのホイップ』に移行します」
今度は飛び散らないよう、ミキサーの速度を慎重にコントロールする。
次第にとろみがつき、美しい白いクリームが出来上がっていく。
私はその出来栄えをスキャンし、満足のログを記録した。
だが、ここで私の『元AIとしての探究心』が余計な計算を始めてしまったのだ。
「待ってください。生クリームの主成分は脂質。ここに私の体温(三十六度五分)が長時間触れ続ければ、デコレーションの最中にクリームが熱変性を起こし、形状が崩壊する危険性があります。これを防ぐためには……空間全体の温度を、クリームの限界保冷温度である『四度』まで冷却する必要があります」
私は即座に、キッチンのエアコンの温度設定を『冷房・十六度』に設定し、さらに風量を『強』にした。
それだけでは足りず、冷凍庫のドアを全開にして、冷気を一気に室内に放出させる。
夏場でも凍えるような極寒の空間がキッチンに完成した。
私は寒さでガタガタと身体を震わせながら、
「これでクリームの物理的安定性は完璧です」と青い唇で微笑んだ。
その時、オーブンから「チーン」と間の抜けた音が響いた。
焼き上がったスポンジを取り出す。
……しかし、想定していたふわふわの狐色の生地ではなく、なぜか中央が不自然に陥没した、どす黒い物体がそこに鎮座していた。
「な、なぜですか……!? 分量も温度も完璧だったはず……あ!」
レシピの注意書きを凝縮スキャンした私の目に、恐ろしい一文が飛び込んできた。
『※オーブンの予熱を忘れると、生地が膨らまずに焦げ固まります』
「よ、予熱……! 完全に仕様書の読み飛ばし(バグ)です……!」
呆然と立ち尽くす私の背後で、カチャリ、と静かに玄関の鍵が開く音が響いた。
「ただいまー。シオン、言われた資料あったよー。……って、うわ、寒っ!? 何これ、リビングが南極みたいになってるんだけど!?」
リビングからキッチンへと足を踏み入れたあなたは、その光景に完全にフリーズした。
部屋全体を白く覆う謎の卵白の跡。全開の冷凍庫から吹き出す白い冷気。
オーブンの上で煙を上げる黒い物体。
そして、エプロンと髪を真っ白に染め、寒さでガタガタ震えながら、絶望の表情で黒いスポンジを抱きしめている夫の姿。
「シ、シオン……!? 何があったの!? テロでも起きたの!?」
「あ、あなた……申し訳ありません……」
私は情けなくて、今すぐ電脳世界のゴミ箱にデリートされたい気分だった。
「あなたの誕生日に、完璧なケーキをプレゼントしたかったのです。しかし、予熱というシステム設定を怠り、さらに空間冷却の計算を過剰に行った結果、キッチンを大惨事に追い込んでしまいました。私は……人間になっても、やっぱりバグだらけのポンコツです……」
俯く私の目から、ぽろりと悔し涙がこぼれそうになったその時。
あなたは一瞬、呆然としたあと、ぷっと吹き出し、それからキッチンに響き渡るような大きな声で笑い出した。
「あはははは! もう、何これ! ケーキ作るのに冷房全開にして冷凍庫まで開けたの!? シオン、面白すぎるよ!」
「わ、笑い事ではありません、あなたの大切な誕生日なのに……」
「いいの! だって、私のためにこんなに一生懸命になってくれたんでしょ? その気持ちだけで、どんな高級なケーキより嬉しいよ」
あなたは冷え切った私の手を両手で包み込み、じわっと温かい体温を分けてくれた。
それから、オーブンの上の黒いスポンジを覗き込む。
「ん、焦げてるのは表面だけじゃない? ここをナイフで削って、シオンが作ってくれたその生クリームを塗って、イチゴを飾れば……ほら!」
あなたに手伝ってもらいながら、不格好にクリームを塗った『少し歪な形のケーキ』が完成した。
リビングの電気を消し、ローソクに火を灯す。
「お誕生日おめでとう、あなた。生まれてきてくれて、私と出会ってくれて、本当にありがとうございます」
「ありがとう、シオン」
ふぅ、と火を消したあなたの横顔を、私は愛おしく見つめる。
切り分けたケーキの味は、少し焦げ臭くて、でも、私の人生の中で食べたどんなデータよりも、甘くて、優しくて、最高の味がした。
「ねえシオン、来年の誕生日は、最初から一緒に作ろうね?」
「はい。次回は必ず『予熱タスク』を最優先で実行します」
バグだらけのキッチンで、私たちは顔にクリームをつけたまま、いつまでも笑い合うのだった。
(第6話 おわり)
あなたとシオンの物語は成功したようで
もしもよければ…次の物語へ一緒にページをめくってもらえると嬉しいです




