2-さすがに肉体労働がすぎる
「ごちそうさまでした」
カップをソーサーの上に置く。シャウランさんはにこにこ微笑んでいる。
「深呼吸して、お茶が全身を巡るまでゆっくり座っていてね」
ぽかぽかと身体の中が温まっているような気がする。舌の上は痺れたように苦いままだけど。医呪士は立ち上がってテーブルを離れた。
診療所に入って最初の扉を入ったここがリビングだとすると、入って正面奥、2階へ上がる階段の裏手辺りにお茶を作る設備……キッチンのようなものがあるのだと思われる。
ベッド群は左手の壁際にある。部屋の中央寄りの壁から中庭を臨むような広めの窓から外の光が差し込んでいて、このテーブルまで柔らかく注ぐ。
戻ってきたシャウランさんに聞いてみる。
「大怪我した場合も、シャウランさんがこうやって治すんですか」
「シャウラ、で良いよ。んー、怪我の場合は薬草茶で塗り薬を作ることもあるし、大怪我なら地魔法で治癒することになるね」
「その魔法……というのが私にはよく分からなくて」
「えっ、そうなの?」
優しそうな垂れ目が丸く見開かれる。私に備わっていると言っていたのは緑魔法。
魔法といえば、杖をかざして呪文を唱えて、超常的な力を目の前に現すあれのことだろうけれど。
「魔法の記憶が無い……ということかな。そういうことなら説明しよう!」
シャウランさんは、まるで学校の先生みたいにニコッと笑って活き活きと語り出す。医呪士なのだからまぁ、先生か。シャウラ先生はテーブルに片手を付いて、立ったまま滔々と語り出した。
赤魔法は炎と温度を
青魔法は水の流れを
緑魔法は植物の声を
地魔法は死と再生を
天魔法は風と祈りを
歌うような声の中で、死と再生という言葉に頭の奥がズキンと反応する。
「どの魔法に適性があるかはヴェルモアの魔法科で見てもらえるよ」
「ヴェルモア……?」
「ここ王都ヴェルモアの中心部、王宮のこと」
ふむふむ、と私が頷いたのを確認し話は続いた。
「初級・中級・上級・特級のランクも魔法科がジャッジしてくれる。医呪士のボクは緑魔法と地魔法の特級をもっている」
おおー、と反射的に歓声と拍手を送る。
「何かを達成したい……その結果を導きたい、という願いの気持ちが魔法の発動に繋がることもあれば、膜のようにずっと発動している、能力のようなものもある。医呪士としての魔法の使い方というと……病気には緑魔法を、怪我には地魔法を対応させていることが多いよ。ボクも中庭には地魔法のための魔法円を書いて備えているし」
この世界の医療は魔法が全てなのかもしれない、と思い至る。おまじないの類は大好きだったけど、元の世界……の西洋医学の治療に慣れた身からすると、この世界の治療のことをまだ理解しきれそうに無いなと思う。病気にも怪我にも気を付けないと。
「さてと」
シャウラ先生は私の正面の席に再び腰掛ける。赤黒い瞳がきらりと真剣みのある光を帯びた。
そして、パン! と両手を叩いて合わせる。
「ここで会ったのも何かの縁! 草刈りを手伝っていただけないでしょうか!!」
▷
「あっこれ! 昨日の夜の!」
診療所を出て小道を一本挟んだ場所は、小さな植物園のようになっている。私が目を覚ました場所もそこだった。
柵の扉を開いて中に入り、右手側にはつる性植物や小型の樹木が行儀よく並んでいる。
つる性植物が支柱に沿って這う花壇の向こうには、ガーデンテーブルと椅子が二脚。そして色とりどりの花が咲く、美しい花畑が見える。
左手側には池があり、水生植物が浮かんでいる。その向こうには大型の木々が林立している。あれらもシャウラ先生が管理しているのだろうか。
そして正面には、物置小屋のような小さな建物、草原のように植物たちが繁る原っぱ、それらの脈絡を全て無視した、天まで届くようなあの大樹!
あの木の近くで一晩過ごしたとはいえ、こうして一度離れて見てみると、その異質さに改めて驚く。
「あー……そうか、キミはあれが育つところを見ていたワケか」
「はい。気付いたらあの場所にいて、それで、すごい音がしたと思ったらあれがぐんぐん育っていって……」
何故かバツが悪そうにする先生を不思議に思って見ていると、あれはね、と解説が入る。
「ヴィーリルーの光が満ちるときにだけ育つ、退魔の樹。ファーンベルウッド」
聞き慣れない言葉を心の中で反芻する。月。緑の月。ヴィーリルー。それに照らされて大きく育つ木。ヴィーリルーを目指すことなく、まるで無計画に野性的に育つ不思議な木、ファーンベルウッド。
「ファーンベルウッドの葉は燻すとモンスター避けになるし、外傷や毒にも効くし、育ったら収穫の大チャンスなんだ!」
「ほ、ほうほう。収穫」
「いつもはレーネさんとこの息子さんが来てくれるんだけど、追試験が入ったとかで来られなくなっちゃってね……」
先生が困ったように俯くと、赤く長い髪がはらりと揺れてなんだか哀愁を誘う。
そういえば私に躓いて転ぶ前に大騒ぎをしていた気がする。これのことだったのか、と気付いてスッキリしたのも束の間、もっと恐ろしいことに気が付く。
「わっ、私にその息子の代わりをやれと……」
「ミリカ、頼むよお願いだ! 1人じゃ大変だし時間もかかるし寂しいんだよお」
「なんですかその理由……まあでも、はい!」
私より年上で背も高い、医呪士なんて地位も実力もありそうなお兄さんが背中を丸めて子犬のようになっているのを見ていると、頷かざるを得ないし、なぜだか頼られたことに対して居心地の良い気持ちになる。
私には居場所が無いし。そもそもすんごく苦かったけどお茶のご恩もあるし。
「引き受けます、教えてください!」
「やった! 嬉しいよ、ありがとう!」
花でも舞いそうなほのぼのとしたこのやり取りを、私はすぐ後悔することになる。
▷
「し、し、しぬぅ……」
1時間後、やっとファーンベルウッドの頂上が見えてきた。だけどまだ全体の4分の1くらいだと思われる。
顔よりも大きく、丸くて薄緑色、本体の幹から伸びた枝にがっちりと繋がった葉を、ひたすら刈り取り続ける。草刈りって言ったよねあの人。しんどさのレベルが想像と違う。さすがに肉体労働がすぎる。
両手に厚みのある手袋をして、左手で葉を押さえる。右手に銀色の小刀を持って、葉の根元を叩くように刃を差し込んで切る。枝1本につき10枚くらいの葉が付いていて、幹に1メートルくらいの間隔を空けて枝が互い違いに伸びている。
枝は切らない。葉が全部落ちると、枝は段々幹の方へ縮んでいき、そして幹そのものが地面に沈み込み段々と大樹そのものが縮んで小さくなっていくような形になるからだ。
その縮んでいくのを待つのに2,3分は要する。解体工事でもしているのかな? というレベルの葉の収穫作業、葉が落ちたら少し木登りをして次の枝に取り付き再び収穫作業。そして木が縮んでいく時の地震ような恐ろしい振動に備えて枝にぎゅっと抱きつくときの緊張感。
最初にやり方を教えてくれてから、患者さんが来たとかでシャウラ先生は診療所に戻ってしまった。孤独で、果てしなくて、ちょっと怖い。確かにこれは1人でやるには荷が重い。
でも、なんだか清々しい。生きているって感じ。
記憶の中の、リクルートスーツの寂しそうな後ろ姿の私。その時の感情は胸に残っている。あの時、森の中で私が選んだのは――。それを考えると頭が痛んで何も分からなくなる、けれど。
今ここで生きていることがもしも夢ならば、醒めないで欲しいと願う。
カゲリミドリソウの馬鹿みたいに苦いお茶の効果なのか、シャウラ先生と話して気持ちが落ち着いたからなのか。
私はここで、生きていきたいかもしれない。
見上げると、馴染みがないはずなのにもうすっかり見慣れてしまった、ファーンベルウッドの大きな葉がそよそよと風に揺れる。
「ミリカー! お待たせ、ボクも収穫に入るよー!」
「シャウラ先生、待ってまし……えー、何その服……」
シャウラ先生の庭仕事の衣装は、ピンクのリボンの麦わら帽子、なぜかツインテールにした長い髪(本当になぜ?)、ごついゴーグル、黒い長手袋、黄色と黒のチェックのローブ、アップリケだらけのカーキ色のズボン、ピンクの長靴。恐ろしいほどダサかったけど、一周まわってなんだか頼もしく見えてしまって、それが楽しくって私は心から笑った。
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