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信じるもの


 早朝、起きた三人はパンに野菜や干し肉を挟んだものを食べてから、山に登る準備をし始める。

「さて、今日はあの山を越える所まで頑張るぞー」

 そう言ってエルバが指差すのは大地の竜が住んでいた山よりも高い山頂だった。

「えぇ……」

「大丈夫、大丈夫。別に登るなんて言ってない。いい道を知ってるって言っただろう? それにこの山は全部が坂になっているわけじゃない。今まで来た道のように平らな場所もある。今日はあの山を越えた先に小さな洞窟があるから、その場所で休むぞ」

 通りで余裕そうな表情をしていたわけだ。これなら、体力のないティオでも登れると思って考えてくれているのだろう。

「ほら、ルシェ。行くよー」

「ピィ!」

 朝食を美味しそうに全て平らげたルシェが明るい声で返事し、頭の上に自らよじ登ってくる。やはり、昨日より体重が明らかに重くなっている。

「荷物は持った? 重いなら、私がルシェを抱いて運んでもいいからね」

 むしろ率先して、そうしたいと目でリラが訴えてくるが、ティオは苦笑いしながらやんわりと断る。

「よーし、行くぞー」

 エルバの後を続くようにリラ、ティオが付いて行く。最初はエルバの事を疑っていたリラも、今は少しだけ気を許しているようだった。

「辛くなったら、いつでも言うのよ」

 気遣うようにリラが隣で声をかけてくる。

「うん、ありがとう」

 確かに山を歩く事が簡単ではないという事は、キエト村に居る時に実感している。

 だからこそ、それを活かして登り歩けるようにならなければならない。一歩一歩、確実に前に進んでいる。それを確かめるようにティオは足を踏み出していた。



 もうすぐ、昼から夕方へと空が変わろうとしていた時だった。

「なんか、空が曇ってきたわね」

 空を見上げながら、リラが不満げに呟く。

「んー……こりゃ、一雨来るかもしれねぇな。おーい、ティオ。ちょっと先を急ぐぞ。雨が降るかもしれねぇ」

 二人より、さらに後ろで歩いていたティオは息を切らしながら顔を上げる。

「わ……、分かった……」

 そう口では言えるものの、やはり体力の方はどうこう出来るわけではない。それでも、必死に山を登ろうと歩いている時だった。

 ぽつり、ぽつりと顔に雫が当たる。

「まずいな、来るぞ」

 エルバがそう言った途端、少しずつ雨足が激しくなってくる。

「あっ! 洞窟があるわ! 急いで、ティオ!!」

 先に洞窟へと着いたリラがこちらを仰ぎ見る。

「ピィ! ピィ!」

 初めての雨に頭の上のルシェは騒いでいるようだった。しかし、ティオの頭が雨によって濡れたせいで、ルシェは足を滑らせて、地面の上へと転がるように落ちる。

「ルシェっ!!」

 間一髪のところでティオはルシェを両手で受け止めるが、濡れた地面の土が跳ねて、ティオとルシェは泥まみれになってしまう。

「ピィ! ピィッ!!」

 ばたばたと手の上で騒ぐルシェは何か興奮しているように見えた。

「ど、どうしたの、ルシェ……」

 しかし、ルシェの興奮は収まらず、マントから体を出して、雨を受け止めようと空に顔を向ける。

 雨、それは竜が与える自然の恵み。まるで、最後の力を降り注ぐように雨は降ってくる。


 ……もしかして、この雨はルシェが呼んだの?


 まさか、まだ力のないルシェがそんな事が出来るわけがない。恐らく、山頂付近は気候が安定してないので、それで雨が降ったのだろう。

「ルシェ、駄目だよ。風邪ひいちゃうよ」

 手が滑りそうになりながらもティオはルシェをしっかりと抱えて、洞窟へと向かう。洞窟の入口ではエルバが不安げにこちらを見ていた。

「大丈夫か!? あっちゃ~……泥だらけだな……ん?」

 エルバの視線がふとルシェの方へと向く。

「っ!」

 その視線の先を見たルシェは思わず息が止まりそうになった。

 ルシェの体はマントから露になっていたからだ。それはつまり、翼と角が見える姿となり、雨に濡れたことで、灰と苔で作った色が落ちて白い鱗が光るように見えていた。

「あ、の……」

 なんと言っていいのか、分からない。自分は彼らに嘘をついていたのだから。

 顔が上げられずにティオがルシェを抱えたまま固まっていると、エルバがぽんっと肩に手を置いてきた。

「とりあえず、中に入れ。二人とも泥だらけで濡れてるだろう? そのままじゃ風邪引くぞ」

 そう言って、彼は何事もなかったように笑ったのだ。

「え……、う、うん……」

 思わず返事をして、ティオはゆっくりと洞窟の中へと入っていく。中はすでにリラによって、焚き火が作られていた。

「わっ、ちょっと、大丈夫?」

 しかし、リラもルシェを見て、思わず固まる。

「えっ……?」

「リラ」

 後ろから、エルバが声をかける。

「とにかく、今は二人に風邪を引かせないようにするのが先だ」

「え? あ、うん。そうね。ほら、服が濡れたのでしょう? 替えの服はある? ルシェも一度体を洗って拭かないと……。あぁ、私にルシェの事は任せてティオは着替えてて」

「うん……」

 エルバとリラはルシェの正体が竜だと分かっているのに、何も聞かない。それは聞いてはいけない秘密だと分かっているからだ。

 ティオは何かを吐きそうなほど、胸が締め付けられるのを感じていた。それは、自分が二人に嘘を付いていたからだ。

 無言が静かな洞窟を埋める。何も言えない。何か言わなければならない。何て言えばいい。分からない。自分には、どう言えばいいのか、分からない。

 だって、これは「秘密」なのだ。自分の村と大地、この国に関わる大事な秘密なのだから。


「ティオ」

 リラに声をかけられて、ティオははっと我に返る。

「着替え終わった?」

「え、あ、うん」

「そう。はい、ルシェも綺麗になったわよー」

「ピィ!」

 目の前に差し出されたのは白い鱗を輝かせた美しい竜だった。リラの手元を見ると、ルシェの体を拭いた布が泥だらけになって、握られていた。

「なんだ、ルシェは水浴びしたかったのか」

 苦笑いしながら、エルバはルシェの頭を撫でる。

「ピィ!!」

 元気よく返事するルシェは何も知らない。自分自身が秘密の存在なのだと。

「どうして……」

 ティオは二人を真っ直ぐ見る。

「どうして、何も聞いてこないの」

 静かな空間にその言葉がゆっくりと響いた。

「僕は、君達に嘘をついていた。この子のことを秘密にしていた。それなのに、どうして怒らないの? どうして、何も聞いてこないの?」

 とことことルシェがティオの元へと寄ってくる。そして、ティオの腕へとよじ登ると安心したようにそこへと収まった。

「……本当はな、ルシェが何となく蜥蜴じゃないって俺は分かってたんだ」

「え……?」

「でも、ティオは秘密にしてるみたいだし、きっと聞いちゃいけない事なんだろうって。けど、お前から話してくれる時は聞こうって決めてたんだ」

 大人っぽく、エルバは穏やかにそう告げる。

「確かに、竜だったのには驚いた。この国には殆どいないからな。……いや、大地の竜なら居るか」

 エルバがそう言った途端に、背筋に冷たいものが通る。

「でも、おとぎ話として話されるようなもんだ。本当に竜を知っている奴なんてごく一部。と、俺が知っている情報はここまでだ」

「……そこまで知っていたんだね」

 諦めたように、ティオは乾いた笑いをする。

「本当は……僕も、君達に言いたかった。でも、秘密にしなきゃいけないって言われて、言えなかった」

 洞窟の中は、ぱちぱちと火が燃える音が静かに響き、雨の音を遠くに感じさせた。

「……信じたかったんだ、君達を。でも、心の奥で、信じちゃ駄目だってずっと、響いてて……言えなかったんだ」

 抱きしめる小さな体に課せられた大きな役目。それを守るために、付いていたのは仲間を騙す嘘だった。

「私は、最初からティオを信じていたわ」

 それまで黙っていたリラが静かに言葉を紡ぐ。

「どうして……」

「だって、あなたは私を信じてくれたでしょう?」

 そう言って、リラは笑顔になる。まるで、ルシェが竜だった事なんて、全く気にしていないと言わんばかりに。

「……私が世界を旅したいって夢を誰かに語るといつも、馬鹿にされたわ。『女にそんな事出来っこない』『せいぜい、酒場の踊り子で収まっていた方がお似合いだ』ってね。でも、あなたは違った」

 真っ直ぐと向けられるのは、優しく穏やかな眼差しだった。

「私が自分の夢を言った時、あなたは素敵だって、言ってくれた。だから、私、あなたと旅をしてみたいと思ったのよ。自分の夢をちゃんと認めて、信じてくれる人となら、信じられるって思ったから」

「リラ……」

「まぁ、俺も一緒だな」

 エルバが自分の隣に腰を下ろす。

「お前に情報を教えようとした時、信じてくれただろ? だから、俺もお前を信じた。力になろうって決めた。……結局は、それだけなんだ。お前が気にするほど、俺達はお前が裏切ったなんて微塵も思ってない」

 そう言って、まるで兄が弟を甘えさせるように頭を撫でてくる。

「人間って、案外何気ない言葉で動けるものなの。ティオにはそれを感じたわ。ティオが何かをやり遂げようとするのなら、私達だって黙ってそれを手伝う。……だって、仲間でしょ?」

 リラが肩に手を置いてくる。

 

 ぽつり、ぽつりと、雨ではない雫が落ちる。誰かを信じるって、そんなにも簡単な事なのだろうか。そこまで、彼らを動かすほど、自分は何かを持っているわけじゃないのに。


「ごめん……っ、ごめんね……」

 木霊するのは少年の小さな声。もう、迷いたくはないと思った。彼らがこんなにも自分を信じてくれるのなら、自分も彼らを信じたいと心のそこからそう願った。 

 ティオは少しずつ、秘密にしていた話を始める。村に竜が落ちて来たこと、大地の竜のこと、洞窟でルシェと出会って、どうしてこの旅をしているのか、どうして早く聖都に行かなければならないのかをゆっくりと話した。

 それを二人は大切な事を聞いているかのように真剣に聞いてくれていた。

「……だから、秘密にしていなきゃいけなかったんだ。嘘を付いててごめんなさい……」

「――まぁ、確かに竜は珍しいから、狙われる事もあるだろ」

 ティオの横で呆気からんとエルバが話す。

「黙っておく方が身の安全を守りやすい、お前の判断は正しいよ」

 気にするなと言うように、エルバはティオの背中を優しく叩く。

「そうよ。それに一人より三人の方がルシェを守れるわ」

「えっ……。一緒に聖都に行ってくれるの?」

 まさか、本当の事を言ってまで、付いてきてくれるとは思っていなかった。

「当たり前よ。最初から私はティオと聖都に行くために付いて来てるんだから」

 そういって軽くリラはウィンクする。

「そういうことだ。まぁ、気負うな。俺達も、お前とルシェを絶対守って、聖都まで連れてってやるからよ。だから、安心しろ」

 安心しろ、一番心に響く言葉だった。不安でいっぱいだった心が、一気に溶けていくのを感じた。

「ありがとう……。ありがとう、リラ、エルバ……」

 とうとう抑えきれなくなったティオは、ぼろぼろと涙を零しながら泣き始める。

 村で自分は「はずれ者」。そんな自分が人に信じてもらえることが、嬉しくて仕方なかったのだ。

 腕の中のルシェは「どうしたの?」と言うように目をぱちくりさせて、ティオの頬に流れる涙をぺろぺろと舐める。それがくすぐったくて、でも嬉しくてティオはさらに泣いた。

「大丈夫……。大丈夫だよ……。ただ、嬉しいんだ」

 自分に言い聞かせるように、ティオは泣きながら笑う。リラとエルバもお互いに顔を見合わせて、肩を竦めてからティオを見守るように見ていた。


   


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