歩くもの
翌日、朝早いにも関わらず、宿屋の店主に無理を言って、早めにティオは部屋の鍵を返して宿を出た。
外は霧が薄っすらと漂っていて、身体が一瞬身震いしてしまうほど寒い。
「ふぅ……ルシェ、寒くない?」
マントの下に隠れているルシェは顔を出して、コクッと頷く。
「よし、じゃあ行こうか」
今日の目標は隣町のミオレミールに着く事だ。だが、大人の足でここから一日でやっと着ける場所だが、今日中に着けるか心配である。
歩き出そうとするティオを後ろから呼び止める声がした。
「ティオ」
先ほどまで、この辺りに人は居なかったはずだし、この町で自分を知っているの限られている。振り返るとやはり、リラが居た。
髪型は昨日と変わらないが、昨日よりも厚手の服に、肩にはストールのようなマントが羽織られている。そして、何より気になったのが、肩に掛けられた鞄と、背中に背負われている弓矢だった。
「えっ、り、リラ?」
「とても早いのね。寝坊してたらきっと、間に合わなかったわ」
「え? そ、の……どういう事?」
突然のリラの登場に戸惑ったが、ルシェとの会話を聞かれてないか一瞬不安が過ぎった。
「私も一緒に聖都に行こうと思って」
そう言って彼女は軽やかに駆け寄ってくる。
「いつか旅に出るって決めていたけれど、いつとは決めていなかったの。でも、あなたのおかげでやっと決心が付いたわ」
晴れ晴れとした表情で、リラは明るく笑うが状況に付いていけないティオはぽかんと口を開けたままである。
「で、でもっ、お店の方は……」
彼女は酒場に雇われている踊り子ではないのか。
「あぁ、昨日辞めたの」
「えぇっ!?」
あっさりとそう答えるが、特に未練も無さそうにリラは屈託なく笑っている。
「マスターには残念がられたけど、いつか旅に出る事は伝えていたから。んーっ……これで、暫くは自分の本当にやりたい事が出来るわー」
手を空に揚げて背伸びするリラは、満足そうにそう告げる。
「で、聖都に行くのよね」
「う、うん」
何となく、その先が予想出来たが、きっと逆らう事は出来ないのだろうと感じ取っていた。
「付いて行ってもいいかしら? あなたが聖都に行く邪魔はしないようにするわ。ただ、一緒に行きたいだけなの」
ぐっと、ティオは言葉を詰らせる。彼女が一緒に居れば、ルシェの存在を隠し切れないからだ。
でも、竜という存在を知ったとしても、彼女はきっとティオやルシェに害を成すような人柄ではないと思った。
そして、自分の心のどこかで、一緒に旅が出来ればいいのにと思う自分の居るのが分かる。
……やっぱり、寂しさだけは拭えないな。
ティオは一度目を伏せて、深呼吸してから答えた。
「うん、一緒に行こう。僕、体力ないから、足手まといになるかもしれないけれど……」
そう答えるとリラは嬉しそうに笑みを浮かべて頷いた。
「ありがとう! じゃあ、早速出発しましょ! あー、もう、楽しみーっ!」
誰も居ない町にリラの明るい声だけが凛と響いていく。心の底から望んでいた事なのだろう。その様子を見て、ティオも少しだけ嬉しくなってしまう。
「次はどこに行くの? 隣町? あぁ、ミオレミール? じゃあ、町の端に荷馬車を扱う商人が住んでいるから、そこに尋ねてみましょう! 商品を運ぶ際に荷馬車の後ろに乗せてもらえれば、早く付けるわ。あぁ、大丈夫! 顔見知りだから、きっと無料で乗せてくれるわ」
捲くし立てるように言葉を繋ぐリラにティオは肩を竦めながら頷く。
そんな彼女を見ながら、心のどこかで安心している自分が居る。
「どうしたの、ティオ! ぼーっとしてたら、荷馬車が出て行っちゃうわよ!」
早速歩き出し始めているリラがこちらを振り返り、手招きする。
「あ、今行くよー」
ティオはリラの後を追うように早足で歩く。
今は、自分の心の持ち様に悩んでいても仕方ない。ただ、先に進む事だけを考えなければ。
だが、昨日までの不安が嘘のように、ティオは安堵を覚えつつ、次の目的地を目指していた。
キエト村から隣の隣の町、ミオレミール。そこには駐屯騎士団が居る。シオンから預かった手紙を団長に渡せば、自分を保護という名目で聖都まで送ってもらえるかもしれない。
今の目標はそれを果たす事だ。ティオは口をきゅっと結んで、しっかりした足取りで先へ進む。
早く、行かなければ。早く、帰ってこなければ。
約束のために。皆のために。ルシェのために。
マグリノはそれほど栄えている町ではないが、町の広さは広く、1時間経ってもリラの言っていた荷馬車を扱う商人がいる所まで着かなかった。それは、ティオの体力の無さが原因でもある。
「ま、待って、リラ……。ちょっと、休憩しようよ……」
さすが、いつも踊っているリラは体力があるようで、ティオをおいて、ずんずん前へと進んでいく。
「また? もう、ティオったら、そんなのじゃ今日中に隣町まで着かないわよ!」
リラは両手を腰に当てながら、少々あきれたようにため息を吐く。
「ま、仕方ないわね。ほら、ここに座りましょ? 丁度良さそうな岩もあるし」
そう言って、リラは手頃な岩の上に腰掛けると、自分の鞄から何か布の包みを取り出し始める。
やっと追いついたティオは息を整えながら、その隣に腰掛けた。
「ふぅー……疲れたぁ……」
「だらしないわねぇ。ほら、これでも食べなさい。まだ、朝食摂ってないんでしょ?」
目の前に差し出されたのは、切り込みの入れられたパンに少しの野菜と肉が挟められたものである。
「わぁ……いいの?」
ティオの瞳が思わず輝くと、リラは小さく微笑んで渡してくる。
「たくさん食べないと体力付かないしね。あ、でも急いで作ったから味は保障出来ないわよ~」
「リラが作ったの? んっ……。うん、凄く美味しいよ!」
もぐもぐとつい止まずに食べ続けていると隣のリラはこちらを見ながら微笑ましそうに笑っていた。
「……リラ?」
「あ、何でもないわ。気にしないで、食べて食べて」
「う、うん」
ふと、ルシェの事を言うのを忘れていたことを思い出し、ティオは朝食を食べる手を止めた。
「あ、あのね、リラ……実はもう一人、いやもう一匹、僕と一緒に旅をしている子が居るんだけれど……」
「え、なぁに?」
遠慮がちにティオはマントを上げて、鞄から顔を出しているルシェを見せる。
「えっと、その……この子はルシェって言って、蜥蜴の子なんだけれど……」
羽は見せていないので、顔だけなら蜥蜴に見えなくもないが、やはり無理があっただろうか。
しかし、これから先、一緒に旅を続けるに当たって、ルシェの存在が知られないようにするのは難しいという結論に至り、思い切って話す事にした。
嘘を吐いてしまうのは、凄く申し訳ないと思うが村のためにも仕方ない。恐る恐るティオはリラの反応を見ようと顔を覗くと、彼女の表情はさっきのものと違って、明るいものとなっていた。
「かっ……、可愛いっ!」
「え……」
「なにこの子、可愛いっ……。え、蜥蜴なの? そうなの? ルシェって言う名前なの~? 可愛い~っ」
リラはずいっと近づいてきて、ルシェの顔を良く見ようとしてくる。一方のルシェは何のことか分からずに首を傾げている。
「ねぇ、この子にパンあげたら、食べるかしら?」
「えっ……? あ、うん。食べると思うけれど……」
何でも食べるとシオンが言っていたので、多分だが。
リラは楽しそうに千切ったパンをルシェの口元へと運ぶ。ルシェはそれの匂いを嗅ぎながら、食べ物だと判断したのか、ぱくっと口の中へと入れた。もぐもぐと食べながら、美味しかったのか、続きを求めるように鳴く。
「ピィッ! ピィッ!!」
「食べたわっ! もっとあげてもいいかしらっ?」
「い、いいけど……」
リラはさらに自分の分の朝食をルシェに食べさせて、とうとう全部あげてしまった。お腹いっぱいになったのか、ルシェは小さい欠伸をしてそのまま、うとうとと眠りにつき始める。
「はぁ~……寝顔も可愛いわねぇ……」
うっとりしたようにリラはルシェの寝顔を見つめたままため息をつく。
「動物、好きなんだね」
「えぇ。でも、こんなに大きな蜥蜴は見たことないわ」
その言葉に少しひやっとしたが、ティオは平静を装う。
「あ、あのね、リラ……実はルシェの事は他の人には秘密にしておきたいんだ……。その、大事な子だから、出来るだけ人の目に触れさせたくないんだ」
「秘密に? 分かったわ。あ、でも外には出してあげないの? ずっと鞄の中じゃ窮屈じゃない?」
「う、う……ん。それはそうなんだけれど……。まだ子どもだからすぐ寝ちゃうし……」
苦し紛れにティオがそう言うとリラは納得したように頷いた。
「それもそうね。頭に乗せて落ちたら大変だもの。それにしても本当に可愛い蜥蜴ねぇ~」
どうやら、彼女にはルシェが蜥蜴として認識されたようで、ティオは隠れるようにほっと胸を撫で下ろす。
「さて、十分休んだし、そろそろ歩くわよ、ティオ!」
「えぇ、もう……?」
「そうよ!」
すると、すくっとリラは立ち上がり、ずんずんと先へと進み始める。ルシェと触れ合った事で、気合が入ってしまったらしい。
「あっ、ちょ……待ってよ~」
情けない声を上げながら、ティオも立ち上げり、リラの後へと続く。
この分の足の速さだと、荷馬車の商人が居る場所まですぐに着きそうだなとティオは、リラに見えないようにそっとため息を吐いていた。




