踊るもの
朝一番で村を出てきたにも関わらず、やっと隣町に辿り着いたのは夕方だった。やはり、自分に体力がないため、休憩を挟みながら歩いてしまったのが原因だ。この旅で少しくらいは体力がつくといいのだが。
「ふぅ……ルシェは大丈夫?」
ティオは頭の上に乗っているルシェの方を向いて、優しく頭を撫でながら聞いてみる。
「ピィ!」
元気そうにルシェが返事をする。キエト村から隣町マグリノまでの道のりは人が全く通らなかったため、ティオは出来るだけルシェが顔を出せるようにフードだけはとっていてあげていた。
折角、外の世界へと行くのだから、色んなものを見せてあげたかった。
「これから、町に入るけど、絶対に鳴いたり、姿を見せちゃ駄目だよ? 竜だって知られてしまうからね」
「ピィ? ピィッ!」
その意味を理解しているのか分からないが、返事だけは勢いがいい。
ティオはルシェにフードを被せて、自分の鞄の中へと顔だけが出るようにそっと入れて、さらに自分はマントをそっと覆った。こうすれば外から自分が竜を隠しているとは思われないだろう。ルシェが鳴かなければの話だが。
「じゃあ、今から宿を探しに行くけれど、絶対に大人しくしていてね」
大地の竜にあろうことか、このようなお願いをしているのは世界で自分だけであろう。
ティオは深呼吸して、マグリノの町の木で出来た門をくぐった。
この町はキエト村に比べると、人口も多く商業は農業の他に様々な店があり、商品の売買によって成り立っている町で、かなり賑わいがあるのが特徴だ。
また、医者もいるため、キエト村の人間はここまで訪れることもある。
「そういえば、僕ってあの村を出るの初めてだった……」
きょろきょろと物珍しそうにティオは周りの人や店などを見ていく。しかし、もう辺りが夕暮れになってきているためか人はまばらで、殆どの店は閉まりかけていた。
どこに宿屋があるのだろうか、暫く歩いていると、ベッドの絵が描かれた看板が軒先に吊るされている家が目に入る。
「あっ、あそこかも」
ティオはすぐにその店へと駆け寄り、恐る恐る扉を開けていく。
「こ、こんばんは……」
扉を開けると、カランと鈴が鳴る音が響く。自分の小さい声が聞こえているといいが、そう思いティオは静かに中へと入っていく。
「はいよ」
すぐさま、声がしてその方へ振り向くと長い台のような机の向こう側に小太りで眼鏡をかけた初老の男性が何かの読み物から顔を上げて答えた。
「おや、見ない顔だね。旅人かい?」
店主と思わしき男性は少し眼鏡を上げながら尋ねてくる。
「は、はいっ……! あの、部屋を一晩お借りしたいんですけれど……。空いてますか?」
「空いてるよ。坊ちゃん、一人で旅しているのかい? 小さいのに偉いねぇ」
ティオは十四歳だが、年齢より若く見られることはよくある事だ。
店主の言葉に苦笑いしながらティオは答えた。
「あの、安い部屋でいいんです。一晩寝られる場所があれば……」
出来るだけ、ポリスから貰ったお金は大切に使いたい。この先、どれ程のお金が必要になるか分からないからだ。
「あるとも。暖炉は付いてなくて、間取りが悪いせいで薄暗く、食事も付いていないが、とても安い部屋があるよ」
「本当ですかっ」
思わず嬉しそうに答えてしまうと、店主はそんなティオを見て小さく笑った。人柄の良さそうな店主で良かったとティオはほっとする。
「あぁ。だが、食事は出ないから、そこにある酒場で摂ってもらう事になるが、構わんかね?」
「はいっ! 大丈夫です!」
「こっちが部屋の鍵だ。先に宿代を貰ってもいいかね。一泊で銅貨7枚だ」
「あっ、はい」
ティオはすぐにポリスから貰った小袋から銅貨を7枚選び出して店主へと渡す。
「はい、どうも。もう酒場は開いていると思うから行っておいで。たまに、踊り子や楽器を演奏する人もいるから、凄く賑わっている場所だが……。酒に酔っている奴が多いからね。変な奴らに絡まれないように気を付けるんだよ」
「はい! ありがとうございます!」
ティオは店主に深く一礼してから、渡された鍵の部屋へと向かい、重い荷物だけを下ろして早速、酒場へと向かう。
勿論、マントの下には鞄に入ったルシェが隠れたままである。誰も見ていない事を確認してから、ティオはマントの下へと呼びかける。
「今から、ちょっとだけご飯を食べに行ってくるから、人がたくさんいるけれど……静かにしているんだよ?」
今度は鳴かないで、こくこくっとルシェは頷く。少しずつだが、言葉をしっかりと理解しているのが分かる。竜という生き物はよっぽど頭が良いらしい。
ティオは宿屋の店主に教えてもらった通りに酒場へと向かった。酒と肉の絵が描かれた看板の店の中は、扉を隔てていても分かる程、中が騒がしいのが分かる。
こういった場所に入るのも初めてなティオは少々緊張しながら、扉を開けていく。外よりもランプの明かりが沢山あるためか酒場の中は明るく、楽しい声が行き交っていた。
「あら、可愛い坊やね。お一人?」
すぐ近くにいた給仕のような若い女性がこちらへ振り向く。
「は、はいっ! え、っと……その、そこの宿屋さんが夕食を摂るならここがいいって……」
「あぁ、あの宿屋から来たのね。何がいいかしら? 大体どんなものでも作れるわよ?」
ティオは周りのテーブルに座って豪快な料理を食べながら酒を浴びるように飲んでいる男達を見渡す。少し、羨ましく思うが自分は彼らと違う。
ティオは困ったような表情で給仕の女性に告げた。
「あの、この店で一番安い食べ物でいいので何か貰えませんか?」
「え? 安いもの? うーん……それだとパンだけになるけれど、いいの?」
「はい、お願いします」
「そう? あ、じゃあ席はあの場所が空いてるから、あそこに座って待っていてね」
給仕の女性は少し同情しているかのような曖昧な笑みを浮かべて、厨房の方へと向かって行く。
ティオは指定された一番端の奥の席へと向かった。
他の客である男達はすでに酔っているのか、酒の匂いがきつい。
酒なんて、キエト村では収穫祭の時だけしか飲めない高級品だと思っていたが、きっとここで食事をしながら騒いでいる人達にとっては、毎日当たり前に飲めるものなのだろう。
……皆、きっと今頃まで働いているだろうな。
日が暮れて、周りが見えなくなるまで必死に働き、朝日が昇ると同時に起きて仕事を始める人達だ。自分はその代表として、聖都へと向かっている。それを自覚して、過ごさなければならない。
そういえば、お昼は小さな木の実と水しか摂取していなかったので、とてもお腹が空いていたことを忘れていた。
今となって、ぐぅ、と大きく腹の音が鳴るが、周りが騒がしいので聞こえてはいないだろう。
「はい、お待たせ」
「あ、ありがとうございます」
給仕の女性が持ってきたのは二つのパンでしかも、コップの中には牛乳まで入っている。
「あの、えっと……パンは一つだけで……」
何故だろうと思いつつ、困惑した表情でティオは給仕の女性を上目遣いで顔を伺った。
「ふふっ、おまけよ。おまけ。でも、他の人には内緒にしていてね? あまりあなただけにサービスすると苦情が来ちゃうから」
そういって彼女はウィンクを軽くしてから、何でもなさそうに厨房へと戻っていく。
どうやら、自分が我慢している事を知っていてか、サービスしてくれたらしい。知らない人からの優しさにティオは少しだけ胸が熱くなり、心の中でお礼を言った。
自分の知らない世界には本当に沢山の色んな人間がいるのだと改めて実感する。きっと、大地の竜がいなくなってしまったら、ここに居る人達もこんな風に毎日楽しく過ごせなくなるかもしれない。
ティオは周りが自分に目を向けていない事を確認してから、パンを小さく千切ったものをマントの下に居るルシェの口元へと持って行く。
最初は首を傾げていたが、鼻でくんくんと何かを確認するように嗅いでから、ぱくっとパンを口へと含んだ。そして、その味が満足したのかあっという間に食べてしまう。
竜という生き物が水や空気で過ごせるとは言えルシェもやはり腹が減っていたのだろう。勢いよく口をもぐもぐしながらパンを食べていった。
「よっ! 待ってましたー!!」
「うおお! リラちゃん!!」
突然の雄たけびに近い声が店内に響く。
何事だろうと思ってその方向へと顔を向けると、床よりも少し高くなっている舞台に、三つの小さな太鼓が繋がっている楽器を持った中年の男性の後ろから、少女がすっと現れてくる。
髪を横に二つ、後ろに一つに結んでおり、ひらひらした衣装は少女が動くたびにふわりと揺れる。
少女が構えると同時に太鼓が鳴り始める。次第にそれはテンポの速いものとなっていき、少女はそれに合わせるように、足でステップを踏み、身体全身を使って、風が舞うように踊っていた。
「わぁ……」
思わず綺麗なその舞に見とれてしまい、ティオはぽっかりと口を開けてその少女を見ていた。
村の祭りで、村人達が踊るものは違うその舞は、本当に美しいと思った。太鼓に合わせているのではなく、その少女のために太鼓が音を合わせているようにさえ思えてくる。
どのくらい彼女が踊っていたのか分からないほど、その時間はあっという間だった。
少女が舞を終える構えをとったところで、沢山の拍手が店内に鳴り響く。その拍手に答えるように彼女は右手を前へと持ってきて軽くお辞儀をしてから、舞台から降りていった。
思わず夢中で拍手をしていると隣の席に座っていた中年の男から声が掛かった。
「おう? 見ねぇ顔だな。旅人か?」
「えっ? あ、はい……」
顔が赤らんでいる事から、酒で酔っていることはあからさまに分かる。片手には酒が入っているだろう木製のジョッキのようなものが握られている。
「どうだい、さっきの踊り子。リラちゃんって言うんだが、ここの酒場で一番の人気者よぉ」
「は、はぁ……」
酔っ払いに絡まれるのは初めてなため、どう対処していいか分からず、ティオはおろおろとしながら無理やり笑顔を作る。
「いやぁ、明るくて気立てもいいし、おまけに美人でいい子なんだが、これが怒るとそりゃあ怖くてなぁ」
「誰が怖いですって?」
明るくも底から這い上がるように低い声がその男の後ろから、聞こえてティオは視線を動かした。
後ろからひょいと現れたのは、先ほどまで舞台の上で踊っていた踊り子の少女だった。少女は一瞬だけティオの方に視線を向けると、小さくウィンクした。
「うおっ、リラちゃん……」
「ダインさん、お酒飲み過ぎなんじゃない? それにツケがそろそろ溜まっているから、払わないとマスターに怒られるわよ~」
「うぐっ……今度払いに来るって、絶対っ!」
男はティオの方に向けていた身体を自分の座っているテーブルの方へと戻し、再び酒を飲み始める。
「席、座ってもいいかしら」
「えっ? あ、はいっ」
リラと呼ばれていた少女はティオに笑みを浮かべてから、正面の席へと座ってくる。
「あなた、初めて見る顔ね。どこから来たの? あっ、サーリアさん! こっちのテーブルにいつものと葡萄の飲み物を二つお願いねー」
右手を上げて、先ほどティオに食事を運んできてくれた給仕の女性に向かって声をかける。
「あ、えと……隣のキエト村から来たんです。今日はすぐそこの宿に泊まる予定、です……」
戸惑いながらもティオは何とか受け答えする。
そういえば、先ほどからルシェの様子を見ていないが大丈夫だろうか。ずっと大人しくしていてくれるのは助かるが逆に静か過ぎて心配でもある。
「そうなの。あ、じゃあ旅をしているって事?」
「そ、そういう事になります……」
ずいっと身体を乗り出してくるリラはどこか楽しそうだった。
「いいなー……。私もいつか旅をしたいって思っているの」
羨ましそうにリラが微笑みかけてくる。
「ねぇ、今からどこに行くの? 場所は決まってる?」
「えっ? そ、その……聖都、に行くんです」
一瞬、聖都に行く事を話していいのか迷ったが、竜に関することではないため、ティオは小さな声で答える。
「聖都っ? ここから凄く遠いじゃない。一人で大丈夫なの? 親御さんは?」
「……あの、一人です。僕、こう見えて十四です……」
恥ずかしそうにティオが答えると、リラは目を瞬かせて口をぽっかりと開ける。
「えぇ? 私より二つ年下だったの? あぁ、ごめんなさい。悪い意味じゃないの。ただ、もっと幼く見えちゃって」
「いえ……慣れていますから」
毎度の事なので仕方ないと思うが、もう少し年相応に見られたいものである。
「でも、そっかー……一人旅なのね。羨ましいなぁ」
「えっと、リラさん……は、ここの町にずっと住んでる人、なんですか?」
「あぁ、リラでいいわよ。あなた名前は?」
「ティオ、です」
「ティオね。分かったわ。……小さい頃は両親と一緒にこの国を旅していたらしいんだけれどね。父がこの町に来てから病に伏せて……それからはずっと、ここで暮らしてきたの」
何かを懐かしむように遠くを見つめながらリラは静かにそう話す。
その先は何となく、想像出来てしまった。
「あぁ、ごめんなさいね。別に暗い話をしたいわけじゃないの」
手を横に振りながら明るく努めるその姿はどこか、シオンを思い出す。
「はーい、リラちゃんお待たせー」
給仕の女性が麺に茸とトマトを炒めて混ぜたものと、葡萄を搾って作られた飲み物を二つ持ってくる。
「ありがとー! あ、あなたも食べなさいよ。パンだけじゃお腹膨れないでしょ?」
「えっ?」
リラは運ばれてきた料理を次々とパンが載っている皿に麺を載せていていく。
「えっ、あっ、そのっ……」
「はい、これも飲んで飲んで。あ、お金は気にしないで? 私が払うから。……誰かと一緒にご飯食べるのが好きなのよ」
有無を言わせないが、どこか彼女は寂しそうにも笑っていた。
「あ、あの、さっきの踊り……凄く、素敵でした」
「見てたの? ふふっ、ありがと」
少し照れながらそう答える表情はやはり年頃の少女と同じだった。
「……でもね。私、いつかここを出ようと思うの」
「え?」
リラは葡萄の飲み物に口を付けながら、舞台の方を見る。舞台には次の演奏者が弦楽器で何かの曲を弾いていた。
その音さえも遠くに聞こえるように、リラの声ははっきりと静かなものだった。
「お金を貯めて、この町を出て、旅をするの。色んな町や村に行って、沢山のものを見て、人と交流して……。知らない事を知って、感じていきたいの」
リラはティオと視線を交え、穏やかにそう告げた。一人で、旅をしたい。それが彼女の願いなのだろう。自分の両親達のように、世界を旅して何かを知りたいと思っているのだ。
「……凄く、素敵な夢だね」
ティオは素直にそう思った。
あやふやに生きていた自分よりも、しっかりと目標を持って、何かに向かって進もうと生きている彼女がどこか眩しいと思ったからだ。
「……うん。ありがとう」
そう言って笑う姿は本当に偽りがない、彼女本来の笑顔なのだと感じた。とても、嬉しそうに笑うリラにティオもつい、笑みが零れる。
「ティオは明日の朝にこの町を出るの?」
「うん。僕、とっても足が遅いから……、次の町に夕暮れまで辿り着ければいいんだけれど」
「ふーん、そうなの……」
何かを考えるような素振りで、リラは小さく笑みを浮かべていた。
「さて、この後も私の出番があるから時間があったら見ていってね!」
いつの間にか、料理を食べ終えていたリラは食器とコップを片手に立ち上がる。
「うん……あ、あの、そのご馳走様でした」
ティオがお礼を言うとリラは右手をひらひらしながら、厨房の方へと向かっていく。その後姿をティオは少し、懐かしげに見ていた。
……やっぱり、おばさんに似てるかも。
有無を言わせない優しさや、時折見せる寂しげな表情、そして気丈に振舞う姿。
シオンは今頃、何をしているだろうか。ちゃんとしたものを作って食事を摂っているといいが。仕事の事で、他の村人と揉めたりしていないだろうか。自分が居なくて、寂しくないだろうか。
そんな事ばかりを思い出す。
……駄目だ。しっかりしないと。
湧き上がってくる感情を、胸の奥で押し止める。
マントの下でもぞもぞと動くものに、ティオは反応し、マントの下を覗き込んだ。
「ピィ?」
まるで、大丈夫と言いたげな表情で、ルシェが首を捻っていた。生まれたての子竜にまで心配されるとは、自分もまだまだ子どもなのだと実感する。
「……大丈夫だよ。ただ、ちょっと思い出しちゃったんだ」
周りに見えないように、ティオはルシェの頭を撫でた。
大丈夫だ。自分にはルシェが居る。例え、寂しくてもこれは乗り越えなければならないのだから。
明るく楽しげな声と音の中、ティオの気持ちは誰にも気付かれない程、静かに揺らいでいた。




