12
小山暁代と彼が付き合い始めたのは、ちょうどこの頃のことだったと思う。
そのことを知ったとき、僕はしばらく何も考えられなかった。頭ではわかっているのに、気持ちがついてこなかった。
彼女はもう、僕の知っている彼女ではなかった。
いや、違う。彼女は何も変わっていない。変わったのは、僕のほうだった。彼女を見る僕の目が、それまでとは違ってしまったのだ。
思い出すのは、その二人の初デートに、なぜだか僕と谷口もついて行くことになったことだ。場所は豊島園だった。
どうせ家にいても暇だし、断る理由を探すほうがよっぽど難しかった。だからデート前日の土曜日、僕はどこか心を置き去りにしたまま、谷口と一緒に彼の家へ泊まりに行った。
その晩、三人で外に夕飯を食べに行き、家に戻ってからは、しばらくくだらない話に夢中になっていた。すると、彼が谷口と何やらヒソヒソ話を始めたんだ。二人が時々こっちをチラッと見るのが、妙に不気味だった。
やがて彼が谷口を軽く叩くと、あの生まれつきのやらしい顔で、谷口が「大野、風呂入ってこいよ」なんて言うわけだ。いつもと違って、いかにもしらじらしいんだよ。
二人の間でだけ通じ合っている企みが、僕ひとりを蚊帳の外に置いているかのように思えて、どうにも癪に障った。しかも、こういうときに限って、奴らは妙に楽しげなのだ。
再び谷口が「大野、風呂入ってこいよ」と言うので、僕は「いやだね」と言い返した。
「お前が入ってこいよ」ってね。
なぜなら、ヒソヒソ話にしても、軽く叩いたしぐさにしても、どうもうさんくさかったからだ。もっとも、一番うさんくさいのは谷口の顔だけどね。もう何かたくらんでいるのが、見え見えだったんだよ。
谷口の目が彼の目と交錯し、彼の口元にちらっと笑みが浮かんだ。続いて谷口が「じゃあ入ってこよう」なんて真面目くさった顔で言うと、彼はもう一度、谷口に視線を向けた。
「ああ、じゃあ先に入ってきちゃえよ」
こっちは全身を耳にして、ソファーに腰掛けていた。どう考えてもおかしいぞ。まるで昨日のことみたいに、よく覚えてるよ。
しばらくして風呂から出てきた谷口は、リビングの扉の取っ手をつかみ、鼻の穴をふくらませながら言った。
「大野、入ってこいよ」
まるで、それが当たり前のことみたいにね。
一度、谷口と川崎にズボンを脱がされたこともあって、僕には二人が何を考えているのか、お見通しだった。ミエミエなんだよ。お前らの浅はかな考えなんて!
だから僕は言ってやった。
「ヤダね。だって、お前ら何かたくらんでるから」
コイツら、本当にバカだからさ。意地でも風呂場になんか行くものかと思った。
彼は「大丈夫だよ」とでも言うように、額に垂れかかった髪を、頭を後ろに傾けて振り払い、僕にうっすらと微笑みかけた。
「大野、何もしないから、早く入っちゃえよ」
「何もしないのが当たり前なんです、このばかちんが!」
とにかく僕は、金八先生がスナックZで暴走族に説教したときみたいに、怒鳴りつけてやろうと思った。でも、当時はまだ金八先生のモノマネなんて流行っていなかった。だから、そんなことが頭に浮かぶはずもなく、僕は「わかったよ」と、めげない声で答えた。
「入ってくればいいんだろ」
彼は僕を風呂場まで案内すると、戸口で頭だけ突き出して笑っている、バカ丸出しの谷口と一緒にリビングへ戻っていった。
僕は用心に用心を重ねて服を脱ぎ、深く息を吸って雑念をふり払うと、風呂場に入った。で、扉の鍵を掛け、シャワーを浴びていると、お風呂場の閉じたドア越しに笑い声がして──その直後、鍵がポルターガイスト現象のようにカチャリと反時計回りに回った。「ひっ……!」手で押さえたが時すでに遅く、二人が踏みこんできた。
お前たち!なんて思ったりしたけど、ほんとのところは、嬉しくてたまらなかった。ちゃんと来ること知ってたんだよ。ちゃんと知ってて、あわてて両手で身体を隠した。半分笑いながら、半分本気で「やめ、ろ……っ!谷口ふざけんなよ!」なんて言い返したりしてね。
それをまた、谷口はちゃんと知ってて、くすくす笑いながらユーモアのある物腰で言った。「大野、お前お尻かくしてどうすんだよ」
僕は「……うるっせぇっ!谷口!」とどなった。
彼はパチパチと写真を撮りながら喜んでいた。
僕がお湯が張った浴槽に逃げようとすると、谷口は僕を捕まえにきて、浴槽に入れないようにする。
僕は谷口の手を必死に振りほどこうと、身体を激しく振って、滅茶苦茶に暴れた。
一度風呂に入ったにもかかわらず、谷口はびしょびしょになりながら僕の腕の関節をはがいじめにし、抵抗を封じた。
「嫌、だ……やめろっ……い、痛……って」
僕はそう言ってドアに向かったが、谷口に引き戻されてしまった。 風呂場でこんな真似をされているやつがいたら、普通は警察沙汰だろう。 どうなってんだ、おまえらの神経は。 これで明日、小山暁代とデートするんだっていうんだから、信じられないよ。 もう少し緊張感を持ちなさい! サウナに行って整えるとか、そういう発想はないのか! お前らの頭には。
とは言いつつ、心の中ではゲラゲラ笑っていた。お泊まりには付き物の、どうしようもなくバカげた通過儀礼みたいなものだからね。
そして「谷口、撮ったから、もういいよ」と彼が言い終わるや否や、谷口はもともといやらしい顔を、そこからさらにいやらしさを一段階上げたような顔にした。まるでこの瞬間をずっと待っていたかのような目をし、口もとには冷笑を浮かべていた。
腹立つの通り越して――その顔、マジでどうにかなんねーの?って思ったね。
そうでなくても、人の悪いアンパンみたいな顔してんだから、ジョーダンじゃないよ。と思って見てたっけ。




