6. 獣人協議会
獣人事件の被害者のマルティーヌちゃんの家はすぐに見つかった。海岸通りから一本はいった通りに並ぶマンションの一室だった。マルソーは玄関のチャイムを鳴らした。中から母親と思われる女性が出てきた。マルソーは市警のバッジを見せた。
「この度はお気の毒さまでした。少しお話を伺いたいのですが」
母親はあからさまに早く帰ってほしいという態度を示した。
「マルティーヌはショックで話ができる状態ではありません」
「そうでしょうね。いきなり獣人に襲われたんですからね」
「いいえ、違います」
「どういうことですか?」
「他の警察の方にもお話したんですが、仲が良かったフランシスくんが獣人だったこと、そして射殺されたことがショックだったのです」
「仲が良かった?」
「フランシスはマルティーヌが幼稚園のときからのお友達でしたの。昨日もジュニアスクールの帰り道に一緒に帰っているときに、突如あのフランシスが獣人になってしまったのです」
「それまで獣人だったことは知らなかったのですね?」
「ええ、私も娘も知りませんでした。もしかすると、フランシスくん自身も知らなかったのかもしれません」
「それはどういうことですか?」
「以前獣人の事件があったとき、フランシスくんが『獣人が襲ってきたら僕が助けてあげる』と娘に言っていたからです」
マルソーは、考え込んでしまった。獣人と知らずに獣人に変態することがあるんだろうか?
「急に獣人になったんですね?」
「娘が言うには何かのジュースをフランシスが飲んだら、いきなり苦しみ始めて、獣人に変態したようです」
「どんなジュースですか?」
「『レモナード』とかいうジュースだったと思います」
「『レモナード』?最近売り出した新製品のジュースですね。どこで買ったのでしょうか?」
「娘が言うには、学校の門のところで無料で配っていたらしいです」
「そうですか。ありがとうございました」
マルソーは母親にお礼を言って、その家を辞した。
車に戻るとベルクソンが話しかけてきた。
「その『レモナード』を飲んで、急に獣人に変態するなんてありえるのか?」
「まだわからん。『獣人協議会』へ行って確認するか?」
「そうしたいところだが、『紅薔薇』の捜査もあるからな」
「『紅薔薇』はそう簡単には捕まらないよ。それより『獣人協議会』に確認に行こう。確か、ルネール通りにモンテベルノ支部があったはずだ」
マルソーはベルクソンにそっちへ車を回すように促した。ベルクソンは仕方なく車をルネール通りに向けた。
獣人協議会のモンテベルノ支部は12階建てのビジネスビルの12階の一室にあった。マルソーは、そのビルの1階にあったスーパーマーケットに入ると、新製品の『レモナード』を2本買った。そして、1本を開けグビグビ飲んだ。レモンの香りのする炭酸ジュースだ。どうということはない。
マルソーは飲み干したビンをゴミ箱に捨てると、もう一本をぶら下げて、ベルクソンとともに獣人協議会の支部へ向かった。
ドアをノックすると、内側からドアが開き、若い女性事務員がドアを開けてくれた。
デスクが4つと応接セットがある小さな事務所だった。部屋の中には女子事務員をいれて3人がいた。マルソーは警察バッチをみせながら部屋に入った。部屋の中は獣の臭いがかすかに漂っている気がした。奥の席に座っていた支部長らしい年配の人物が立ち上がり、応接のソファに腰かけるようにうながした。
女子事務員はお茶を入れに行った。もう一人は若い男性で一生懸命パソコンに入力をしている。
「そろそろ警察の方がお見えになると思っていましたよ。昨日の獣人の子供の事件ですね?」
そういうと名刺を差し出した。獣人協議会モンテベルノ支部長オランドと書かれていた。
「そうだ。射殺された獣人について教えてほしい」
「すみません、今回射殺された獣人は協議会に未登録の方で、うちには情報がありません」
「未登録?」
「獣人の方は申告をしていただかないとわからないのです。このモンテベルノには現在約10,000人の獣人が当協議会に登録いただいていますが、実際にはその3倍以上はいらっしゃると考えています。今回の獣人の子供も未登録でした」
「そんなことがあるのか」
とマルソーは驚いた。
オランド支部長は、
「最近は5歳になると獣人検査を受けてもらいます。そこで陽性反応があれば、獣人登録をしていただきます。しかし、この制度はまだ始まって3年なのでそれより以前に5歳に到達していた人はわからないのです」
「今回は9歳だからぎりぎり間に合っていないということか」
「ええ、政府のおかげで獣人には補助金がでるようになり、登録者も増えては来ているのですが、まだまだ自分が獣人であることを知られたくない方もたくさんいるようです」
まあそうだろうなとマルソーは思った。横からベリクソンが質問した。
「今回の獣人はチンパンジーに変態したらしいが、獣人はどんな動物にも変態できるのか?」
「太古の時代からさまざまな動物の遺伝子が我々には残っているのです。でも我々も何か一つの動物の遺伝子だけが強く出て、その動物に変態するといわれています。多いのは犬や猫、それに猿の仲間ですね。ちなみに私も猫ですが…」
そういえば市警の報告書にもそんなことが書いてあったような気がする。
続けてマルソーが質問した。
「変態しない獣人もいるのか?」
「いえ、獣人は必ず変態できます」
「ふうん、で、どんな時に獣人は変態するんだ?」
「変態についてのきっかけは様々ですが、主に感情が高ぶったときになるようです。また、自分の意思で変態できるともいわれています。昔から言われている満月で変態するというのはあまり聞きません。物を見て変態することはないようです」
マルソーは、先ほど買ったレモナードの瓶を机に置くと、
「被害者の母親に聞いたところによると、この『レモナード』という飲み物を飲んで急に変態したというんだが」
「ほう」
「飲んでみるかい?」
「私が変態するとでも?いいでしょう」
オランドは女子事務員にコップを持ってこさせた。そして、レモナードの栓を開けて、コップに注ぎ一気に飲み干した。何も起こらなかった。
オランドは、
「もう少し冷えているほうがおいしい気がします」
皮肉交じりに言った。
マルソーは万一オランドが変態した時に備えて、ポケットに隠した拳銃のグリップを握っていたが、オランドが何の変化も示さないのを見て手を離した。
「感情が高ぶったときに変態するとしたら、もっと獣人をたくさん見かけてもいいはずだが…」
「刑事さん、獣人といってもそんなに頻繁に変態したりしませんよ。それに今は薬もありますから」
「薬?」
「変態を押さえる薬です。変態はホルモンのバランスが崩れることで起こることがわかっています。それなので、ホルモンを押さえる薬さえ飲めば、不意に変態することはまずありません。自ら変態しようと思えば別ですが・・・」
「あなたも今その薬を服用しているのか?」
「ええ、ほぼ毎日」
「例えば、今回の獣人がその薬を服用してなくて、レモナードが原因だったということは考えられないか?」
「可能性がないわけではないと思います。レモンのような柑橘系をふだん食することがなく、刺激を受けたとかならあり得るかもしれません。もしそうなら私たちも獣人の方たちに注意喚起する必要があります。もし何かわかったらお知らせいただけませんか?」
「わかった、約束する。ありがとう、参考になった」
マルソーはベルクソンとともに獣人協議会のモンテベルノ支部を辞去した。
「獣人はここ最近市民権を得ているが、まだまだ俺たちにはわからないことだらけだ」
とマルソーはつぶやいた。
車に戻ると、二人は警察署へ向かった。




