5. ガニェール事務所
マルソーとエリクソンの二人は代議士のガニェール氏の事務所のビルに到着した。何人かの野次馬の間を抜け、立ち入り禁止のロープをくぐって中に入った。
「ガニェールの野郎、いい気味だよな」
と野次馬の一人がつぶやいた。一般市民は泥棒の味方らしい。
事務所に上がる前に建物の周囲を観察した。ベルクソンは持参した資料に目を通して、
「あの非常階段から侵入したらしい」
と言った。二人は非常階段を9階まであがった。9階の扉には鍵がかかっていた。巨体のベルクソンは上がってくるだけで息が切れていた。
すぐ隣のベランダの窓にはセンサーが取り付けてあって、ガラスの一部がきれいに切り取られていた。切り取ったガラスは非常階段の端に置かれていた。
「この窓のセンサーが鳴って、警備員が駆け付けたらしい」
二人は非常階段をもう一度1階まで降り、正面玄関から建物の中に入っていった。
ベリクソンはすでに足がもつれていた。
エレベータで9階に着くと、目の前に廊下があり、フロアすべてがガニェール氏の事務所になっていた。マルソーが見上げると監視カメラが2台設置されていた。
事務所の中には若い刑事と事件当時最初に駆け付けた警備員がいた。
ベルクソンは若い刑事に手を上げて挨拶をした。
「誰だい?」
マルソーが尋ねた。
「今度窃盗係に配属されたピカール刑事だ」
とベルクソンが答えた。
ピカール刑事は、マルソーに向かって
「マルソー刑事ですね。お噂は伺っています。いくつもの難事件を解決されていますよね。お会いできて光栄です」
と握手を求めてきた。マルソーは軽く手を握り、
「それで、何かわかったのか?」
「ええ、警備員たちは警報を受けてから5分後には到着し、ビルと近辺の道路を捜索しましたが、全く人影を見なかったと言っています。また、到着時にはこの部屋の鍵はかかっていました。その後、警備員の一人が非常階段側の窓が壊されているのを発見しました。この金庫は電子ロックされていたので、ここの秘書の方に連絡をして金庫を開けてみると現金が盗まれていた状況です」
事情聴取を受けていた警備員は、ピカール刑事の言葉に付け足すように、
「我々が到着した時には、道路にも建物にも全く人影は見当たりませんでした」
「我々?」
マルソーが尋ねた。
「私たち警備員はいつも3人組で警備に当たります。今回は、一人が非常階段から、私ともう一人が正面入り口からエレベータで9階へ駆け付けました。警報が鳴ってから4分45秒です」
「そこには誰もいなかった…」
「そうです。それどころか、全く荒らされた形跡がなく、非常階段に通じるベランダの窓が切り取られていなければ、誤報だと思うほどでした。秘書の方も警報を聞いて駆けつけて、そして金庫を解錠すると紅い薔薇とこの手紙がはいっていました」
「金庫の中にそれ以外のものは?」
「ええ、札束がかなり見えました。全部を盗んではいないんだと思いました」
「どのくらいの金額が残っていたんだ?」
「そこまではわかりません」
マルソーはデスクの上に置かれた手紙のコピーを見た。現物は鑑識に回されている。文面は捜査会議で報告されたものと同じだった。さらにマルソーは鋭い目つきで辺りを見渡しながら、
「それで若い刑事さんはどんな推理をするのかな?」
「犯人は非常階段から室内に入り、警報が鳴ったので急いで金庫を開け、エレベータから降りて逃走したのではないかと…」
「窓ガラスを切り取り、この金庫を開け、現金の一部を盗んで、金庫の扉の鍵を締めて、さらに入口の扉にも鍵をかけてからエレベータでこの建物から5分以内で出て行ったと?」
「しかし、ここは9階です。非常階段はどんなに急いで降りても1分はかかります。侵入し、あの金庫を開けるのに3分としても、警備員には必ず出くわしているはずです」
マルソーは若い刑事の推理を聞きながら、部屋の隅にある動物の檻に気が付き、鍵が壊されているのを調べていた。
今度はベルクソンがピカール刑事に尋ねた。
「盗まれたのは50万ドルなのか?それとも犯人が言う25万ドルなのか?」
と、尋ねた。ピカール刑事は、手帳を見ながら、
「この金庫には75万ドル入っていたと秘書の方が言っています。25万ドル残っていたので、奪われたのは50万ドルとなります」
マルソーは、片方の眉をあげ、
「ベルクソン、この若い刑事殿に少し疑うことを教えてやったらどうだ」
ベルクソンは両手の手のひらを上に向け、肩をすくめた。
マルソーはチッと舌打ちをして、
「若い刑事さんの言う通りなら、廊下の監視カメラに逃走する犯人が映っているはずだから調べてみるといい。たぶん、何も映ってないと思うがね。犯人が非常階段から侵入したときは、警報は鳴らなかったと考えるのが妥当だ。おそらく防犯誤作動装置のようなものを使ったんだろう。そして悠々と現金を強奪した。それから防犯誤作動装置を外したときに初めて警報が鳴り始めたんだろう。強奪したのは25万ドルだ。金庫の中にある現金を残していく泥棒は普通はいない。しかし、こいつは違う。目的があって目的の金額を盗んでいる。いまごろ秘書の奴は75万ドルがあったように帳簿を改ざんしているだろう。それで保険会社に請求して儲かる仕組みだ」
若いピカール刑事は、ポカンと口を開けていた。
そこへドアを開けて、ガニェール代議士の秘書が現れた。秘書はボネールと名乗った。銀縁のメガネをかけ髪も銀髪で、その髪をポマードでなでつけた神経質そうな奴だった。秘書のボネールは人を小馬鹿にしたような声で、
「刑事の皆さん、お疲れ様です。捜査は進んでいますか?早く盗まれた50万ドルを取り返してくださいね」
ベルクソンは咬みつきそうな顔で、
「うるさい、まだ捜査中だ!」
「おやおや、その様子ではあまり進んでいませんね。『紅薔薇』というコソ泥をしっかり捕まえてくださいね」
「お前に言われなくてもわかってる」
マルソーはなだめるようにベルクソンの肩を叩いた。そして、先ほどの檻を指さしてボネールに向かって、
「あの檻に入っていたのは何だ?」
と尋ねた。
「あれは別に。これから子犬でも飼おうと思いましてね」
「ふうん、鍵が壊されているのにか?」
ボネールはそれに対して返事はしなかったが、明らかに何かを隠そうとしていた。
「まあいい。しかし、協力をしてもらわないと捜査が進まないぞ」
マルソーは、ベルクソンの腕を捕まえて、出口に向かった。
「さあ行こうぜ。もう、ここには用はない」
ボネールは銀縁メガネから用心深く刑事を見送った。
それから、別室に行き、あたりに誰もいないことを確認すると携帯電話を取り出し、
「はい、まだ捜査の進展はないようです。わかっています。金はともかくあの文書を取り戻さなければ。こちらはこちらで必ず奴を見つけ出します」
警察署に戻る途中、ベルクソンは海岸通りに車を走らせていた。まだ、秘書の態度に頭にきている様子だった。
マルソーは考え事をしながら窓の外を眺めていたが、
「ここは海岸通りじゃないか?」
「こっちのほうが市警には近道だよ」
と、ベルクソンが得意気に言った。
マルソーは背もたれを起こして、窓の外の住宅地を見た。
「ちょっと車を止めろ」
「どうしたんだ?」
ベルクソンが車を道の端に寄せて尋ねた。
「昨日の獣人事件の被害者宅が確かこのあたりなんだ。ちょっと待っててくれ」
「しょうがないなあ。お前の本来の担当事件だしな。じゃあ俺も一緒に行くよ」
二人は車を降り、昨日起きた獣人事件の被害者のマルティーヌちゃんの自宅に向かった。




