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4. 喫茶店『カフェ・リディ』

 エクレール大通りから、モンテベルノ市警察署の通りを挟んだ向かい側のビルの前に、ジャン・ルイは大型スクーターを止めた。そのビルの一階に喫茶店『カフェ・リディ』があった。

 サイアは飛び降りると、大きく背筋を伸ばした。

「スクーターは初めて乗ったけどなかなか気持ちいいわね。でもずっと同じ姿勢でいなければならないからちょっとつらいわ」

「文句をいうなら乗らなくてもいいぜ」


 ジャン・ルイは大型スクーターから降りた。アタッシュケースを荷台から取り出すとそれを持って、一階の喫茶店に向かった。

「ここがオレの昼間の職場さ」

 ジャン・ルイは店の扉を開けて中に入った。扉を開けるとカランコロンとドアベルが鳴った。看板には『Café Lydie』と書いてあった。

「おはようございます、マスター」

「ジャン君、おはよう」


 店のマスターのクロードが挨拶を返した。クロードはジャン・ルイの育ての親であるルブランの親友だった。

 年齢は50歳ぐらいの小太りで髪は少し薄くなっていた。陽気で誰にでも優しい雰囲気だった。

 ルブランが亡くなった後、ジャン・ルイはクロードを頼って2年前にモンテベルノに移り住んだ。そして、クロードが経営する喫茶店で働いている。


「遅くなってすみません」

「気にしなくていいよ。まだ開店まで十分な時間があるよ。君には感謝しているよ。イケメンのジャン君が来てくれてから、女性客がぐんと増えたよ。では、いつものようにカウンターの準備をお願い」

「はい、わかりました」

 ジャンは主に珈琲、紅茶、ハーブティーを淹れる担当をしていた。特に紅茶やハーブは専門店なので、豊富な種類を取り揃えている。それらの一つ一つの味や香りそして効能をジャン・ルイはすべて覚えていた。


 マスターは、ジャン・ルイとともに入ってきたサイアを見て、

「猫を飼ったの?」

「ええ、昨日拾ってきました」

「なかなか毛並みのいい猫だね。シャム猫かな。名前は?」

「サイアです」

 マスターはサイアに向かって、

「サイアちゃん、なるべくおとなしくしてね」

 と声をかけた。サイアはそれに答えるように

「ミィーヤオ」

 と鳴いた。

「なかなか賢そうだ」

「営業の邪魔はしないと思いますよ」

 とジャン・ルイは言い、黒いエプロンを着て湯を沸かした。

 それから扉の看板を『営業中』に変えた。営業時間は9時から19時になっている。いまちょうど9時だ。


 サイアはカウンターのスツールに登り、あたりを見回した。7人座れるLの字のカウンターと4人がけのテーブルが6つ配置されていた。カウンターの後ろの棚には、コーヒー豆や紅茶の葉、それにハーブの葉がずらりと並んでいた。店内のテーブルや椅子はダークブラウンの落ち着いた色調で統一されていた。

 ジャン・ルイが棚の上のオーディオのスイッチを入れると、スローテンポなジャズが流れた。

「なかなかオシャレなお店じゃない?」

 とサイアはジャン・ルイだけに聞こえるように話した。

「ありがとう。一応これでも紅茶の専門店で通ってる」


 そこへ女の子が入ってきた。

「おはようございます。マスター。それからジャン君、おはよう」

 ジャン・ルイと同じく喫茶店のアルバイトをしているイザベルだった。彼女はアリシア大学に通う学生で、授業がないときに店を手伝ってくれていた。亜麻色の髪で瞳が大きく可愛らしい顔をしている。この店では男性は彼女のファンが多い。もちろん女性はイケメンのジャン・ルイのファンばかりだ。


「おはよう、イザベル。今日もよろしく」

 とマスターが答えた。

「よろしくお願いします」

 彼女は奥の部屋に荷物を置くと、白いワンピースに黒いエプロンをつけて出てきた。そして、

「マスター、アッサムの葉とミントが切れかかってます」

「わかった。電話するから後でいつもの問屋で買ってきてくれないか?それとランチのサンドイッチ用のトマトとレタスも」

「わかりました」

 そしてサイアに気が付くと、

「まあ可愛い子猫ちゃん」

 イザベルはサイアの喉を撫でた。サイアは気持ちよさそうにしていた。

「マスター、どうしたんですか?この子猫」

「ジャン君が拾ったんだよ。私も今日挨拶したところだよ」

「可愛い。ずっといてもらいましょ」


 その時、ドアが開き、お客が二人入ってきた。

「いらっしゃいませ」 

 ジャン・ルイとイザベルは笑顔で出迎えた。モンテベルノ市警のマルソー刑事とベルクソン刑事だった。

 二人はカウンターに腰かけた。

「おはよう、イザベルちゃん。今日も可愛いね」

「おはようございます。ベルクソンさん、お上手だこと。ではマスター買い物に行ってきます」

「よろしく」


 大柄のベルクソンがちょこんとスツールに座った。彼は棚の茶葉を眺めながら、

「ジャンくん、美味しい紅茶が飲みたい」

「どのようなものにいたしましょうか?」

 ジャン・ルイは沸かした湯の火を止めて尋ねた。

「ちょっと刺激的な奴がいいな」

「ではウバなどいかがでしょう。ちょっとミント系の味がします」

「では、それをいただこう。マルソーは何にする?」

「ベルクソン、お前に紅茶の味なんかわかるのか?どれを飲んでも同じ味だろう?」

「馬鹿にするな。今この店で修業中だ。こんなに紅茶の種類が豊富でこんなに安い店はほかにはないからな」

 マルソー刑事はベルクソンの真面目な顔を見て吹き出しそうになった。それから、

「おれはコーヒーの濃い奴をくれ」

 と注文した。

「ではエスプレッソはいかがでしょうか?」

 マルソーは頷いた。


 ベルクソンはサイアを見つけ、

「おや、かわいい猫だね」

 サイアは喉をくすぐられながら

「ミィーヤオ」と鳴いた。

 それからベルクソンはジャン・ルイのほうを向き直り、

「ジャン君、また『紅薔薇』が出たんだよ」

「ええ、ニュースで見ました。なんでも50万ドル盗んだとか…」

 と、ジャン・ルイはカップを磨きながら関心のないふりをして答えた。

「警察官のおれがいうのも不謹慎だが、奴はいい仕事をしてるよ。金を盗むのは良くないが、これで代議士のガニェール氏がローアル福祉施設への交付金を横領していたきっかけがつかめたからな」

 マルソーが横からベルクソンを小突いた。余計なことをしゃべるなという意味である。

「大丈夫だよ、マルソー。この店は市警の御用達だ。守秘義務は守ってくれるよ。な、ジャン君、マスター」

「もちろんです」

 とマスターが答えた。


 ジャン・ルイは二人が注文した紅茶と珈琲を整った所作で差出した。

「これからマルソーと二人で『紅薔薇』の聞き込みなんだ」

 と、ベルクソンが紅茶を啜りながら言った。

「大変ですね。でも、マルソー刑事は確か凶悪事件の専門でしたよね?」

 と、ジャン・ルイが尋ねた。

「今回は俺の仕事を手伝ってくれることになったんだ」

 ベルクソンはそう言ってマルソーの肩を叩いた。マルソーはエスプレッソを啜りながら、

「不本意ながらこの馬鹿な大男の手伝いをすることになった。今まで全く証拠を残さない『紅薔薇』だから、今回も捕まえるのは難しいと思うがね。さて、そろそろ聞き込みに行かないとまた課長にどやされるぞ」

「そうだな、ごちそうさま」

 二人は飲み物代をカウンターに置くと、手を振って出て行った。


 二人を見送ると、マスターはジャン・ルイの耳元で、

「夜の仕事はほどほどにね」

 とウィンクしながら小声でささやいた。

 マスターはジャン・ルイが『紅薔薇』であることを知っている。

 というより協力者だった。ジャン・ルイの育ての親のルブランは一世を風靡した盗賊団『黒豹』の棟梁だった。『黒豹』は主に裕福な金持ちや貴族から金品を奪っていた。いまのジャン・ルイの『紅薔薇』とよく似たことをやっていた。しかし、もっと大がかりで盗む金額も大きかった。


 ジャン・ルイは幼いころ船が難破し、両親は行方不明になり、海岸に打ち上げられたところをルブランに拾われた。そしてルブランから盗賊のスキルを教え込まれた。

 そして、マスターであるクロードはそのルブランの右腕だった。特に情報収集にかけては彼の右に出るものはいなかった。約20年ものあいだ市警のそばの喫茶店で信頼を勝ち取り、いつも最新の情報を手にしていた。


 喫茶店を出たマルソーとベリクソンは警察者の駐車場に向かった。

 そして、マルソーはベルクソンが用意した市警の覆面パトカーの助手席に乗り込んだ。

「どこから聞き込みを始めるんだ?」

 と、マルソーは車をスタートさせたベルクソンに尋ねた。

「被害者のガニェール氏の事務所に行こう。そこに事情聴取を受けている当時の警備員もいるはずだ」

「被害者ねぇ…」

 マルソーは助手席の背もたれを倒して、あくびをしながら窓の景色を眺めた。

 二人はエクレール大通りの代議士のガニェール氏の事務所のビルに向かった。


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