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3.ミレーヌ嬢

 翌朝、ジャン・ルイが目を覚ますと、天窓から登ったばかりの朝日が差し込んでいた。まだ時間は早い。気がつくとシャム猫のサイアがベッドの隣で眠っていた。ソファで寝ろと言ったはずなのに…。

 ジャン・ルイはサイアを起こさないようにそっとベッドから起き上がり、コーヒーを淹れるためにポットを火にかけた。それから、音量を落としてテレビをつけた。ちょうど昨夜の事件のニュースをやっていた。


「…昨夜、エクレール大通りにある代議士のガニェール氏の事務所に何者かが侵入し現金50万ドルを強奪した模様です…」

 やりやがったな。ジャン・ルイはサイフォンで淹れたコーヒーをすすりながらニュースを見て舌打ちした。盗んだのは50万ドルじゃない、25万ドルだ。そのうち20万ドルはロアール福祉施設に届けた。50万ドルって金額を水増しして言ったのは、たぶん、保険会社からごっそりふんだくる気だろう。


 そこへシャム猫のサイアが起きてきて、ソファの上にひょいと飛び乗った。

「きのうのあなたの事件ね。ニュースで言ってた『紅薔薇』ってあなたのことなのね」

「まあね。この街で一番有名な泥棒さ」

「あら、私は『紅薔薇』なんて聞いたこともなかったわ」

「これから覚えておくんだな。もっと有名になるぞ。そういえばきみのことは一言も出なかったな」

「まさか誘拐してた猫が盗まれたとはいえないでしょ」

「そりゃそうだ」


 ジャン・ルイはテレビを消して立ち上がった。

「さてと、トレーニングでもするか」

「トレーニング?」

 ジャン・ルイはサイアについてくるように言い、いっしょに階段を降りた。倉庫の1階にはジープを停めてある奥にトレーニング用のジムの機械が並んでいた。

「泥棒は体力が勝負だからね。毎朝欠かさず筋トレをやってるんだ」

 ジャン・ルイはそう言うとそのうちの一つの機械に腰掛けて腹筋を鍛え始めた。サイアはあきれた顔でその様子を見ていたが、やがて飽きてしまったようで、

「がんばってね。私はその辺を散歩してくるわ」

 と、尻尾をピンと立てて細く開いた扉から外へ出て行った。


 腹筋のトレーニングが終わると、バーベルやその他の器具を使い、腕の筋肉、足の筋肉を鍛えた。さらに縄跳びとシャドーボクシングを行った。

 ジャン・ルイは体を鍛えるのが好きだった。自分の思い通りに体が動くことに満足をおぼえた。体格は細めだったが、筋肉が発達し、敏捷さでは誰にも負けないと自負していた。


 たっぷり一時間、全身が汗びっしょりになるまで体を動かした。

 そこへサイアが戻ってきた。ジャン・ルイのトレーニングがひと段落したのを見て、サイアが話しかけた。

「この倉庫の裏に真紅の薔薇がたくさん咲いていたわ」

「あの薔薇はあそこにしか咲かない貴重な薔薇なんだ」

「そうなの」

「朝飯は食べるかい?」

「いえ、結構よ。いまそこで新鮮なお魚を頂戴したから」

「魚?」

「ここはすぐそばが港でしょ。お散歩をしてたら漁師さんが漁から戻ってきたところに出会ったの。そこでお魚を分けてもらったわ。久しぶりに生のお魚を食べたわ。おいしかった」

「そうか、それはよかった」

「気にしないで。あなたは朝ご飯を食べていいのよ」

「いや、おれはいつも朝飯は食べない。じゃあオレは出かけるよ」

「どこへ?」

「職場に」

「泥棒の?」

「いいや違うよ。昼間は喫茶店でアルバイトしてるのさ。いつも9時が開店だからそろそろ行かないと」


 ジャン・ルイは2階へあがると、着ていた服を脱ぎ捨て、真っ白なボタンダウンのシャツを着て、コットンのズボンをはき、バックスキンのベストを着た。そしてアタッシュケースにノートパソコンを1台詰め込んだ。

 サイアは、

「喫茶店ね、面白そうだからいってみようかしら」

 と、ジャン・ルイに言った。


 ジャン・ルイはベージュのハンチング帽を被り、サングラスをかけた。そしてジープの横に停めていた大型のスクーターの荷台にアタッシュケースを放りこんだ。サイアが後部座席に飛び乗った。

「振り落とされないようにしっかりつかまっていろよ」

 そう言うと、大型スクーターを発進させた。スクーターは低い爆音を立てながら滑り出した。サイアは後部座席に爪を立てて乗っていた。


 ジャン・ルイは街の中心に向かってスクーターを走らせた。サイアを振り落とさないようにいつもよりは速度を落として運転していた。それでも顔にあたる風は心地よかった。

 スクーターはルネール通りから左への脇道へ入った。コルセー通りはこの時間渋滞するので、住宅街を抜けて近道をするつもりだった。このあたりは小高い丘になっていて、いくつかの私立のジュニアハイスクールがあった。ちょうど通学時間なのだろう、はしゃぎながら歩く思春期のお嬢様学生たちと何人かすれ違った。


 もう少しでコルセー通り出る下り坂に差し掛かるところで、

「きゃああああ」

 という声が聞こえた。それは騒いでいる声ではなく、助けを求める悲鳴に聞こえた。ジャン・ルイは大型スクーターを声がした路地へ向けた。

 そこには、1人の女子学生が3人の男に囲まれ、背の高いミニバンに押し込まれそうになっていた光景があった。ジャン・ルイは大型スクーターのクラクションを鳴らした。


 三人の男たちは一斉に大型スクーターに乗ったジャン・ルイを見た。

 ジャン・ルイがひとりであるのを見て、そのうち一番大柄の男が女子学生から手を離し、威圧的にずんずんとジャン・ルイのほうに近づいてきた。ジャン・ルイは大型スクーターから降りると、その男に向き合った。

 男は腰からナイフを取り出し、ニヤリと笑うと刃をジャン・ルイに向けた。

「正義の味方のつもりかい、邪魔するとケガをするぜ」

 その言葉が終るか終らないうちに、ジャン・ルイは素早く動き男の手首をつかんでひねりあげた。男のナイフはすでにジャン・ルイの左手に握られていた。それから膝蹴りを鳩尾に喰らわせると男はうずくまった。

「正義の味方は強いんだよ」

 とジャン・ルイは男に向かって言った。

「やるじゃない」

 と、なりゆきを見守っていたサイアはジャン・ルイの早業に感心したようにつぶやいた。


 ジャン・ルイはナイフを遠くに投げ捨てると、女子学生を押さえつけていた残りの二人の男に近づき、目にも止まらぬ速さで蹴りを浴びせた。一人は顎を、もう一人は左の耳をジャン・ルイの蹴りがとらえていた。そして、二人とも道路に倒れ込んだ。

 その隙にジャン・ルイは女子学生の腕を掴むと引き寄せた。

「大丈夫かい?」

 固まっていた女子学生は小さく頷いた。

 三人の男たちは、呻きながらまだ道路に転がっていた。すぐに起き上がってきそうにはなかった。

「学校まで送ってあげよう」

 そういうと、ジャン・ルイは女子学生を抱え上げて、大型スクーターの後部座席に乗せた。


 男たちは顎や腹を押さえながら、ミニバンに乗り込むと何やら捨て台詞を吐いて急発進して去って行った。サイアは去っていく男たちをじっと見つめていた。

 ジャン・ルイは優しい声で女子学生に尋ねた。

「名前は?」

「ミレーヌ」

 とその女子学生はか細い声で答えた。

「オレはジャン・ルイ。ミレーヌの学校はどこ?」

「聖ジョアンナ学園」

「ああ、有名なお嬢様学校だね。すぐそこだ。送っていくよ。じゃあ悪いけど、学校までその猫を抱っこしてやってくれるかな」


 ミレーヌはサイアを抱きかかえた。

「可愛い」

 ミレーヌは、サイアを抱きしめるとやっと元気を取り戻したようだった。サイアはきつく抱きしめられて苦しそうだった。ジャン・ルイは笑いをこらえながら大型スクーターを発進させた。


 ジャン・ルイはミレーヌを学校まで送った。女子学生は落ち着きを取り戻し。ジャン・ルイに礼を言うと、校門の中に消えた。

 ジャン・ルイはコルセー通りへ大型スクーターを向けた。サイアはまた後部座席に爪を立てて乗った。

「泥棒も人助けをするのね。フーきつかった。あの子、息が出来ないくらい思いっきり抱きしめるんだもの」

「怖かったんだろうよ」

「でも、あの男たち、私見たことあるのよね…」

「ふうん、きみをさらった奴らかい?」

「いいえ、違うわ。でも、どこで会ったか思い出せない」

「あいつらの顔写真を撮ったから夜、家に帰ったら調べてみよう。うちのコンピュータから警察のデータベースにアクセスできるから何かわかるかもしれない」

「写真?いつの間に撮ったの?」

「もちろん、蹴り飛ばす前。蹴り飛ばして顔の形が変わったら照合できないでからね」

 とジャン・ルイは涼しい顔で言ってのけた。


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