2.モンテベルノ市警
翌朝、海を望む高層マンションの一室で、モンテベルノ市警察の刑事マルソーは朝食の食卓で新聞を広げていた。年齢は40歳代後半ぐらいか、彫りが深く目つきは鋭く、気が強そうな顔つきをしていた。彼の美しい妻のコリーヌは、卵とサラダを盛り付けた皿を彼の前に置き、カップに紅茶を注いで、テレビをつけた。テレビではアナウンサーがニュースを読み上げていた。
「…次のニュースです。昨日の夕方、海岸通りで近くに住むマルティーヌちゃんが獣人に襲われ右手を咬まれる重傷を負いました。獣人は駆けつけた警察官に射殺されました。
これに関して、獣人協議会のジェローム会長は次のようにコメントしています。『今回の獣人が射殺されたことは、われわれ獣人協議会はやむを得ないことだと判断しています。けがをされた被害者には心よりお悔み申し上げます。この事件が人間界と獣人界との間に軋轢が生じないことを切に願っています』
獣人が人間を襲う事件は、今年になって3件目になります。市警では獣人協議会と連携して凶暴な獣人の警戒に当たるとしています」
コリーヌは自分の朝食を持ってきて、テーブルに置くと腰掛けながら、
「大変ね、獣人に咬まれると獣人になってしまうのかしら?」
マルソーは、新聞から目を離し、
「そんな馬鹿なことはない。獣人は遺伝だ。両親が獣人でなければ、獣人として生まれない。人間が咬まれたくらいで獣人になることはない。それは偏見だよ。」
「そうなの。でも、獣人は普段はふつうの人間の格好をしてるんでしょ。この町にもたくさん獣人がいるって聞いたわ。何だか怖いわ」
「確かに見た目では人間と獣人の区別はつかない。でも獣人は獣の血が混じっているというだけで、それ以外は我々人間と同じだ。感情もあるし、痛みもある。むやみに人を襲うことはしない。むしろ人間による殺人事件は毎月10件以上あるんだ。どっちが怖いかわからない」
「そうね」
コリーヌは納得したような顔をした。
テレビのアナウンサーは次のニュースを読み上げていた。
「…昨夜、エクレール大通りにある代議士のガニェール氏の事務所に何者かが侵入し現金50万ドルを強奪した模様です。
昨夜未明、非常ベルによって事務所に駆けつけた警備会社から、何者かによる侵入の通報が警察にありました。侵入者は金庫をこじ開け、現金50万ドルを奪うと、金庫の中に1本の真紅のバラを残して逃亡しました。警察は手口が酷似しているとして、ここ最近起きているいわゆる『紅薔薇』と呼ばれる窃盗犯との関連性を調べています。では次のニュースです…」
「また『紅薔薇』が出たんですって」
とコリーヌは紅茶を手にしながらマルソーに言った。
マルソーは返事もせず、紅茶をすすった。
「今回の盗んだ相手は先月汚職で捕まった代議士ですって。証拠不十分で不起訴になったらしいけどいい気味だわ」
コリーヌがそう言うと、マルソーはムッとして、
「相手が誰であろうと、泥棒に変わりはない」
「そうね、あなたは取り締まるほうだから大変ね。『紅薔薇』ももしかしたら獣人かもしれないわね」
マルソーの担当は強盗などの凶悪犯だったので、このような窃盗事件は担当していない。それでも『紅薔薇』のことは苦々しく思っていた。
「たぶん違うだろう。『紅薔薇』は知能犯だ。獣人のように馬鹿力で何かを壊して強盗をするような手口ではない。証拠も残さず、盗まれたほうもすぐには気が付かないような犯行だからな」
『紅薔薇』は政治家や資産家ばかりを狙う窃盗犯である。一年ほど前から姿を現した。盗んだ後に真紅の薔薇を残し、犯行声明の手紙にも『紅薔薇』と署名があることからそう呼ばれている。いままで一度も捕まったことはない。それどころかほとんど手がかりも痕跡も残っていなかった。残っているのは真紅の薔薇と犯行声明の手紙だけだった。
マルソーは紅茶を飲み干すと、まだ何か言いたそうなコリーヌを制して、市警に出勤するために立ち上がった。
マルソー刑事がいつものように早めにモンテベルノ市警察署に出勤すると、すでに署内はあわただしい雰囲気に包まれていた。『紅薔薇』が出没したせいだろう。建物の2階に彼が所属する強行犯係の部屋がある。エレベータを使わず階段を一気にあがり、自分のデスクに腰掛けると、所轄からの昨日の獣人事件の報告書に目を通した。
射殺された獣人は子供だった。女の子を襲っているところを通りがかった警官が見つけ、逃げていくところを射殺した。ちょっと過剰対応の気がする。
被害者の住所は海岸通りになっていた。被害者から話を聞く必要がある。マルソーは立ち上がると、出かける準備をした。
捜査に出ようとしたとき、課長に呼ばれた。課長はマルソーの顔を見ると、立ち上がり肩をたたきながら、
「昨日の『紅薔薇』の件で署長がお怒りだ。窃盗犯係だけでは心もとないようで、強行犯係も協力しろといってきた。ちょっと手伝ってやってくれないか?」
「私は忙しいので遠慮しますよ。昨日の獣人事件もありますし。」
とマルソーは答えた。課長は苦笑いをしながら、
「そう言うな。獣人事件は被疑者死亡で終わりだ。それより『紅薔薇』だ。どうせ捕まらないだろうが協力してるふりでもしておけ」
マルソーはため息をつき、無言で課長に頭を下げた。
獣人事件の報告書を鞄に詰め込むと、仕方なく指示通りにそのまま窃盗犯係の部屋へ顔を出した。
「よう、マルソー。悪いが手伝ってくれ。お前が来てくれたら百人力だ」
声をかけてきたのは、同僚のベルクソンだった。まわりの皆がバタバタしている中で、こいつだけがおっとりしている。図体がでかく色黒で目だけがギョロっと大きく、腕っぷしは強いが頭が切れるほうではなかった。
「捜査は進んでいるのか?」
「まだ全然。これから事件の会議だ。マルソーもいっしょに出てくれ」
マルソーはベルクソンと一緒に一つ上の階にある会議室に行くと、署長をはじめ署内の役職者がずらりと並んでいた。
マルソーはあまり協力する気がないので、なるべく後ろの席に腰を掛けた。その隣にベルクソンが腰掛けた。隣にこいつが一緒に座ると暑苦しい。
会議の冒頭に、禿げ頭の署長が赤い顔をして、
「モンテベルノ市警の面子にかけて、『紅薔薇』なる窃盗犯を必ずひっ捕らえよ!これ以上野放ししていることは許さん」
と口角から泡を飛ばしながら、叫んでいた。
それから所轄の刑事から昨夜の事件が報告された。
昨日の深夜、『紅薔薇』はガニェール代議士の事務所に忍び込み、金庫に保管されていた50万ドルを盗み逃走した。警備会社に通報があったが、金庫がしまっていたので、その時は盗まれたものは確認できなかった。ガニェール代議士は、地方遊説のため不在だった。警報で駆け付けたガニェール氏の秘書が金庫を開いて初めて50万ドルが奪われていることに気が付き警察に通報した。
ドアや窓には防犯用に赤外線探知機を設置してあった。ベランダの窓が切り取られているため警報が鳴ったらしい。犯人もそこから侵入したらしい。金庫はコンピュータロックになっており、無理にこじ開けることは不可能である。また、金庫の中には75万ドルほど保管されていたが、盗まれたのはそのうち50万ドルだけだった。そして盗んだ後は、金庫の鍵をかけ直していた。いまのところ指紋などの遺留品は一切発見されていない。
金庫に残されていた真紅の薔薇は今までの事件と同じ種類であることが鑑識で確認されている。薔薇の横には手紙が置かれていた。手紙には、
-貴殿が『ロアール福祉施設』の交付金から横領した20万ドルをいただく。被害にあったロアーヌ福祉施設に返還しておく。5万ドルは手数料としていただく 『紅薔薇』-
と書かれていた。また、今朝『ロアール福祉施設』から20万ドルが窓口に置かれているのが見つかった。
以上が事件のあらましだった。
「まるで、義賊気取りだな。しかし手紙を残したのは初めて聞いたな。それに盗んだ金は25万ドルと言っているが…」
マルソーが小声で感想をもらすと、ベルクソンが答えた。
「実は手紙は毎回残されているんだが、公表は控えているんだ。というのは、毎回奴が指摘した犯罪を調べてみると本当にその犯罪が行われているんだ。今回も『ロアール福祉施設』への交付金を横領したなんて初耳だが、たぶん調べてみるとガニェールが本当に横領しているんじゃないかな。奴さん、いったん汚職で起訴猶予になっていたが、これで起訴ができるから検察が手をたたいて喜ぶと思うよ。盗まれた金額もたぶん25万ドルが正解じゃないか。ガニェールの奴が水増ししたんだろうよ」
「ふうん、『紅薔薇』は警察のようなこともやってるのか」
「いや、警察よりも優秀かもしれん」
ベルクソンはニヤリと笑いかけた。
会議は各担当の役割分担を発表し、解散となった。マルソーはベルクソンとともに、事件発生時に駆け付けた警備員の事情聴取の担当になった。
「行こうぜ」
とベルクソンが声をかけ、マルソーは面倒くさそうに立ち上がった。




