1.泥棒とシャム猫
深夜、空には満月が明るく輝いていた。
地中海に面した小さな国のエルマニア王国の首都であるモンテベルノ。その中心部を通るエクレール大通りに、1台の 目立たない色のジープが静かに止まった。
そのジープから黒いレザーの男が降りてきて、音もなく小走りに石畳の大通りを渡った。背は高く、服の上からも無駄な贅肉がついていないことがわかる。歳は若く20歳にもなっていないくらいの若者だった。月明かりには軽くウェーブした金髪の下に、精悍な顔立ちが浮かび上がった。瞳は茶というよりは赤に近い。
若者はあたりに人影がないことを確認すると、正面のビルの脇にある横道に入り、音も立てずに非常階段を上って行った。あっという間に9階に到達すると、ゴーグルに仕込まれた探知機で赤外線の防犯センサーを確認し、体をよじってセンサーをすり抜け、非常階段からベランダへ降り立った。窓にも防犯装置がついていた。若者は腰にさげていたポーチから小型のセンサー誤認器具を取り出し、窓に取り付けた。これで防犯装置は役立たずになる。さらに高性能の万能ナイフで、窓の一部を切り取り、窓の鍵を開けて室内に侵入した。
ペンライトをつけて室内の様子を探った。80㎡くらいあるかなり広い部屋だ。真ん中に応接セットがあり、その左奥に執務用のデスクがあった。そのデスクの脇に大きな電子ロックの金庫があった。
若者はその金庫の前に忍び寄ると、電子ロック解除用の小型のタブレットを取り出した。それを金庫にセットすると、数秒後には画面に8桁の数字が浮かび上がり、開錠する数値が現れた。若者はニヤリと笑うとその番号を金庫に入力した。するとコトリと音がして金庫が開いた。金庫の中には『極秘』と書かれた封筒に入った書類と札束が積まれていた。男は積まれた札束のうち25万ドルだけを持参した袋の中へ詰め込んだ。そして『極秘』と書かれた書類もいっしょに袋の中に放り込んだ。
それから、札束があった場所に1本の真紅の薔薇と手紙置いた。金庫をキチンと施錠して、立ち去ろうとすると、近くでゴトゴトと音がした。何だ!若者の顔から笑みが消え、ペンライトを消し素早くしゃがみこんで万能ナイフを取り出し身構えた。
物音は同じ室内の金庫とは反対側の応接セットの裏から聞こえる。男は忍び足で音がする方に近づいた。そこには小さな檻があり、その中に猫が1匹いた。短い毛並みが美しく碧い大きな目をしていた。たぶんシャム猫だろう。
「逃げたいのか」
と若者は微笑みかけた。そのシャム猫はコクリと頷いたように見えた。若者はナイフで檻の鍵を壊した。シャム猫は壊れた檻の扉からスルリと抜け出した。
若者は侵入した窓のところに戻ると設置したセンサー誤認器具を取り外した。
その器具をはずしたとたん、非常ベルが鳴り響いた。その激しい音を聞いても若者は何事もなかったように9階から音も立てずに非常階段をすばやく降りると、停めてあったジープに現金のはいった袋を放り込み飛び乗った。
急発進させようとすると、先程のシャム猫もジープに飛び乗ってきた。若者はそのままジープを発進させた。
15分ほど走ったところで赤青色灯をつけた数台のパトカーとすれ違ったが止められることはなかった。
「ちょっと寄り道をしていくぜ」
と若者はシャム猫に話しかけた。そのシャム猫は言葉を理解したかのように愛らしく首をかしげた。
コルセー通りから右に曲がり、街の郊外向かう道へジープを走らせた。満月に照らされた道には、他の車は一台も走っていなかった。さらに20分ほど走るとホテルのような建物が見えてきた。若者はその建物のエントランスにジープを停めた。そして、先程奪った現金のうち20万ドルを別の袋に移し変え、その袋に手紙を入れてそれを手にさげてジープを降りた。
その建物の入口は頑丈そうな木製の扉があり、鍵がかかっていた。建物には『ロアール福祉施設』と書かれた看板が掲げられていた。若者は音もなくあっという間に入口の鍵を解錠し、扉を開けると受付の窓のところに持っていた袋を置いた。それからジープにもどると再び来た道を街に向けて走らせた。
若者は運転をしながら陽気に猫に話しかけた。
「あの盗みに入った事務所の連中はなかなかのワルでね。この福祉施設が受け取るはずの金額から20万ドルも横領していたんだ。だからオレが取り返してやった…と、話してもわかるはずないか。残りの5万ドルはオレの取り分だけど」
その時不意に、可愛らしい女性の声がした。
「助かったわ。ありがとう」
若者は慌ててブレーキを踏んだ。危うくガードレールに激突するところだった。しかし、あたりを見回してもさきほどのシャム猫しかいない。若者はシャム猫を見つめて言った。
「驚いた!あんたは人間の言葉がしゃべれるのか?」
「ええ、特別な人にだけにね」
「オレは特別な人なのか?」
「とりあえず助けてくれたでしょ。それになかなかのイケメンだし」
「それは光栄だ」
若者は気を取り直してハンドルを握った。
「あなた、まだ若そうだけど、ちゃんと運転できるの?」
「任せなさい。バイクの免許しかないけど、もう2年くらいは運転してる。オレはジャン・ルイ。この街一番の泥棒さ。きみは?」
「私はサイア。よろしくね」
「とりあえずおれの家にもどるけど、いっしょに来るかい?」
「そうするわ」
ジープはサイアを載せたまま街中を抜けて、海岸通りから港のほうへ向かった。街中でも何台かのパトカーとすれ違ったが止められることはなかった。もっとも、この街の警察は何かと手続きがややこしく、各幹線道路に非常線を張るのはもう少し時間がかかるはずだ。
ジャン・ルイは港の少し手前の赤レンガの倉庫の前でジープを停めた。ダッシュボードの上のリモコンのボタンを押すと、シャッターが自動的に開いた。シャッターが完全に開くとジープを倉庫の中にゆっくりと入れた。
赤レンガの倉庫の中は薄暗かったが奥行きがあり広々としていた。ジャン・ルイは大型のスクーターが置いてある横にジープを停めた。そして奪った現金の袋をジープから取り出し、そして倉庫の端にあった階段を上った。その後をシャム猫のサイアもおとなしくついてきた。2階は広いワンルームの住居になっていた。
部屋の明かりをつけると、天井は高く、太い鉄骨の梁がむき出しになっていた。窓際にはソファとテレビと冷蔵庫があり、奥にはベッドとクローゼットがあった。その奥にはついたてがあり浴槽があった。ソファとは反対側の壁にはサーバーやコンピュータ、無線機器などの電子機器が並んでいた。
ジャン・ルイは現金の入った袋をベッドの下に隠すと、黒いレザーを脱いで、クローゼットから服をとりだし、ジーンズとTシャツに着替えた。サイアはソファに上がりこんだ。
「どうだい、いい部屋だろ?」
「まあまあね」
「生意気言ってる。ミルクでも飲むかい?」
「ありがとう」
ジャン・ルイは冷蔵庫からミルクをとりだし、浅めの皿に注いでサイアの前の床に置いた。サイアはソファから降りて、ミルクを舐め始めた。ジャン・ルイは自分用に缶ビールを取り出し、ソファに腰掛けると栓をあけてグビグビと飲んだ。
「なんであんなところに捕まっていたんだい?」
と、ジャン・ルイは尋ねた。サイアはミルクを舐めながら、
「人質よ」と答えた。
「人質?」
「私はある屋敷の主人に飼われていたんだけど、庭を散歩しているとき誘拐されたの。そして私を返して欲しければ身代金を払えって脅迫されていたわ」
「身代金?」
「50万ドル」
ジャン・ルイはヒューと口笛を吹いた。
「猫一匹に50万ドル?すごいな」
「こう見えても私は血統書付のシャム猫よ」
「おまけに人間の言葉もしゃべれるし…」
「いいえ、私が人間の言葉をしゃべれることは誘拐した犯人は知らないはずよ」
「へえ、じゃあどうしてオレにはしゃべってくれるんだ?」
「イケメンだからよ」
「そりゃどうも」
「あなただけに本当のことを話すと、本当は私、悪い魔法使いに猫にされたんのよ。実はすごい美人なのよ」
「冗談だろ?」
「もちろん冗談よ」
ジャン・ルイは拍子抜けした。猫も冗談を言うんだ。
「なんだ、冗談ねぇ。でも、あんたをこのまま飼い主のところへ連れて行けば、たんまり謝礼をもらえそうだな」
「嫌よ。あんなところにもどるのは」
「でも大切にしてくれていたんだろ?」
「全然。ご飯はいつも缶詰めばかりだし。屋敷の外に出ることも禁止されていたし」
「これからどうする?」
「もう関係ないわ。しばらくここにいさせて。飽きたら出て行くから」
「どうぞ。ご自由に」
「ありがとう」
それからジャン・ルイは、サイアのとなりに腰掛けると、さっき金と一緒に盗んだ『極秘』と書かれた封筒を開けた。中には密貿易の品目の一覧があった。輸入禁止となっている象牙や宝石の原石などが書いてあった。一番下のほうにはトリコジウムという聞いたことのない原材料もあった。トリコジウムって何だ?取引は『ギャスパル商会』を通じて行っていた。
あの野郎、横領だけでなく密貿易をやってる。また盗みに入ろうかな。
ジャン・ルイは、書かれた内容をしっかり頭に叩き込むと、封筒ごとその文書を燃やした。泥棒にとって証拠はいらない。事実を掴めばあとはどうやって懲らしめるかだけだ。
サイアはミルクを飲みほしソファに横になって眠そうな目をしていた。
「とりあえず、きみはそのソファを使ってくれ、オレはベッドで寝る」
「おやすみ」




