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16.ライオンの獣人

 マルソー刑事とベリクソン刑事は、ピカール刑事にトリシンを渡したというロベールに会いに行った。ロベールの自宅はロアール福祉施設から車で15分くらいのカルーニ通りに面したマンションの一室だった。

 鍵がかかっていたので、管理人に市警バッチを見せて開けてもらった。二人がその部屋に入ると足場もないほど乱れていた。

「これはすごい…」

 ベルクソンがそのありさまを見て声を漏らした。

 単に泥棒が入って物色したというよりは、家具や食器がめちゃくちゃに壊されていて、まるで重機で破壊したような光景だった。


 マルソーは隣の部屋の住人を訪ね、何か物音を聞かなかったかと尋ねると、

 その住人は眠そうな声で、

「昨晩遅く、たぶん午前2時ごろですが、野獣の咆哮とどすんどすんという物音が聞こえました。私は怖くなって布団を頭からかぶっていました。おかげで睡眠不足です」

 マルソーは隣の住人にお礼をいうと、ベリクソンに向かって、

「ロベールはたぶん獣人だ。次の獣人事件を起こす前に捕まえよう。緊急手配をしてくれ。ここは鑑識に任せよう。下手に触らないほうがいい」

 ベリクソンは市警に連絡し、ロベールの指名手配を依頼した。それから鑑識の応援も依頼した。

 すぐに鑑識が到着し、手際よく部屋の捜査を始めた。

 しかし、部屋の中からはトリシンらしき薬物は見つからなかった。


 ジャン・ルイは一人で店に戻った。

 留守番をしていたマスターがすぐにそばにやってきて、

「大丈夫だったか?」

 と尋ねた。ジャン・ルイは何事もなかったように、

「ミレーヌのお父さんのギャスパル氏は大丈夫でした。発作が起きたみたいでしたが、出てくるときはもう落ち着いていたから」

「サイアちゃんは?」

「散歩してる。じきに帰ってくると思います」

「そう」

 しかし、サイアは待てど暮らせど帰ってこなかった。おそらくロアール福祉施設で捕まったのだろう。心配だ。あそこはいきなりボウガンを打ち込んでくるような危険な奴らがいるところだ。救出するにしても、それなりの準備が必要になる。


 ジャン・ルイは午後8時にカフェ・リディを出ると、いったん自宅の赤レンガ倉庫に戻った。

 警察のデータベースにアクセスし、ロアール福祉施設の建物の見取図を始め、人員構成などあらゆるデータを収集した。それらを頭に叩き込んだ。そして、ロアール福祉施設の攻略方法のシミュレーションをいくつか立てた。


 そのとき緊急の警察無線が鳴った。無線を聞くと、新米刑事があの『トリシン』を服用して獣人になったことを伝えていた。レストランでチーターに変態した奴らしい。そして、その薬を渡したのはロアール福祉施設のロベールという従業員なので、その彼を指名手配して探しているようだった。そいつが獣人になって暴れる前に捕まえたいらしい。

 ロベールって誰だ?まあ、とにかく行ってみよう。


 ジャン・ルイは一階の奥の棚から武器を取り出した。普段の盗みでは、サバイバルナイフしか使わないが、今回は相手が武装している。こちらもそれなりに準備が必要だ。

 基本的に人殺しは嫌いだから、攻撃力が高く殺傷能力の低い武器を選んだ。口径の一番小さい銃と、手りゅう弾の形をした煙幕弾、それに相手がボウガンをもっていたので、対抗するために小弓も持った。それ以外にロープや鍵を開ける工具などを準備し、これらをジープに積み込んだ。

 それから目立たないように黒いレザーの服に着替え、音を立てないラバーソールの靴と手袋を身に着けた。腰にはサバイバルナイフを差した。

 サイア、待ってろよ。いま助けに行くからな。


 ロアール福祉施設の所長室では、捕えられたサイアが檻に入れられていた。

 ボネールはサイアを見ると、

「ほう、君はギャスパル氏にところから誘拐したシャム猫ではないか。シャム猫は高級だから高く売れると思って攫ったのだが、『紅薔薇』といっしょに泥棒をしているとは思わなかったね」

 サイアはミィーヤオと鳴いた。


「いまさら猫の振りをしてもダメだ。君は獣人だろ?君と『紅薔薇』の会話を聞いたからね。最初は誰が話をしているのかわからなかったが、今日この施設に君が忍びこむときに聞いたから間違いない」

「バレているのなら仕方ないわね」

 サイアは、ボネールに答えた。

 ボネールの肩の包帯を見て、サイアは、

「痛々しいわね。紅薔薇にやられたのね」

「うるさい!」

 ボネールはサイアをにらみつけ、

「君を人質にして『紅薔薇』を誘いだすつもりだ。この借りは必ず返す」

「あら、彼は来ないわよ」

「なぜだ?」

「この仕事は儲からないって言ってたわ」

「儲からない?」

「そうよ。彼は泥棒だから、儲からない仕事はしないみたいよ」

 ハハハとボネールは笑い出した。サイアも笑った。

「確かに君を助けるだけでは、儲からないかもしれない。では、『紅薔薇』が本当に来なかったら、ギャスパル氏にもう一度身代金を払ってもらうことにするかな」


 それからボネールは男たちに、檻に入ったサイアを地下室に運び、変わりにロベールを連れて来るように指示した。

 二人の男が檻を持ち、エレベータを降りて倉庫のほうへ向かった。

「綺麗な毛並みをした猫だな」

「獣人だと聞いたぞ」

「こいつが?」

「人間に変わったら、よぼよぼのおばあさんだったりしてな」

 ガハハと男たちは笑った。

 サイアはプイと横を向いた。私の美しさを見せてあげたいわ。


 倉庫に入ると、そこには60名くらいの戦闘員たちが、訓練を行っていた。

 先日会ったボネールの手下とは違っていて、全員が戦闘服を着て、本格的な格闘やボウガンの訓練を行っていた。プロの戦闘集団だ。

 彼らの会話が盗み聞きできるところをみると、獣人の戦闘員のようだ。会話の中には隣国のバルディア王国の言葉も混じっていた。

 サイアはここが秘密の軍事拠点ではないかと思った。


 倉庫の階段を降りると地下階があった。そこには武器や弾薬、そして食料などが山積みになっていた。

 そこを通り過ぎると、大きな部屋がありその中にいくつかの檻があって、それぞれ四,五人ずつの人たちが中に閉じ込められていた。サイアの檻はその囚人たちの檻の前に置かれた。


「おい、ロベール」

 1つの檻の奥に座り込んでいた男が顔を上げた。

「ボネールさんが呼んでる。出て来い」

 ロベールと呼ばれた男は、のそのそと檻から出た。男たちはロベールに手錠をはめて、連れて行った。


 サイアは閉じ込められている人々を観察した。皆酔っているようにトロンとした目をしていた。一番奥の檻は暗くてよく見えなかったが、そこには年老いたライオンが両足を鎖につながれて閉じ込められていた。そのライオンはうずくまり静かに目をつぶっていた。

 獣人だわ。大きい。ライオンの獣人は初めてみたわ。

 サイアはするりと檻をすり抜けると、ライオンに近づいて話しかけてみた。

「あなたも捕まったの?」


 その年老いたライオンは、少し首をもたげてサイアのほうを見たが、何も返事をせず、また目をつぶった。

「あの・・・、もしかして王様?」

 ライオンは耳をピクリと立てた。

 初めてライオンが反応した。

「お前は誰だ?」

 それはしゃがれた、しかし威厳のある声だった。

「私はサイア。ジャン・ルイと一緒に住んでいるわ」

「ジャン・ルイ!」

「あなたの息子でしょ?」

「生きているのか?元気なんだな?」

「ぴんぴんしてる。いま泥棒をしてるわ」

「何だそれは?」

 そう言いながらライオンはむっくりを起き上がった。

「息子が元気ならまだ死ぬわけには行かないな」

「もうすぐ私を助けに来るわ」

「ここは危険だ。来ないように言ってくれ」

「そうなんだけど・・・たぶん、言うこと聞かないのよね」

「そうか、気が強いところは母親譲りだな」

 そのとき、数人の男がライオンの檻のところにやってきた。何やら大きな台車のようなものを引っ張ってきた。


「こいつを運べばいいんだな」

 男たちのうちのひとりがライオンを指さした。

「ああ、ライオンの獣人は貴重だから別の場所に移動させるようだ」

 男たちはライオンの檻ごと台車に乗せた。そして運びだそうとしていた。

「お嬢さん、またどこかに連れていかれるみたいだ。息子によろしく伝えてくれ」

「わかったわ。お元気で」

 男たちはゴトゴトと台車を動かして、ライオンを連れて行ってしまった。


 しばらくするとロベールが戻ってきたが、やはり覇気のない顔をして、檻の中に入ると一番隅にうずくまった。何時間か経つと食事の時間になったらしい。見張りの男たちが手分けして食糧を配っていた。これをむさぼるように囚人たちは食べた。

 しかし、ロベールは食事には手をつけなかった。

 サイアにも皿に入ったミルクが配られた。

 食事が終わった囚人たちは、見違えるように元気になり、口々にここからだせと喚いていた。

 サイアは、はっと気が付いた。急に元気になるなんておかしい。今の食事には麻薬が入っていたのかもしれない。自分の前に置かれた皿のミルクをほんの少しなめてみた。普通のミルクより甘い感じがした。やはりそうだ。何か混ぜてある。

 その時サイアの頭に、ある声が話しかけてきた。

「そのミルクは飲むな!」


 サイアはピクンと頭をあげた。そしてロベールと目があった。彼は静かにうなずいた。

「そのミルクには麻薬が入っている。それを飲むと獣人は狂暴になる」

 サイアが騒いでいる囚人たちをみているのに気が付いたロベールは、

「この人たちは人間なんだ。獣人じゃない。だから変態しないんだ。でも麻薬は麻薬だから…」

「あなたは獣人なの?」

「そうだ。ぼくは獣人なんだ。熊の獣人だ。だからこの食事を食べると、この人たちを食い殺してしまうかもしれない」

「どうして?」

「この麻薬は、人間には単なる麻薬だけど、獣人には麻薬ではなく、野生化させる薬なんだ」


 それからロベールは、頭を抱えながら、

「ぼくは大変なことをしてしまった。この薬を友人のピカール刑事に渡してしまったんだ。その時は単なる強壮剤だと思っていたんだ」

「ボネールが作っている『トリシン』とかいう麻薬ね」

「知っているのか?」

「ええ」

「これは人間も獣人もダメにする薬だ。早くピカールに伝えなくちゃと、ここから逃げようとして捕まってしまった。もうすぐ殺されるだろう」

 そう言うとロベールは顔を伏せて膝を抱えた。


「その薬はここで作っているの?」

「この隣の倉庫の一角に薬を精製する機械があって、そこで作っている。でも最近は原料のトリコジウムが手に入らないから、大量には作っていないはずだ」

「わかったわ。とりあえず私と一緒に逃げましょう」

「どうやって?」

「後でわかるわ」

 サイアはロベールに向かってほほ笑んだ。


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