15.ロアール福祉施設
モンテベルノ市警察署の取り調べ室では、マルソー刑事がピカール刑事を内密に尋問していた。
薄暗い部屋には、二人だけだった。机を挟んで二人は向かい合って座っていた。
ピカールは、顔を両手で覆い震える声で、
「何も覚えていないんです。何にも・・・。気が付いたら、裸で自分のベッドに寝ていたんです。手や顔にべっとり血がついて」
そういうとピカールは頭を抱えた。
マルソーはピカールに向かって、静かな声で、
「だが、お前が今回のチーターの獣人であることはまちがいない」
そういうと、マルソーは監視カメラの映像をピカールに見せた。ピカールは食い入るように画面を見つめ、やがて机に泣き伏した。
「ピカール刑事、お前も警察官なら何をしなければならないかわかっているはずだ」
ピカールはしゃくりあげながらも、はいと返事をした。
「原因は『トリシン』という麻薬だと思います」
「トリシン?」
「友人がとってもハイになるから飲んでみたらとくれたものです。合法ドラッグと聞きましたので、大丈夫と思っていました。初めて1錠飲んだときは、とてもいい気分になり気力が充実し、力がみなぎる感じでした。そして、今回も仕事に疲れたので2錠飲みました。そしたら気が付くと…」
「お前はもともと獣人なのか?」
「ええ、そうです。でも毎日変態抑止の薬を飲んでいましたから、ここ5年は一度も変態したことはありませんでした。また獣人に変態したとしても、今回のように記憶がなくなることはありませんでした」
「その『トリシン』とやらで変態したのか?」
「たぶん。でも本当に覚えていないんです」
「その薬を渡した友人とは誰だ?」
「ロアール福祉施設に勤めているロベールです」
マルソーはピカール刑事を留置場に連行し、調書は極秘に課長へ回すように指示した。警察の不祥事はなるべく表に出したくない。
それから警察車両を一台表玄関に準備するように指示した。
ベルクソンに声をかけて、ロアール福祉施設に向かった。
ジャン・ルイはマスターに出勤は遅くなりそうだと連絡を入れた。
そして、サイアともにロアール福祉施設に到着した。
まだ午前中なので、福祉施設の中では大勢の人間が勤務している。
この施設は身体障害者や身寄りのない高齢者を養護する施設だった。3階建てでかなり大規模な建物だった。100人くらいは収容できる施設に見えた。忍び込むのは夜中のつもりだったので、とりあえず偵察するために、ジャン・ルイは大型のスクーターを敷地の外塀に沿って移動させた。
建物の裏には大きな倉庫が3つ並んでいた。
「あの倉庫が怪しいな。麻薬の精製となるとある程度の場所が必要だろうから」
と、ジャン・ルイがサイアに告げると、
「私が見て来ようか?」
「大丈夫かい?気をつけろよ」
「大丈夫よ」
と、サイアはピョンと塀を乗り越えた。
この光景を建物の3階の福祉施設の所長室の窓から双眼鏡で見ていた人物がいた。ボネールである。
肩に包帯を巻いている。ジャン・ルイが投げたナイフが刺さった場所だ。
『紅薔薇』が現れたか、まあいいだろう。前回甘く見て逃げられたから今度こそは捕まえてやる。
双眼鏡から目を離したボネールは、室内の壁にある警備モニターの1つを見た。施設内に設置された監視カメラがサイアの姿を捕えていた。
ボネールは、そばのデスクに腰かけていたこの施設の所長のランディに、モニターを指差すと、
「シャム猫が紛れ込んだ。何人か連れてあの猫を捕えてこい。それから塀の外にいる大型スクーターを威嚇してこい」
と指示した。
ランディはでっぷりと太った体格をしていた。とても猫など捕まえられそうにない。
「わかりました。私には無理ですが、若い連中にやらせますよ」
そういうと、ランディ所長は施設の内線電話を取り上げると、シャム猫を捕まえるように、そして大型スクーターの男を追い払うように指示した。
「ボネール殿、これでいいかね?」
ランディ所長はボネールの顔を見た。
ボネールはランディを見下すような目つきをしながら、
「大事な作戦の開始前だ。些細なミスも許されない」
「しかし、その作戦とやらはうまくいくのかね?」
「今回はバルディア王国が特殊部隊を派遣してくれる。成功するさ。バルディア王国は獣人の国だからな。今この施設にいる100名の『獣人解放同盟』のメンバーも、バルディア王国の特殊部隊から軍事訓練を受けている。このエルマニアを『獣人解放同盟』が制圧すれば、バルディア王国と同じように獣人の天国になるだろう。」
「しかし、100名の兵士を匿っているのも大変なんだぞ」
「その分資金を潤沢に渡してあるだろう。文句を言わずに協力しろ」
ランディ所長はしぶしぶ頷いた。
そのころ、マルソー刑事はロアール福祉施設の正面玄関に車を着けると、ベルクソン刑事とともに受付へ向かった。
「こちらで勤務しているロベールさんにお会いしたいのですが」
マルソーは市警バッチを見せながら言った。
応対をした事務員は、職員名簿をめくりながら、
「申し訳ありません。ロベールさんは昨日退職されました」
「そうですか、彼のことでいくつか教えていただきたいことがあるのですが…」
事務員は、応接室にマルソーとベルクソンを案内し、ランディ所長に警察が来ていると連絡をした。
しばらくすると、ドアからはみ出しそうに太ったランディ所長が現れた。
「お待たせしました。ロベールくんがどうかしましたかな?」
と、ランディ所長はソファに深々と腰掛けた。
「ロベールさんは退職されたそうですね?」
「ええ、そうでしたかな。なにせこの施設には150名近くの従業員が勤務しているものですから、いちいち覚えていないんです」
ランディ所長は事務員に従業員名簿を持ってこさせると、それをテーブルに広げた。マルソー刑事たちも一緒に覗き込んだ。
「3か月前に採用したばかりですが、昨日退職になっています。ここの仕事が向かなかったのでしょう」
「彼はどんな仕事をしていたのでしょうか?」
「主に警備の仕事ですよ。彼は夜中に施設から抜け出そうとする患者の見回りなどが主な仕事でしたね」
「施設から抜け出そうとする?」
「ここは認知症の患者も大勢います。自分が誰だかわかっていないし、ここはどこかもわかっていない。それでいて、徘徊したりするんですよ。ロベールくんは二度患者を連れ戻したことがありましたね」
「では主に夜勤になるんですか?」
「いえ、そうとも限りません。ボケた患者は昼間でも抜け出そうとしますからね」
「ロベールくんが辞めた理由はわかりますか?」
「さあ、本人から退職願が出ていますから、それを受理しただけで、理由はわかりませんね」
「では、彼の住んでいる住所を教えていただけますか?」
ランディ所長は事務員に、従業員名簿からロベールの履歴書のコピーを渡すように指示した。
「ご協力ありがとうございます」
マルソーとベルクソンは立ち上がり、ロアール福祉施設を辞した。
車に乗ると、マルソーは、
「怪しいな。従業員のことはよくわからないといっておきながら、勤務内容はちゃんと答えていた」
ベルクソンも、
「そうだな。退職願があれば、従業員名簿にいっしょに保管してあるはずなのに、なかったな」
「何か隠している気がする」
「どうするんだ?」
「とりあえず、ロベールの自宅を捜査しよう。何か手がかりがあるかもしれん」
ロアール福祉施設に忍び込んだサイアを待っていたジャン・ルイは、正面玄関にいるマルソー刑事たちの姿を捕え、スクーターと塀の間に身を隠した。
マルソーたちもこのロアール福祉施設に目をつけたのか。相変わらずいい勘してるよな。
しかし、10分も経たないうちにマルソーたちは再び車に乗り込み引き上げて行った。
何だよ。もう少しちゃんと捜査するのかと思ったけど。
まあ、こちらはこちらで調べてみますか。
その時、ジャン・ルイの頭の中に直接サイアの声が聞こえた。
「逃げて!ここは危険よ」
「どうした?サイア」
その時、大型スクーターにガチンと何かが当たる音がした。
ジャン・ルイが振り向くと、ロアール福祉施設の2階から、ボウガンを構えた数人の男がジャン・ルイを狙っていた。
「ジャン、逃げて!私もすぐに脱出するわ。あなたのお店で落ち合いましょう」
「了解!気をつけろよ」
ジャン・ルイは大型スクーターを急発進させた。ボウガンが音もなくたて続けに発射され、そのうちの一本の矢がジャン・ルイの頬をかすめた。




