14.ギャスパル氏
翌日、ジャン・ルイは何事もなかったようにカフェ・リディに出勤した。
開店の準備のために、湯を沸かし、食器を並べていると、ミレーヌが飛び込んできた。
女学校の制服ではなく普段着で、急いで駆けつけたような感じだ。
「おはよう、どうしたの?まだ開店前だよ」
とジャン・ルイが言うと、ミレーヌは、
「ジャン君、助けて!パパが大変なの。パパが…」
ジャン・ルイはミレーヌをテーブル席に案内した。マスターもそばで心配そうに見ている。
「ミレーヌ、落ち着いて。どうしたんだい?」
「わからないわ。パパが暴れて・・・とにかく一緒に来て!」
ミレーヌはジャン・ルイの手を掴んで引きずるように、いっしょに来てほしいと頼んだ。
ミレーヌの切迫した顔を見て、マスターはジャン・ルイに向かって、
「お店は大丈夫だよ。行ってあげて」
「ありがとうございます」
ジャン・ルイはエプロンをはずすと、店を出て大型スクーターに飛び乗った。後部座席にはミレーヌを乗せた。そこにサイアも飛び乗った。
急発進をして、サンセール地区のギャスパル邸に向かった。
パトカーに捕まらないように、車の間をすり抜けながら15分でギャスパル邸に到着した。
玄関の前の車寄せに、ジャン・ルイが大型スクーターを止めると、ミレーヌは飛び降りて、
「こっちよ」
と屋敷の中へ走って行った。広い屋敷だった。
ジャン・ルイも後に続いた。玄関を入り、廊下を抜け、ある部屋の前で立ち止まった。その部屋からはドスンドスンという音が聞こえた。
「ここがパパの部屋なんだけど」
「下がって」
ジャン・ルイはそう言うと、部屋のドアを細めに開けた。そこに突如、大鷲の顔が現れた。ジャン・ルイはその大鷲の顔を殴りつけると転がりながら部屋の中に入った。
部屋の中は惨憺たる有様だった。
ジャン・ルイの後ろからいっしょに滑り込んできたミレーヌが叫んだ。
「パパ!」
その声を上げたミレーヌに大鷲は襲いかかろうとした。
娘だとわかっていない。ジャン・ルイはミレーヌを突き飛ばし、大鷲の攻撃を受けた。
前に突き出した左手を大鷲の爪が引き裂き、血が飛び散った。
飛び込んできたサイアが叫んだ。
「ジャン、ギャスパル氏は狂ってる。気絶させて!」
ジャン・ルイは敏捷にするりと大鷲の爪を避けると、その大鷲の後頭部に力任せに手刀を打ち込んだ。
大鷲が痙攣し、それからぐったりと倒れ込んだ。
「パパ!」
ミレーヌが駆け寄った。
気を失ったせいか変態が解けてそこに壮年の男性が倒れていた。ギャスパル氏だった。
ジャン・ルイは流れる左手の血を押さえながら近づいた。ギャスパル氏の首筋に手を当てると、ちゃんと脈があった。
「大丈夫だ」
ジャン・ルイはギャスパル氏を抱え上げソファに寝かせた。
その時初めてミレーヌはジャン・ルイの左手から血を流しているのに気が付いて、
「まあ大変! いま薬箱を持ってきます」
ミレーヌがジャン・ルイの左手に包帯を巻いている時に、ギャスパル氏が、うっと言いながら意識を取り戻した。
「パパ!大丈夫?」
「ミレーヌ?私はいったい…」
「大鷲に変態してたんだよ」
ジャン・ルイが答えた。ギャスパル氏は起き上ろうとしたが、ジャン・ルイがそれを制した。
「まだ起きないほうがいい。かなり強く叩いたからな」
「きみは誰だ?」
ジャン・ルイが答える前に、ミレーヌが、
「私を助けてくれた『紅薔薇』よ」
「ああ、あのときの泥棒か?何か盗みに来たのか?」
ギャスパル氏は頭を押さえながら尋ねた。
「そうだけど、そうじゃなくて、パパを助けてくれたのよ」
しばらくすると、やっとギャスパル氏が起き上れるようになった。
ジャン・ルイは対面のソファに腰を下ろし、
「何があったのか教えてください」
「ボネールの奴だ。あいつの変な飲み物のせいだ」
「ガニェール代議士の秘書のボネールですか?どういうことですか?」
「あいつは獣人のための薬だといって、トリコジウムから精製した『トリシン』と呼ばれる薬を以前持ってきた。その薬が混じったレモナードを飲んだからだ」
「まだ、トリコジウムを密輸してるんですか?」
「いや、娘の件以来、ボネールとは手を切った。もともと奴は私が獣人であることを嗅ぎ付けて、娘にバラすと言われて仕方なく密輸を手伝わされていたんだ」
「あの事件で娘さんはあなたが獣人であることを知ってしまった…」
「娘のほうが大人だったよ。娘は私が獣人であることをきちんと受け入れ、自分も獣人だということを納得してくれた」
ギャスパル氏は、ようやく頭がはっきりしてきたらしい。受け答えもスムーズになってきた。
「ミレーヌさんは変態したことはなかったんですか?」
「小さいころあったが、変態を抑制する薬を毎日栄養剤として与えていたから物心がつくようになってからはない。だから自分が獣人であることは知らなかったと思う」
「今回、あなたが変態したのはボネールの薬とおっしゃっていましたが?」
「そうだ。ここ最近起きている獣人事件は、ボネールの作った『トリシン』のせいじゃないかと思ったからだ。その『トリシン』は以前もらったのがあったので試しにそれを飲んだ」
「それで」
「最初は何とも言えないくらいいい気持ちになった。それからのことはあまり覚えていないが、変態したいという気になり、変態すると自由に暴れたいという気が起きてきて…」
そこで、ギャスパル氏は顔を覆った。
「私はなんということをしてしまったんだ。この『トリシン』は麻薬だ。危険な薬だ。獣人を破滅させる麻薬だ。その原料のトリコジウムを3キログラムも輸入してしまった…」
「『トリシン』を一錠作るのにどのくらいのトリコジウムが必要なんです?」
「詳しくはわからないが、たぶん1グラムもいらないだろう」
「相当の量が作られているはずですね。どこで作っているのかご存じですか?」
「それはわかっている。『ロアール福祉施設』だ。輸入したトリコジウムをそこへ納品したから」
あれま、横領されて大変だろうと、『ロアール福祉施設』に届けてやった金は、結局同じ穴のムジナのところへ持って行っただけだったんだ。なるほど、それで警察が調べても横領の事実がつかめなかったんだ。ジャン・ルイは苦笑した。
ギャスパル氏は意識をしっかり取り戻すと、あたりを見回してサイアを見つけた。
「サイア、サイアじゃないか」
「お久しぶり」
サイアは、前足で耳を掻きながら答えた。
「無事だったんだな」
「ええ、この『紅薔薇』に盗まれてね」
ミレーヌは驚いてサイアを見た。
「私にもわかる。サイアの言葉がわかる。やっぱり私も獣人なのね」
そういいながら、ミレーヌはサイアを抱きしめた。
「ミレーヌにはこの屋敷で会ったことないわよね」
「私はふだん学生寮にいるから」
「それで会ったことなかったのね」
サイアはミレーヌの腕をすり抜けて言った。
ギャスパル氏は、手で顔を覆ったまま、
「ボネールはその麻薬で荒稼ぎをしているらしい。私はその片棒を担がされた。何ということだ」
ジャン・ルイの目が光った。
「さてと、その麻薬とやらを調べてみますか。その売上げも戴かないと」
ジャン・ルイは立ち上がり、部屋を出て行こうとした。
「待ちたまえ。君には娘に続いて、私も助けてもらった。何かお礼をしたい。私は誤って娘を殺すところだった・・・」
「ありがとうございます。それでは。トリコジウムを取り返して来たら、買い取ってもらえますか?」
「いいだろう。言い値で買わせてもらうよ」
「それでは、私は失礼します。私がここへ来たことはくれぐれも内密にお願いします」
「もちろんだよ、ジャン・ルイくん」
とギャスパル氏が答えた。
ん?オレは名乗ったっけ?なぜオレの名前を知ってるんだ?ミレーヌが教えたのかな?いや、さっきの会話からそんなことはないと思うが・・・
ミレーヌは考え込んでいるジャン・ルイに向かって、
「パパを助けてくれて本当にありがとうございました。本当にどうなることかと心配しました」
と涙を浮かべていた。




