10.潜入
その日の夕方、ギャスパル邸に犯人からの二回目の手紙が届いた。
-金を準備したら、車のトランクに詰め込んで、午後10時にマヌエール公園の駐車場に止めろ。そして車にキーを付けたまま置いて自宅へ戻れ。金を確認したら、娘を返す。絶対に警察には知らせるな。警察が妙な動きをしたら、娘の命はないものと覚悟しろ 紅薔薇-
マルソーは手紙を署の課長へ転送し指示を仰いだ。課長からは、人質の安全を最優先とし、現金の受け渡しまでは手出しをせず、犯人の居場所を解明し人質の確保をせよとのことだった。
無茶を言うなとマルソーはつぶやいた。犯人は警察が関与したら人質を殺害すると明言している。マヌエール公園への張り込みも犯人に気付かれないようにしなければならないし、尾行も慎重に行わなければならない。犯人の居場所を特定できても人質の無事が最優先だからうかつに踏み込めない。
これでは警察の機動力は使えない。マルソーはここからの作戦に関与するのは、6名の優秀な部下に絞った。3台の覆面車両を準備し、それぞれの配置について細かく指示をした。
もうひとつ気になっていることは、本物の紅薔薇からの連絡だ。どうやってかぎつけたのかわからないが、手紙が入っていた。ギャスパル氏もどうなっているんだと混乱していたが、おそらくこちらは本物だろう。偽物に対して何か仕掛けるつもりだろう。誘拐事件の解決の障害にならなければよいが・・・
マルソーは頭のどこかで本物の紅薔薇ならうまく解決してくれるのではということも考えてしまった。
銀行からは身代金の500万ドルが届いていた。ギャスパル氏は自分の車のトランクに500万ドルを詰め込むように指示すると、いつでも出発できる体制が整った。
ジャン・ルイはカフェ・リディで自宅から持参した機材を設置して、警察無線を盗聴していた。
午後10時にマヌエール公園で身代金の受け渡しか。その時間の前にあの港の隠れ家に侵入すればいい。7時に店を出て、それから準備をしても十分だな。お散歩から帰ってきたサイアにそのことを告げた。
「もちろん、私も行くわよ。私が足手まといになるわけないでしょ」
カフェ・リディから赤レンガ倉庫の自宅に戻ったジャン・ルイは、黒装束に着替え、腰にサバイバルナイフを装填し、盗聴器などの必要な器具をアタッシュケースに入れ、大型スクーターに乗り込んだ。サイアは後部座席にちょこんと座った。
「さあ、出発だ」
ジャン・ルイは大型スクーターを発進させた。
レンタカー屋で調べた場所は、コルセー通りを南へ向かいさらにカルーラ通りを東へ向かった町はずれだった。このあたりは卸問屋の倉庫街になっていた。そのなかの一つの大きな倉庫が目的地だった。
ジャン・ルイは大型スクーターを少し離れた場所に静かに止めた。
「ここだな」
表は荷物を出し入れするための大きな扉になっていた。倉庫を一周すると、裏口があった。その脇に窓があり中を覗くと、倉庫の中央に女の子が椅子に縛られていた。ミレーヌだ。見張りは二人だった。あの誘拐の時の中肉中背の二人だ。残りの大男は身代金の受け渡しに出かけたんだろう。
ジャン・ルイは裏口のドアを音も立てずにそっと開け、見張りをしていた男の背後に音もなく忍び寄り、後頭部にサバイバルナイフの柄を打ち付け昏倒させた。ジャン・ルイに気が付いたもうひとりの男には、腕をつかんで体落としを決め、あっという間に気絶させた。
そして、ミレーヌに近づき、咬まされていた猿轡をほどいた。
「もう、大丈夫だよ」
「あなたは今朝のオートバイの…」
「助けに来たよ」
「逃げて!罠よ!」
その時、天井から捕縛ネットがジャン・ルイは目がけて投擲された。
逃げようとしたが、ネットが絡まり、身動きが取れなかった。ジャン・ルイはじたばたするのをやめた。
倉庫内の照明が付けられあたりがまぶしいくらい明るくなった。
5名の男たちが銃を構えていた。
「ようこそ、初めまして本物の『紅薔薇』くん」
「お前は、ガニェールの秘書のボネールだな」
ジャン・ルイはネットの中で胡坐をかき答えた。
「ほう、光栄だな。私を知っているとは」
それから、ボネールは「おい」と男たちに顎を振り、ジャン・ルイを縛り上げるように指示した。
これだけの銃を向けられては、どうしょうもない。
ジャン・ルイはサバイバルナイフを取り上げられ、されるがままになっていた。もう一つ椅子が運ばれ、ミレーヌの隣に並べて置かれた。ジャン・ルイはその椅子に縛られた。
「観念したようだな。では、盗んだ書類を返してもらおうか」
「そうか、それが目的でオレをおびき寄せたんだな」
「君の『紅薔薇』の名前を使えば必ずきみが現れると思っていたよ。もっとも身代金を受け取ってからそれも盗みに現れると思っていたがね」
「オレは金がすべてじゃない。盗みたいものを盗むのが主義でね」
「盗んだ書類はどこにある」
「ないよ」
「何?」
「燃やした」
「そうか、それは好都合だ。これで君を始末してしまえばいいわけだ」
「そう簡単に始末できるかな?」
ジャン・ルイは不適な笑いを浮かべた。ボネールはしばらくジャン・ルイを睨み付けていたが、急に大声で笑い出した。
「これは驚いた。『紅薔薇』は獣人だったのか」
「何だと!」
「君は私の声が頭の中に響いて聞こえているだろう。それが証拠だ。さきほどから私は声を出していない。獣人同士は声を出さなくても会話ができるからな。そう私は獣人だ。ここにいる4人もみな獣人だ」
「オレが獣人?」
「そう、まちがいなく獣人だよ。それとも自分で気が付いていないのかい?私には狼の血が流れている。同じイヌ科の臭いはしない。それだけの身のこなしだから、たぶんネコ科じゃないかな」
「それで?」
ジャン・ルイは不敵に片方の眉をあげて尋ねた。
サイアにも獣人と言われた。変態したことはないが・・
ボネールはにこやかな顔で語り始めた。
「我々の仲間にならないか?我々は『獣人解放同盟』だ。君は殺すのに惜しい。我々獣人は人間に虐げられてきた。何も悪いことをしなくてもいつも白い目で見られる。人間よりも我々の種族のほうが何倍も優れていることわからせてやる。そのために我々はいつでも獣に変態できる『トリシン』を開発した。これを使えばいつでも獣に変態できる。なぜ獣に変態してはいけないのだ。君が盗んだ書類にトリコジウムという原料が記載されていたはずだ。これで『トリシン』が精製できる。実際に子供の獣人に試したが、効果が立証された」
「この前の獣人事件はお前たちの仕業か?可哀想に、まだ子供だぞ」
「そうだよ。我々は変態を押さえる薬を飲む必要がどこにあるのだ。人間に騙されているのだ。これからは獣人が自由に暮らせる世界を作るのだ。我々は『獣人解放同盟』のメンバーだ。我々には全国に2,000人を超える戦闘員がいる。われわれ獣人の力があれば人間なんて、敵ではない。さあ、われわれの仲間にならないか?」
「やだね」
ジャン・ルイは涼しい顔をして答えた。
「君も獣人ならもう少し利口になったほうがよくないか?ギャスパルはこのトリコジウムの輸入を断ろうとしてきた。奴も同じ獣人のくせに。だから娘を誘拐したのだ」
それを聞いて、ミレーヌが青ざめた。
「パパが獣人…」
ボネールはミレーヌのほうを向くと、
「そうだ、ミレーヌさんのパパは立派な獣人だ。彼は大鷲の血を引いている」
「そんな…」
「たぶん、ミレーヌさんも獣人じゃないかな。こうやって声を出していない会話を聞こえているんだからな」
ミレーヌの顔がさらに青ざめた。
「まあいい。身代金が手に入ったら、君たち二人の始末をゆっくり考えよう」




