3.出会い
スラリと長い手足に大きな胸、顎のあたりで前下がりに切り揃えられた黒髪が風に揺れる。下がった眉に、切れ長の瞳、口調は穏やかで理知的、声は耳に心地好い。初対面でナナーシュに対して抱いた好印象に、シオリは戸惑いと警戒を同時に感じた。
「留学が決まってすぐ、他人に与える印象に関する訓練を受けたの。学園内への護衛同行は禁じられているから、相手の敵意を削いで、味方を増やす必要がある……リー家の戦略的表情管理を見抜くなんて、シオリは鋭いわ」
「……私は逆に、無駄に近づかれたくないから、注意して人を見る癖がついてる」
ナナーシュは出会ってすぐシオリの美貌とバイオリン演奏に惹かれて、彼女の虜となった。国も立場も異なる二人の少女は不思議と馬が合い、打ち解けるのも早かった。食堂で向かい合う彼女たちの雰囲気は独特で、周囲から遠巻きに見られている。
「あ、ナナーシュ。チューター相談? 俺も混ざっていい?」
大声で許可を求めながらも、許されるより前にさっさとナナーシュの隣に腰を下ろした少年は、シオリを見て目を丸くした。
「わあ、すごい、美女。豊黎州でも見たことないよ!」
「ふふ、ダイ、シオリは、リー家の明天州でも会ったことのないくらい綺麗だわ。それ以上に彼女の奏でるバイオリンは正確無比な大鐘楼の鐘の音を至高とするリー家の価値観すら揺さぶる魂の……」
「……うるさい」
「ダイ、少し声を小さくしてね」
シオリは不機嫌に顔を顰めて、ナナーシュは苦笑する。
「うん、わかったよ、ナナーシュ」
上背もあり大柄だが顔立ちはまだ幼く言動も無邪気なダイは、鼻先を擦って素直に頷いた。
「じろじろ見るんじゃないわよ」
「あ、ごめん……シオリ、先輩? 俺、ダイ・シェン。よろしくな」
「よろしくしたくない」
「えー、アハハ、面白い人だな」
「ナナーシュ……何、こいつ。名前で呼ばないで。マドセンよ」
「マドセン先輩か、俺のことはダイでいいよ」
にこにこ笑顔の東方の留学生たちに毒気を抜かれて、シオリは肩を竦めた。
シオリとナナーシュは書庫に並んで腰掛けていた。一人で行動することの多かったシオリだったが、東方貴族の姫と過ごす時間は苦痛に感じない。
「あれ、ナナーシュもここにいたのか」
「ああ、カイ、あなたも試験勉強?」
「うん、そう」
頷いて少女二人の正面に座ったカイは、顔を上げたシオリを見て動きを止める。見慣れた反応だったので、シオリは小さく鼻を鳴らすのみで、挨拶すらしない。
「こちら、シオリ・マドセン、私のチューターで芸術科五年生。で、彼はカイ・シェン。ダイのお兄様よ」
「カイ、どうしたの」
「あ、ああ……驚いて。いや、うん、アルセリアで傾国に会うとは思わなかった」
感嘆の呟きを漏らすカイを、シオリは黒々とした目に怒りを込めて睨んだ。
「ふん、ケイコクって何よ」
聞き覚えない形容をされて文句を言うと、留学生二人は品良く笑った。
「ふふっ、アルセリアでは言わないのね」
「二人だけでわかったようなのが腹立つ!」
ナナーシュの肩を軽く小突いて、シオリは視線をノートに落とした。
「黄色いタイってことは芸術科なんだ。音楽、かな?」
シオリが答えないので、ナナーシュが頷く。
「シオリは天才バイオリニストよ……正しさを凌駕する魂の叫びが……」
「ナナーシュ、やめて」
過剰な詩的表現で自分を褒めようとするナナーシュを制す。シオリはカイの骨ばった手の甲に走る傷が気にかかった。
「怪我してる」
「え」
指摘に驚いてカイはさっと手を後ろへ隠す。柔らかそうな黒髪に、人好きしそうな目鼻立ちも視界に映り込んだ。
「カイ、怪我しているの?」
「大したことないよ、ちょっと、訓練でね」
カイがはにかんで答える。
「君たち、書庫では静かに」
書庫の奥から官吏科の緑タイを締めた、日に焼けた男子生徒が姿を見せた。彼——ザック・フィールドはナナーシュを気に入って何かと付きまとっている。
「あ、先輩、ごめんなさい」
「いや、いいんだ」
小声で謝罪するナナーシュには小さく頷いて見せてから、彼は急にシオリに矛を向けた。
「……留学生に歴史を教わっているのかい? 芸術科ってのは、生産性が低いだけじゃなく、他人の時間まで搾取するのか」
「はあ?」
低く唸るような声を出して椅子を蹴ったシオリは、ザックの日焼けした顔を睨み上げた。
「自分の国の歴史も知らないまま、クラヴィーナだのバイオリンだの、のんきなものだ」
「ああ、そういう……庶民は犠牲者だっていう輩ね。ちゃんちゃらおかしいわ」
「君たちが音楽に興じて遊んでいる間に、寝る間も惜しんで義務を果たしている者がいると考えたことはあるのか」
ザックは額に青筋を浮かべて熱弁を振るう。
「笑える。そういう身分の一番上にいるのが、ナナーシュじゃない。囲い込みたい人の出自をこそ否定してるって気づいてないの? バッカみたい」
ナナーシュと親しくなったシオリを邪魔に感じて排斥したいという、ザックの苛立ちには気づいていた。
「シオリ、あの、それぐらいで」
ナナーシュがおろおろと言い合う二人に口を挟む。カイが立ち上がってザックの背後へ回り込み、彼の背を軽く叩いた。
「書庫では静かにしましょう――ですよね、先輩、ナナーシュが困っています。出ましょう」
カイが囁いた台詞は耳の良いシオリに届いている。
「あ……すまない、ナナーシュさん」
シオリはカイに促されて退室するザックを険しい表情で見送った。
「シオリ……その」
「説教は聞かないわよ」
「うん、ごめん」
「なんでナナーシュが謝るのよ……アイツ、この前もナナーシュに張り付いてたじゃない。嫌なら断った方がいいよ」
意図せず強い執着を向けられる怖さは身に染みている。心配したシオリに対し、ナナーシュは下がった眉尻を更に下げる。
「嫌ではないし、先輩も悪気があるわけじゃないと思うの」
「そんなの……」
シオリが反論しようとしたところで、書庫の扉が大きな音を立てて開いた。
「ナナーシュ、ヤバいよ、俺、全然計算ができない。助けて」
ダイが大きな音を立てて、ナナーシュの反対側の空席に滑り込んだ。書庫担当教師が飛んでくる。
「静かに!」
「すみません」
ダイは大きな背を丸めて謝罪をした。
「うるさいのが来た……辛気臭いかうるさいかしかいないのかしら」
呆れつつも空気が変わった安堵感でぼやきが零れ落ちた。ダイは緊張が解けて脱力するシオリに向かって、無邪気に挨拶をする。
「どうも、お邪魔します、マドセン先輩」
「本当に邪魔」
「わあ、相変わらず酷え。かわいいのに怖い」
ダイに毒気を抜かれたのだろう、ナナーシュも肩の力を抜いて小さく笑った。




