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31.不穏

 午前の授業が終わり、立ち上がったシオリの背中にセレスティアが声を掛けた。

「マドセンさーん、今朝見たわよー」

「なに」

 振り返ったシオリは、クラスメイトの好奇心に溢れた視線を受けて眉を顰める。

「ほら、カイ君とイチャイチャ歩いてるとこー」

「い……イチャイチャはしてない」

「えー? 手を繋いでさー、寄り添って。バイオリンもカイ君が運んでさー。すごく甲斐甲斐しくて騎士と姫って感じだったわー」

 揶揄いたいのか、羨ましいのか、彼女の口調からは判別できない。シオリはぶっきらぼうに答える。

「そんなじゃないし」

「でもでも、モーガン君との婚約やめてまで、恋人になったんでしょー」

 カイは彼女に気持ちを伝えた翌日から、毎朝必ず寮の玄関前でシオリのことを待っている。

「……チェンバレンさんに関係ある?」

「えー、クラスメイトなのに冷たーい」

 諦めず話し続けるセレスティアに付き合って、シオリは椅子に座り直した。

「何か……言いたいことでもあるの」

 シオリの口調はぶっきらぼうだったが、剣呑さは消えている。セレスティアは満面の笑顔で声を潜めた。

「うっふふー。カイ君てば、朝も帰りもー、ちょっとでもマドセンさんと一緒にいたいんだって、淑女科の子に話したらしいよ」

「は?」

 白い頬が瞬時に染まる。シオリは「聞くんじゃなかった」と口の中で呟いて立ち上がる。

「メリーアン情報でーす……愛されてるー……良かったね」

「……別に」

 赤い頬のまま教室を出ていくシオリの耳に、セレスティアの楽しそうな笑い声が届いた。


 食堂の入り口で、シオリの隣にミーヤが並んで腕を掴んだ。

「シオリさん、大変です」

「何、どうしたの?」

「ナナーシュ様がその、喧嘩を」

「喧嘩?」

 腕を引かれるままに中へ入ると、ナナーシュと数名の生徒が睨み合っている。周囲で生徒たちは遠巻きに様子を窺っていた。

「シェンを利用して、この国を中からかき回すつもりなんだろう。俺たちはわかってるんだ……」

「スローリー先生が捕まったのだって、お前ら東方のヤツラのせいだ!」

「我ら由緒正しいアルセリアの青き血を汚そうとする侵略者は許さない!」

 唾をまき散らしながら叫んでいるうちに、騎士科の生徒の一人が激昂してナナーシュに肉薄する。弾かれたように駆け寄ったシオリは、ナナーシュの腕を掴んだ。大きな表情の変化はないが、ナナーシュの瞳には強い光が見てとれる。

「大丈夫よ、シオリ。皆さん、何か誤解しているようですね」

 シオリの手をナナーシュはそっと叩いた。シオリは頷いて彼女からは手を離したが、威嚇の意味も込めて周囲の生徒たちを睥睨した。

「スローリー先生がおかしくなったのも東方の陰謀ですわ」

 シオリの鋭い眼差しに腰が退けた様子を見せながらも、淑女科の女子生徒が反論した。

「デビット・スローリーはダイをクロスボウで襲ったから裁判にかけられるんです。アルセリア王国法 第九条『身体不可侵及び不法加害処罰法』並びに、第十二条『不法謀殺及び安寧破壊未遂法』等が適用されてこの国の法で裁かれるでしょう。どちらかといえば、私たち東黎帝国人が被害者ですが。その点についてはどうお考えですか」

 動じないナナーシュに、絡んでいた生徒たちは言葉に詰まる。

「騒がしいな」

 そこへ、デンジとオリビアが姿を見せた。

「あ、オリビア様」

 淑女科の小柄な生徒が声を掛けるのを無視して、オリビアはシオリとナナーシュに鋭い一瞥を向ける。デンジはずかずかと割って入り、不敵な笑顔で言った。

「この場は生徒会長である僕が預かる。互いに何か言い分があるのなら、後日報告としてまとめて提出するように」

「な、なんだ、それは……っ」

 抗議する騎士科の生徒の袖を、官吏科の生徒が引く。

「トポロジーの相手は骨が折れる、行くぞ」

「あ、待ってくださーい」

 そそくさと食堂を出ていく男子生徒たちの後を、小柄な女生徒が追いかけた。

「オリビア君、知り合いか」

「……実家の関係で少し。騒動を起こすような令嬢だとは思っていませんでしたが」「ふうん?」

 絡まれた当人だというのに涼しい顔のナナーシュに、デンジが揶揄うよう声を掛ける。

「大丈夫か、と愚問だな、ナナーシュ君」

「学園内だけでなく、大きな誤解が生まれているようですね。リー家として正式に調査と抗議を検討します」

 ナナーシュは、デンジの後ろで口元を歪めているオリビアを視線で射抜いた。彼女はリー家の姫に圧倒されて数歩後退する。

「オリビア君、どうした」

「いえ……デンジ先輩、早く食事にしましょう。問題なさそうですし」

 オリビアが逃げるようその場を去って行くのを、シオリは鋭く睨んで見送った。



 シオリは大音楽ホールを取り囲む足場を見て眉根を寄せる。カイとシェードは顔を見合わせた。

「どういうこと? 工事……なんて聞いてない」

「ちょっと、聞いてくる」

 シェードが作業員に声を掛けてから、ホール内へ消えた。カイは中央公園を彩る紅葉した樹々を見上げて呟く。

「シェードの父上は、モーガンの名のまま使用できるって言ってたけど」

 婚約解消前、モーガン家推薦の上で卒業公演のための大音楽ホール使用予約をした。アルセリア王国の二大劇場は王都中心部の中央公園内にある。国立劇場か、大音楽ホールで卒業公演を打てたら成功への道が約束されたようなものだと言われていた。

「公演までに終わるのかしら」

 シオリは艶のある栗色の髪を耳にかけ、じっと足場とシェードが消えた入り口を見つめている。彼女の仕草をなぞるように、カイも手を伸ばして彼女の髪に触れた。

「どうも……気に入らないな。オリビア・ブルームって知ってる? 生徒会長とよく一緒にいる」

「ああ……気持ち悪い兄がいる……前にミーヤにも絡んでたわ」

「その兄についてはまた聞くとして……どうも、そのオリビア嬢が絡んで、モーガン家に婚約を迫ってる令嬢がいるんだって」

「そう……なの」

 口を歪めて考え込んだシオリは、カイの骨ばった指で頬を突かれた。腰を屈めて彼女の顔をのぞき込んだカイは、口を尖らせて甘えた声を出す。

「気になる? シェードのこと……そのままモーガンの名前使っていいって、いくらシオリの腕を買ってるからってさ、まだ諦めてないのかも?」

「……カイ……変な勘違いはやめて」

「だってさ……はあ」

 凛々しく黒い眉をハの字に歪め、カイはシオリの背後に回って彼女をそのまま抱き込んだ。

「ちょっと、カイ!」

「……寒いから温めてる」

「もう……人が来たら離れて」

「どうして? 嫌なの」

「は……恥ずかしいの……っ」

 徐々に体温を上げるシオリを閉じ込めたカイは低く笑った。背の低い樹々の前でシェードの戻りを待つ。二人は寄り添って甘さと熱を分け合った。


「大音楽ホールは来年の春まで使用中止となったそうだ。天井の一部が崩落したらしい」

「じゃあ……」

「残念だが、ここは使えない……シオリ、婚約を解消した以上、モーガンの名で新たな場所を押さえるのは難しい。すまない」

 シェードは目を伏せて頭を下げる。シオリは背後に留まったままのカイを振り仰いだ。

「ヒッタイの名前も使えない。養子入りの手続きが止まってて……ごめん」

 シオリは静かに首を左右に振った。

「謝らないで……どっちにしろ、今から別の会場を押さえるのは多分、無理……他の卒業生が使うし」

「なんでもするって言ったのに……ごめん」

 頭上で力ない声で謝罪するカイと、暗い表情のシェードを交互に見る。彼女は軽くカイの腕を叩いて歩き出した。

「帰ろう」

 気落ちした二人を従えて、シオリはしっかりとした足取りで落ち葉を踏みしめる。

「ねえ……暗い顔をしてついてくるの、やめてくれない? 二人してそんな顔してたら、気分が悪い」

 無言のまま落ち葉を踏みしめる音だけ響かせて数分、シオリが振り返って抗議した。

「卒業公演はどうする」

 シェードが足を止めて尋ねる。カイはシェードの斜め後ろで、縋るような眼差しでシオリを見つめた。

「来年……ここでやる」

「え、それは……どういう意味?」

「もう一年、学園に通うってこと」

 きっぱり宣言して不敵な笑みを浮かべるシオリに、シェードが戸惑いつつ問いかける。

「いいのか?」

 風が吹いてイチョウが降ってくる。シオリは髪に落ちた黄色い葉を掴んで指先で弄んだ。

「前は音楽以外の時間は無駄だと思ってた。でも……そうじゃない」

「そうか、それも……そうだな」

 シェードは低く笑いながら、二人を残して先へ行く。カイはシオリの隣に並んだ。ゆっくりと大きな背中を追いかける。

「いいの? もう一年……」

「だって……カイもでしょ」

 最後に小声で付け加えたシオリは、伸びてきたカイと手を繋いではにかんだ。


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