26.夕暮れに消える
「メルヴィン従兄上!」
シェードが弾んだ声を出す。チャコールグレーの制服姿の中でも、誰よりも大柄な騎士が足を止めて振り返った。
「シェードか」
「はい、あの、これはどういう……」
特別捜査部隊の騎士たちが十人以上、専門棟へ向かって行く。濃紺の制服を着た警邏騎士たちも続々と現れた。
「ちょっと待ってろ。おい、一番近い通用門から出る。そうだ、階段からの動線だ。規制しろ」
放課後の課外活動に興じていた生徒たちは、騎士たちが身体で作った壁の向こう側に留まるよう命じられた。
「犯人を連行する」
「あ、はい」
「ルークやヒースがスローリーを連れてくる」
シェードの斜め後ろに隠されていたシオリは、大きな背中から顔を出して、メルヴィンを見上げる。
「スローリー、先生が、犯人」
メルヴィンは人差し指を口に当てつつ大きく頷いた。破顔して彼女を見やる騎士に、シオリは小首を傾げる。
「シェードほどじゃねえが、シー坊も大きくなったな」
「……会ったこと、あるんですか」
「おう、こんな、小さい頃な。アハハ、坊じゃねえな、嬢か」
翼廊の方向を睨みつつも、軽口を叩く騎士の様子に、シオリとシェードは顔を見合わせる。
「モーガン家は皆大きいですね」
スラリと長身の女性騎士が寄って来て、シェードとメルヴィンを見比べる。
「おう、従弟のシェードだ。こっちはうちの参謀長」
「騎士科五年の、シェード・モーガンです」
居住まいを正すシェードに、女性騎士は眼鏡のつるを押し上げてから会釈した。
「放課後を騒がせて申し訳ありません。逃亡を防ぎたかったのでこのような形となりました」
集まってきている野次馬生徒たちにも届く大きな声だった。二人の騎士が注視する翼廊方向を、シェードもシオリも固唾を飲んで見守る。
「あの、何があったんですか」
騎士の近くにいたからだろう、ミーヤとカイが近づいてきた。シオリは暗がりでの邂逅を思い出し、カイからそっと目を逸らす。
「あったのではなく、これからだ」
低く答えるシェードの隣に、ミーヤが並んだ。二人の体格の違いを眺めて、シオリは僅かに眦を下げる。カイは黙ってシオリの隣に並んだ。
「カイ殿、飛び出さないように……俺はもう部下を殴りたくないんでな」
「わかってます。副長殿」
事件捜査でか顔見知りだったらしく、メルヴィンがカイに声を掛けた。生真面目に答えたカイの体温を感じながら、シオリは口を噛みしめる。
やがて、前後左右を騎士に挟まれたデビットが姿を現した。どよめきと騒めきがさざ波のように広がる。ミーヤが青ざめて震え出したことに気づいたシオリより先に、シェードが彼女の小さな肩の上に両手を乗せていた。自然と寄り添い合う二人の様子と、背筋を伸ばして堂々と歩くデビットの様子を交互に眺める。メルヴィンと参謀長、警邏騎士の壁はあれど、デビットがシオリたちに最も近づいたとき、カイの呼吸の音が消えた。デビットを睨む爛々としたカイの眼光に、背筋が震える。
「じゃあな、シェード。また、祝いの席で」
「はい」
「……ん? 相手はシー坊じゃないのか……」
青ざめるミーヤに寄り添うシェードを見て首を傾げつつ、メルヴィンは連行の最後尾について去って行った。
臨時の全校集会に招集された帰り、シオリはデンジとカイが会話している場面に遭遇する。
「帰国という話にはならなかったのか」
「ダイだけでも戻って欲しいと母から連絡がきましたが、本人はこちらに残りたいそうです」
「ふうん……気丈なことだな」
「どうでしょう、あんまり深く考えていないだけだと思いますよ」
「ハハハ、弱った弟相手に手厳しいな」
卒業と婚約に向けた準備は少しずつ進んでいる。留学生たちと顔を合わさなくなる日は近い。シオリは深くため息をつきながらその場を離れた。耳に心地好く優しい声、明るい笑い声、不穏に光る茶色い目、東方の御香の香り――カイを象る全てが脳裏に浮かんでは消える。
今夜の音楽棟の使用許可を得て、一度寮へ戻ったシオリは部屋の前で佇むナナーシュを見つけた。
「お帰りなさい、シオリ」
「うん、ただいま。てか、どこにいたの」
「おじ様のところ」
「ああ、王宮ね」
「ええ。ねえシオリ、時間をもらえる? 話を……したいわ」
「わかった」
シオリは扉を開けて、ナナーシュを室内に招き入れる。
「お茶でも入れる? お湯を沸かしてくる。そこの棚に茶葉とクッキーがあるから」
「ええ、ありがとう。準備しておくわね」
シオリはお湯を沸かしに給湯室へ行き、すぐに戻った。
「お待たせ」
「ありがとう、シオリ」
真っ白なポットの蓋を開け、慣れた手つきで茶葉を放り込んでから閉める。陶器のポット、伏せられたカップ、皿にらせん状に並んだクッキー、テーブルの上で茶会の準備は整った。
「どうして、王宮にいたの?」
「デビットが私に執着しているようだったから、もう二度と顔を見せないと決めたのよ」
「なるほど、いい攻撃ね」
「ふふ、シオリだったらそう言うと思ったわ」
不敵だが綺麗な笑い声を上げたナナーシュは、前下がりの黒髪を耳にかけて顔を上げる。
「フィールド先輩も……デビットに翼廊から突き落とされたんですって」
「え……」
絶句したシオリは、返す言葉を見つけられないまま、立ち上がる。カップにお茶を注ぐ彼女の指をナナーシュは静かに眺めた。
「私の国では筆舌に尽くしがたい憤怒、と表現するわ。顔を見せないことだけじゃない、物理的な仕返しもしたのよ」
「物理的って……ナナーシュが? カイじゃなくて」
「ふふ、カイにも協力してもらったのだけれど、証拠となる上着にお茶を引っ掛けて回収したの。クリーニングに出しますって言って」
「何それ」
目を丸くするシオリが差し出したカップに口を付け、ナナーシュは胸を反らす。
「ダイを撃ったクロスボウから飛び散った金属の粉が、デビットの上着の繊維に入り込んでいたのよ。特捜の騎士殿から話を聞いて、これだ、と閃いたわけ」
「閃いたじゃないわよ」
「だって……先輩もダイも……私なりの贖罪、そして断罪なのよ」
シオリは紅茶を飲んでクッキーへ手を伸ばす。サクサクと咀嚼音が響いた。
「……ダイだってまた、心配するわよ」
「ダイには内緒よ。カイもきっと言わないわ」
彼女もクッキーへ手を伸ばし、品よく齧る。二人ともしばらく黙って控え目な甘さを堪能した。
「まあ、もう終わったことね」
「ええ、そうね。終わったわ。カイも戻ってきたし」
黙して答えないシオリに、ナナーシュはもう一度言った。
「カイも戻って……」
「……知ってる」
シオリの耳が赤く染まる。前触れなく耳の奥で旋律が流れ出す。
「ダイが言っていたわ。カイはシオリの前でだけ、全然違うって」
「ねえ、今さら……」
遮ろうとするシオリを制して、ナナーシュは続けた。
「あなたのアモローゾを世界に届けるために必要なのは本当に……シェードなのかしら」
「……そういうの……いいから」
言い慣れた台詞だったが、途切れ途切れになった。目尻に涙が滲んで止められなかった。




