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21.アモローゾの調べ

 ダイが一瞬だけ意識を取り戻した。兄や医師の顔をぼんやり眺めてまたすぐに眠る。目を開けるのは日に一度か二度程度だが、ハミルトンも彼が確実に回復に向かっていると太鼓判を押した。

「荷物を取りに戻りたいのです。構いませんか」

 議長秘書官に願い出るとすぐに許可が下りて、護衛として警邏騎士が同行してくれることになった。アネモネが用意してくれた白いシャツに黒いズボン姿で学園の門をくぐった彼は、同僚の騎士たちに挨拶に回るという同行者と別れて寮へ向かった。

「シェード様、あたし、困ります」

 放課後は人口密度が高くなる訓練場等を避けて、久々の学園内を静かに堪能しつつ歩いていると、知っている名を呼ぶ媚びた声が聞こえて足を止める。

「現状困っているのはこちらなのだが……」

「だってだって、ブルーんん、いえいえ、あの、とある当家でお世話になっているお家の方が、なんとしてもシェード様の正夫人の座を射止めろって。マドセンさんは愛人でもいいじゃありませんか。貴族のお家じゃないし」

 足音を立てないよう注意しながら、中庭の隅、生い茂った草木がちょうど目隠しになっている一角へ移動した。訓練中だったのだろう、汗だくで大判ハンカチを首から提げたシェードに、小柄な女生徒が必死で訴えている。

「俺はそんなに器用には生きられないし……俺の婚約者は愛人の座に甘んじるような器ではない。君が世話になっているという家の者が誰か知らないが……諦めた方が賢明だと伝えてくれ」

 縋りつく小さな手を優しく振りほどき、シェードは訓練場の方向へ駆け去った。カイは残された小柄な女生徒が顔を歪めて去って行くのも見送って、自分も移動した。


 自室から東方大剣と教科書と着替えを詰めた鞄を持ち出したカイは、玄関を出たところで待ち構えていたナナーシュに詰め寄られた。

「カイ!」

「ナナーシュ」

「黙って行こうとするなんてひどいわ」

「ごめん……今日は荷物だけのつもりだったし、君が捕まるかわからなかったから」

「何としても捕まえてくれないと困るわ」

「そうか、うん。そうだよな」

「そうよ。ダイは……私にとっても弟みたいなものなのよ?」

「うん……少しずつ、意識を取り戻す時間が増えてるよ」

 泣き笑いのような笑顔になるカイの目の下の隈を見て、ナナーシュは下がり眉を大きく下げて、彼の肩に触れる。

「良かった……あ、そうだわ、カイ。今の時間、専門棟でシオリがバイオリンの練習をしているの」

「いや……俺は」

 力なく首を振るカイの鞄を奪い取って、ナナーシュは目を伏せた。

「ねえ、カイ。シオリに、このリボンを届けて欲しいの」

「……ナナーシュ……わかった」

 カイはナナーシュが差し出した光沢のある赤いリボンをポケットへしまう。屋内へ足を踏み入れたカイは、大剣を背負ったまま練習室へ向かった。

「シオリ」

 練習室から祈りに似た優しい音色が漏れ聞こえる。カイは彼女の名を呟いて暫く扉の前でただただ彼女の演奏に浸っていた。やがて音が途切れた時、カイはポケットのリボンを扉の取っ手に結んでその場を駆け去った。


 自分の中で渦巻くもやもやを振り払うべく、カイは荷物を手に軽快な足取りで門へ向かっていた。彼の視界に、見慣れた長身痩躯の医師とチャコールグレーの制服姿の騎士二人が映る。

「あ、リーせんせい、こんにちは」

 長身痩躯のナックル・リーは東黎帝国のリー家出身で、ダイを助けるために特別な麻酔薬を投与した王宮医局の医師だ。

「ああ、カイか。学園に戻ったのか」

「はい、着替えと大剣と教科書を取りにきました」

 歩みを速めてナックルの隣に並んだカイは、振り返った騎士二人に背筋を伸ばしたまま挨拶をする。

「特別捜査部隊の方ですね、カイ・シェンです。弟の件では大変お世話に、なっています」

「あ、どうも、ルーク・レコメンドっす」

「ヒースレッド・ホワイト・フェリーチェです」

 ヒースレッドと名乗った騎士は剣の柄に手を触れて、硬い表情でカイをじっと見つめている。警戒されているのだと感じ取り、カイは笑顔で説明した。

「大剣は素振り用です。物騒に見えますよね、すみません」

「あ……見慣れないもので、失礼しました」

 丁寧に頭を下げるヒースレッドに恐縮して、カイは首を左右に振る。

「いえいえ」

 ルークはさり気ない動きでカイの背後へ移動して、横から後ろから、東方大剣を観察する。

「医院に戻るんすか、馬車に乗ってったらどうっすか」

 人懐こい雰囲気でなされた提案に、カイは笑顔で辞退した。

「いえ、警邏の方と門で待ち合わせしているので」

「全員は乗れないかー」

「近いので、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 カイの声に張りが戻っている。ナックルが低く呟いた。

「少しは休めているようだな」

「はい、ダイの容態も安定してきたので、寝て食べるようにしています」

「それでいい」

 台詞や口調は素っ気ないが、彼が医師として自分を心配してくれているのは伝わった。一行は言葉少なく会話を続けながら通用門まで辿り着く。

「では、失礼します」

 ヒースレッドが挨拶をして、ルークも会釈をして待機していた馬車に乗り込んだ。

「また、医院へ顔を出す」

「はい、お願いします」

 ナックルたちを見送ったカイは、護衛として同行した警邏部の騎士が来るのを待つ間、本館近くのガス灯に灯りが入ったのをぼんやり見上げた。先ほど聞いたシオリが奏でたバイオリンが、頭の奥で優しく鳴り響いていた。

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