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13.剣技大会

 王立学園では年に二回、騎士科の重要行事として剣技大会が開かれる。七月下旬の夏季大会に代表として選抜されることを目指して、騎士科の生徒たちは自主鍛錬に余念がない。日暮れ直前まで鍛錬していた訓練着姿の男子生徒の集団が、寮の入り口前に群がっているところへ、バイオリンケースを抱えたシオリが通りがかった。夏服のベストに短いスカート、半そでのブラウスから伸びた腕は日焼けしておらず白い。

「やあ、シオリ、練習帰り?」

 目敏く気付いて声をかけるカイを、シオリは横目に睨んで軽く頷いて通り過ぎようとする。

「待って」

 シオリが玄関へ入ろうと開けた扉を、カイが腕を伸ばして押さえる。首だけ振り仰いだシオリは、扉を押さえる腕の持ち主へ鋭い視線を向けた。

「何よ?」

 雑談をしていた生徒たちは皆、固唾を飲んで見守っている。

「聞きたいことがあるんだけど、ちょっと時間いい?」

「……今?」

「うん、ほら、二人きりで逢引きしたら、シェードに悪いから」

 カイは笑顔だったが否とは言わせぬ圧を込めた目でシオリを見下ろしている。シオリは小さく息を吐き出して、中へ入るのを諦め外へ出た。カイは、雑談を交わしていた男子生徒たちに手を挙げて合図を送ってから、シオリを連れて移動する。寮と中庭を結ぶ道の途中、集団の視界には入れど会話は聞き取りにくい場所で足を止めたカイは、僅かに眉尻を下げた。シオリは硬い表情のままケースを前側に抱え直してカイを見上げる。

「そんなに怯えないで欲しいんだけど」

「そ、そっちが変な目で見るからでしょ」

「その言い方はちょっとどうかな」

「間違ってないわ」

「うーん、まあ、いいや……今日はね、シオリ。ナナーシュのことについて聞きたいんだ」

 身構えていたシオリは、僅かに肩の力を抜いた。

「ナナーシュね……あの子がどうしたの」

「ダイのことなんだけど、迷惑だとか、鬱陶しいとか、そういう風に言ったりしていない?」

「聞いたことないわ。そもそもナナーシュは他人を悪く言わない」

「まあ、そうだよね……じゃあ、シオリから見て、どう? 言わないだけで嫌がってるとかそういう風に見える?」

 シオリはバイオリンケースを重そうに抱え直して首を左右へ振る。

「見えない。ザック・フィールドのことは少し迷惑がってたけど、ダイのことは……犬みたいに可愛がってると思う」

 きっぱり言い切ったシオリに、カイは苦笑した。

「そっか、犬か……」

 襟ぐりが緩んで胸元が開いている。彼の引き締まった胸筋を視界に収めつつ、彼女が問いかけた。

「どうしてそんなことを私に聞くの」

「シオリはそういう嘘を、つかないだろうなっていう気がしたから」

「……嘘ぐらい」

「うん、誰だって嘘はつくけど、シオリだったら照れ隠しとか、誰かのためとか、そういう時だけなんじゃないかなって気がする」

 低く柔らかい声の調子で紡がれた台詞に、シオリの頬が熱くなった。

「そんなわけないでしょ、なんなの、一体……わかったようなこと言わないで」

 抗議の声に覇気が足りない。血管の浮いた太い前腕を睨んでいるシオリに、彼は優しい声で言う。

「うん、そうだよね、ごめん」

 そのまま暫く互いから伸びる影を見て黙っていた二人だったが、シオリの背後から大きな影が差して我に返った。

「二人で黙り込んでどうした」

 穏やかに割り込んだ低いシェードの声に、シオリは複雑だった表情を元に戻す。

「彼が、ナナーシュのことを聞きたいって」

 シェードは腰帯にぶら下げていたハンカチで汗を拭い、シオリが抱えていたバイオリンケースを取り上げた。シェードはカイより一回り大きく見えるが、腕の太さはあまり変わらない。

「俺が持とう。カイとの話は終わったのか」

 内心で二人の腕を比べていたシオリは、我に返って尋ねる。

「……もういいの?」

 柔らかそうな黒髪をかき回してから、カイが笑顔で頷く。

「うん、いいよ、ありがとう。ダイがナナーシュの邪魔になってるって、騒いで忠告してくる輩がいてね。本当はどうかって、シオリの意見を聞きたかったんだ」

 カイの説明を聞いたシェードは、頷いて改めて彼女に水を向けた。

「どうなんだ? シオリ」

「少なくともナナーシュは邪魔だと思っていないと思う。カイにもそう答えた」

「そうか、じゃあ……すまないが、カイ」

 躊躇いがちに二人を見比べるシェードに、カイは快活な笑顔を残して駆け去った。遠くで二人を見守っていた男子生徒の集団は、カイが戻ると何やら騒ぎながら寮内へ入って行った。

「俺たちも戻ろう、シオリ」

「うん」

「……カイのことは、いいのか」

 玄関の前で周囲に人がいないことを確認し、シェードが身を屈めて囁いた。シオリはシェードの腹部に軽く拳をぶつけた。

「……シオリ・マドセンはシェード・モーガンと婚約する」

「ああ」

「破談にしたいの?」

「……いや」

「そう」

 ケースを小脇に抱え、シェードは寮の扉を開けて押さえる。彼の腕の下をくぐり抜けるよう中へ入ったシオリは、差し出されたケースを受け取って、シェードの顔を見ることのないまま、女子寮の方向へ歩み去った。



 騎士科の剣技大会は勝ち抜き戦で行われる。午前中の学年ごとの選抜勝ち抜き戦で代表は決まった。日中炎天下を避けた夕方これから、学年別の代表者同士が対戦して総合優勝者を決める。

「カイとダイも出るの」

「留学生だから特別枠で出るんですって。二人ともああ見えて結構強いのよ」

 ナナーシュが興奮した面持ちで話しかけてくるのを、シオリは手で顔に風を送りながらおざなりに聞いた。

「はあ、暑くて、見学してるだけで汗まみれだわ」

 大きくため息を吐いて、シオリはナナーシュがかざす日傘の下へ潜り込んだ。

「確かに陽差しは強いけれど、東黎帝国より乾燥していて、過ごしやすいわ」

「そうなの……東方の方が涼しいんだと思ってたわ」

「アルセリアの方が、風が爽やかで心地いいくらい」

 ナナーシュは背筋を伸ばして涼しい顔をしている。前下がりの短い黒髪を耳にかけて微笑む東方の姫を、シオリは目を眇めて見やった。

「シェードが手を抜いてくれてたら、こんな思いをして見学しなくて良かったのに」

「まあ、シオリったら。シェードは総合優勝候補の一番手じゃない。婚約者になったんだもの、張り切って祝福のキスを与えなくては」

「この前見た古代劇の影響を受けすぎ。女神でもないのに祝福なんか送っても仕方ないじゃない」

 呆れて肩を竦めるシオリの方を向いて、ナナーシュは嬉しそうに笑う。

「ふふ、シオリを女神みたいに崇めている方たちがたくさんいるんだから、あながち間違いじゃないと思わない?」

「そういうの、不敬罪っていうんじゃないの。それに熱狂的なのはナナーシュの取り巻きの方よ。わざわざカイにまで苦言を呈してるんだから」

「どういうこと?」

 シオリは先日のカイとの会話をナナーシュに明かした。

「どなたかしら……デビット先生の討論会でご一緒した方たち数名に、似たようなことは言われたけれど……私、ダイを邪魔になんて思っていないわ」

 眉尻を下げて頬に手を当てるナナーシュの言葉を、シオリは短く肯定する。

「うん、見てればわかる」

「ふふ、私を良く見ていてくれているのね、シオリったら」

 ナナーシュは弾んだ笑い声を上げる。シオリは秀麗な眉をひそめて、鼻から息を漏らした。

「あ、噂をすればダイだわ」

 シオリとナナーシュは人混みを避けた遠くにいる。騒めきや歓声に紛れて、仕合開始の合図が聞こえなかった。短く刈り込んだ黒髪にがっちりした体躯のダイは、遠目にも判別がしやすい。

「ちょっと、動きが違わない?」

 ダイの足さばきが対戦相手の生徒とは異なる。シオリの疑問に、ナナーシュは大きく頷く。

「ええ、あれは、東方大剣の動きね。仕合の時は形披露と違って自由に動ける。ダイには有利だと思うわ」

「ナナーシュ、剣にも詳しいの?」

「ふふ、私も東方剣と東方体術は使えるのよ? リー家の子どもは、護身として基礎を習うことになっているの。あんまり筋は良くないけれど、あ、ダイ、危ないっ」

 大きく踏み込んだダイはかわされてよろめき、地面に膝を付いた。隙を狙って振り下ろされた攻撃を、ダイは剣で受けて防ぐ。ナナーシュは両手で強く日傘を握りしめた。シオリは、熱中するナナーシュを後目にぼんやり余所見している。

「そこよ、ああ、ダイったら、大振り過ぎる」

 ナナーシュが振り回す日傘から距離を取って、シオリが首を巡らせる。彼女の視界にカイの横顔が映り込んだ。

「あっ……」

 思わず口をついて出た声が聞こえたかのように、カイはシオリの方を向く。彼女は、ベストの胸元辺りを掴んで俯いた。鼓動が跳ねるのを鎮めるべく目を閉じていると、そっと肩に手が触れた。

「シオリ、具合でも悪いの?」

「ううん、暑くてぐったりしているだけ。大丈夫よ」

「なら、いいけれど……ダイは、負けちゃったわ」

「そう」

 答えてシオリは先ほどカイがいた場所を見たが、彼の姿はもうなかった。


「兄上対シェードで決勝なんて、すごいな! ナナーシュ」

「ええ、本当に……瞬きする間も惜しんで見るわ!」

 ダイは一回戦で負けてしまったが、あっという間に元気を取り戻した。ナナーシュのお願いという名の命令に従い、甲斐甲斐しく働いている。暑くてぐったりしたシオリを気遣ったナナーシュの頼みで、ダイが果実水を調達してきた。

「……ナナーシュって、素直に言うことを聞いてくれる男がいいのよね、多分」

「え、なあに?」

「なんでもない」

 忠犬めいた彼の働きの恩恵に預かって、シオリは喉を潤した。

「もう誰もいないのだから、利用してもかまわない」

 いつの間にかシオリたちと合流していた生徒会長であるデンジの思い付きで、屋根付き天幕でのんびり座って観戦できることになった。

「前評判だと君の婚約者が圧勝だが、実際はどうなんだ?」

 隣に座ったデンジの問いかけに首を傾げてから、シオリはちらりとダイの方を見た。

「さあ……シェードの方が大きいけど……大きい方が勝つわけじゃなさそうだし」

 ダイは頬を膨らませた。

「マドセン先輩が酷いよ、果実水買ってきたのに。なあ、ナナーシュ」

「ダイ、今はそれどころではないわ、もう始まるわよ」

 上ずったナナーシュの声にかぶさるよう、審判役の警邏騎士が決勝出場者である二人の名を呼んだ。シオリはシェードの方に首を向けているけれど、視界の端に映るカイが気になった。

「始め!」

 騎士の鋭い掛け声と同時にカイが飛び退って、踏み込んだシェードの刃が空を切る。空気を切るような鋭い音、二人の息遣いや気合声、全てが近くに聞こえる。遠目で観戦していた時とは迫力が違った。

「ああ、カイ、きゃ、さすが、避けたわ」

 カイの背の筋肉が浮き上がり、太い腕が素早く動いている。シェードの踏み込みで、土埃が舞い上がる。

「兄上、そこだ、それ、わっと」

 ナナーシュとダイは騒がしいが、シオリは一言も発しないまま、戦う二人を凝視している。

「シェード・モーガンの一撃は重いな。当たったら痣じゃ済まないだろう」

「刃を潰していても本物の剣ですからね」

 デンジの呟きで若干冷静さを取り戻したらしいナナーシュは、前のめりになっていた上体を戻して果実水を飲んだ。

「ふう、これは……長期戦になりそうだわ」

 ナナーシュの予想通り、カイとシェードは一進一退の攻防を繰り返し、なかなか決着が付かない。カイの一撃は当たっても軽く、シェードの攻撃は掠ることはあっても、決定打とはならない。

「はあ……」

 大きく息を吐いて両手を握りしめていたシオリは、カイが大きく飛び退いて今までと異なる斜めの構えを取ったのを見て目を瞬かせる。

「あれは何?」

 カイの纏う空気が一変してすぐ近くにいるかのような錯覚を覚える。獲物を視界に捕らえて高揚した猛禽のような猛々しい眼差しが、相手のシェードだけでなくシオリまで圧倒した。

「兄上が……本気だ」

 ダイが小声で呟き、ナナーシュが立ち上がった。

「いけないっ」

 滑り込むように突き出された剣がシェードの胸当てに突き刺さる。シオリの背筋が震える。審判の騎士が慌てた様子で割って入った。苦悶の表情で膝を着くシェードを、カイは無表情に見下ろしている。カイは勝利を喜ぶでもなく静かに呼吸している。

「勝者、カイ・シェン」

 騒めきの後に歓声と拍手が沸き上がる。気遣う審判役の騎士を制し、シェードは手の甲で汗を拭いながら立ち上がる。

「大丈夫かしら?」

 ナナーシュの心配そうな声を聞いて我に返り、シオリは戸惑いながら席を立った。

「行った方がいい」

 デンジに肩を叩かれたシオリは、天幕へ戻ってくるシェードを見上げた。彼女は視界の端で、観覧席や保護者席に向かって礼をしているカイの姿を捉えていた。

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