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10.建国祭

 五月末日はアルセリア王国建国の記念日とされ、毎年王立学園主催の建国祭が学園街の中央広場で開催される。澄んだ青空を背景にした舞台では、学園生たちがそれぞれの専科で準備してきた催しを発表する。

「おうーーー」

 怒号のような大声を上げながら騎士科生徒たちが舞台へ登場した。大将役のシェードが先頭に立っている。全員揃うと舞台上は一度静まり返った。白金色の髪を高い位置で一つに括ったシェードの額には、革製の額当て(ヘッドバンド)が巻かれており、陣羽織の下には革製鎧(レザーアーマー)が仕込まれている。見る者を惹きつける堂々とした幼馴染の佇まいを、シオリは舞台袖で息を飲んで見守っていた。

「分かれよ!」

 シェードが低い声で命じると、騎士科の生徒たちは舞台の左右へ分かれた。観衆の拍手が響いて、騎士科の生徒たちの模擬戦が始まる。仕立て直したばかりのきらびやかなドレスに身を包んだシオリは、進行のために待機しているナナーシュとデンジの隣に移動した。ケースを抱え直しながら、ナナーシュに話しかける。

「ダイは本当にうるさいわね」

 弟が大声で木剣を振り回して攻撃してくるのを、兄のカイが俊敏な動きでいなしている。弟の方が体格が良いけれど、兄の方が大きく見えるのが不思議だった。流麗に舞うようなカイの剣捌きに、目が吸い寄せられる。

「二人に注目しているの? 婚約者候補のシェード殿ではなく?」

 ナナーシュに小声で指摘され、シオリは近くにいた彼女を軽く押して遠ざける。二人のやり取りに気づいたデンジが振り返る。彼は赤銅色の瞳だけを上下に動かし、艶やかなドレス姿の音楽家を舐めるよう観察した。

「シェードと並んでも負けないくらい派手な出で立ちだな」

「こういうのは派手に作られているのよ」

 演武の邪魔にならないよう、小声で答える。デンジは視線を舞台上に戻して、低い声で言った。

「卒業公演の目途が立って良かったじゃないか。君に援助を断られた貴族令息たちが大騒ぎしていたぞ。邪魔されないといいが」

 生徒会長の台詞を聞いたナナーシュが小首を傾げる。

「あら……もしかしてシオリは、援助のためにシェード殿と婚約するの? 援助だったら私でもできるけれど」

 シェードと婚約したと報告したが、詳しい事情までは語っていない。葛藤を隠して無表情に舞台を見つめながら、シオリは薄紅に塗られた唇を引き結んだ。

「資金援助があればいいわけではない。一生家で一人で楽器を弾いているだけなら不要だろうが」

「どういう……貴族の庇護がないと嫌がらせでも受けるんですか」

「まず会場が借りられない。サロンに呼ばれない。批評もされない……だったかな。悪しき伝統だ」

 ナナーシュは小さく息を飲んだ。

「そんな事情があったのですね……私、軽く考えていました。シオリ、ごめんなさい」

「謝る必要はないわ。シェードは私の音楽を尊重してくれる。モーガン家も私を迎え入れることで利になる。バイオリンを弾いて生きるために……必要なことの中から最善を選んだ」

 項垂れたナナーシュの前下がりの黒髪を横目に、シオリは舞台上の騎士科生徒たちを静かに眺めた。


 芸術科は毎年異なる演目の叙事詩劇を披露する伝統となっている。朗々と詩を詠い上げるクラスメイトの声を聞きながら、シオリは目を閉じて集中を高めていた。騎士科の生徒たちの迫力には及ばないものの、劇中で剣舞の場面となり、舞台下に集合した芸術科後輩たちの合奏が始まった。

「ふう……」

 彼女は脳裏に先ほどカイが見せた流麗な動きを思い描きながら、舞台へ進み出る。軽やかな管楽器の高音の伴奏を聞きつつ、E線とG線に高速で弓を行き来させる。美しくも激しい剣舞のような音色を想像しながらひたすらに腕を動かす。

 中盤の演奏を終え、間に詩の朗読が挟まれる。悲劇の結末に再登壇した彼女は、胸を抉るような悲愴感と鎮魂の女神へ祈りをささげるような荘厳な独奏(ソロ)を披露した。


 舞台を終えた心地好い虚脱を感じながら、シオリは中央広場の裏側、ベンチが置かれた木陰に佇んでいた。西日の中で、生徒たちが片付けに奔走する様子を立ったまま眺めている。演奏用のドレス姿のままだった彼女は、むき出しの背に布が触れるのを感じて、勢い良く振り返る。

「……カイ」

 肩に掛けられた男子用のシャツから、芳しい香りが漂う。思わず襟元に鼻先を近づけたシオリは、我に返って頬を赤らめた。

「少しだけ故郷の御香を焚きしめてあるんだ。いい匂いする?」

 頬を押さえてぼんやりする彼女を見て、カイは困って小首を傾げる。脱いだシャツを貸してしまったので、半袖の訓練着から、鍛え上げられた前腕が見えている。

「疲れちゃった?」

「……大きい舞台の後、暫く使い物にならなくなる。演奏に入り込み過ぎて、現実感が薄れちゃうみたい」

 ぼそぼそ呟いて頼りなさそうに眉尻を下げる彼女の肩を抱いて、バイオリンケースが置かれたベンチにハンカチを敷いた。

「座って」

「うん」

 ドレスが皺にならないよう浅く腰かけたシオリの隣に、彼も並んで座った。気だるそうに僅かに背を丸める彼女を、カイは横目にチラチラと見やる。

「はあ……今のシオリは妖狐が化けた、色欲の女神みたいだ」

「何よ、それ……ヨウコもシキヨクも知らない」

「圧倒的すぎるってことだよ。君が奏でる音色も眼差しも吐く息でさえ……綺麗だなと思うんだ」

 濃い長い睫毛が瞬いて白皙の頬に影を落とした。彼女の瞳が力を取り戻し、真っすぐにカイを射抜く。

「その気持ちは……受け取れない」

「そうか。それでもさ、君を綺麗だと思う気持ちは、止まらない。困る?」

 彼女は問いには答えなかった。

「……このシャツ、後で返すわ」

 囁いてバイオリンケースを抱えて、立ち上がる。泣き笑いのような表情のシオリを、カイは眩しそうに見つめ返した。

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