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第二幕 降り始めの雨が小枝を揺らす(2)


「上長って、どこまで出てくると思う?」

「部長クラス以上だろ。下手すると専務とか副社長とか来るぞ」

「HDMの近くのパーキング入れてくれる? 部長のスケジュール開けてもらえるか確認の電話入れる」


 HDMがこちらの上司を指名して来なかったのは、これ以上のスケジュールの遅延を嫌がった可能性と、誰が来ようと取引停止を決めているという可能性。

 どちらにしろ悪い話に違いない。


 企画部長席に電話した。


「鷲尾商事、企画部です」


 担当の河合さんの声が和む。


「お疲れ様です。高城です」

「お疲れ様です! 課長、どうされました?」

「HDMの打ち合わせ、時間変更になりました。11時以降です。それについて部長に報告したいことがあるんですが、今、大丈夫そうですか?」

「お待ちください」


 保留音になった。

 パーキングに入った車の中で、西畑さんがタブレットからスケジュールの変更を入力している。


「和田です。リスケになったって?」

「はい。向こうの上長の会議の終わりが11時から11時50分の間なので、終わり次第、うちとの面談ということです。こちらのメンバーについて変更依頼はなかったので、最悪の場合、打ち切りが決定している可能性もあるかと」

「打ち切りを出されたら何が何でももう一度面談してもらえるように粘れ。日にちは合わせる」

「分かりました。賠償の場合は」

「持ち帰れ。即答は避けるように」

「かしこまり……」


 車の目の前を歩いていく男を見て、言葉が切れた。隣の西畑さんの腕を思い切り叩く。


「西畑さん! ちょっと、あれ! 杉山! 止めてきて! HDMに向かってる!」


 西畑さんが外を見て、ぎょっとしたように飛び出した。走っていく。


「部長、すみません! 杉山さんがHDMに向かっているようなので、引き留めてタクシーで会社の駐車場に送ります! 駐車場で確保して社内に閉じ込めてください!」

「分かった」

「ありがとうございます、お願いします!」


 杉山さんがHDMから接触を拒否されていることは全体会議で報告済みだ。

 貴重品だけ持って車から降りると、走って杉山に追いつく。


「杉山さん! どうしてここにいるんですか?」

「HDMは僕の案件ですから。打ち合わせに参加するのは当然です。朝、スケジュールを確認したら、HDMの打ち合わせが入っていたので、直接現地に向かった方が近いから、会社に寄らずに来たんですけど。まだ早かったですか?」


 リアルに言葉を失った。

 西畑さんも呆然としている。

 たぶん、宇宙人を見た最初の人類はこんな顔になると思う。西畑さんの顔を見ていたら少し落ち着いた。


「杉山さん、これから私と西畑さんがHDMに向かうのは、打ち合わせのためではなく、謝罪のためです」


 謝るのが大嫌いな、というか一度も謝っているところを見たことがない杉山さんは、謝罪という言葉に一歩引いた。


「昨夜、私の業務用スマホ番号を私の許可なくHDMの担当者さんに教えましたね? 担当の方から、今後、連絡は杉山さんではなく、全て私が行うようにと言われました。杉山さんは出社して、作業に取りかかってください」

「そんな、僕から仕事を取り上げるんですか?」

「担務替えです。杉山さんの仕事はここにはありません。社に戻ってください。会社から何度も電話が入っていると思いますが、気付きませんでしたか?」

「あ、今日はスマホ家に忘れてきて」


 ちょうど良いタイミングで、空車のタクシーが見えた。

 手を上げて停める。

 西畑さんに目配せして、杉山さんがタクシーに乗り込むのを介助してもらった。

 運転席の窓を叩く。小さく開かれた窓の隙間から、名刺と一万円札を差し入れた。


「この会社の駐車場に入ってもらったら、警備員がおりますので、企画部長の和田を呼んでください。話は通してありますので」

「分かりました」

「よろしくお願いいたします」


 丁寧に挨拶して、タクシーから離れた。車を見送る。ため息が出た。


「西畑さん、何か甘い物食べたくないですか?」

「……ああ」


 HDMホールディングス。高層ビルの入り口が見える喫茶店に入った。

 西畑さんはコーヒーにフルーツパフェ、私は紅茶にチョコレートパフェを注文する。

 朝から一日分以上疲れた。

 タブレットでデータの細かい調整をして、またため息をつく。


「これなら、まあ、うちも破綻せず、向こうも納得してくれるか」

「話を聞いてくれればね」


 そこまで行き着けるかどうか。


「チョコレートパフェと、フルーツパフェになります」


 店員さんの声に、タブレットをテーブルの端に押しやる。

 しばらく、黙々とパフェを食べた。

 生クリームとチョコレートソースのゾーンを抜けて、アイスクリームゾーンに入った。

 チョコレートアイスをスプーンで掬って口に入れる。甘くて冷たい。


 昨夜。

 恋人になって、と言われて、はい、と答えた。

 仕事が終わったのは23時55分。

 晄くんは会社の前に車を停めて待っていてくれて、私の借りているマンションの前まで送ってくれた。部屋には上がろうとしなかった。

 私も誘わなかった。

 誘っても誘わなくても、晄くんは頷く。そんな気がしたから。 


 今朝。

 晄くんから、おはよう、のスタンプが届いた。


『おはよう。

 昨日は送ってくれてありがとう。

 晄くんは寝不足になってない?』

『大丈夫。今夜2人で会える?』

『仕事終わる時間次第だけど

 終わったら連絡するね』


 返事が来るまで、時間があった。


『紋ん家に泊めて』


 今度は私の指が止まる。


 家の中を見る。

 片付いていない。そして狭い。

 部屋の写真を撮って送った。


『狭いよ?』

『いいね。連絡待ってる』

『わかった』


 さすがに少し片付けて出てきたけど、晄くんは本当に泊まる気なのだろうか。


 あの顔だ。女なんて食い放題だろうに、どうして私に来たのか。

 美食に飽きてゲテモノ好きになったとか?

 あり得そうな可能性にチョコアイスが苦く感じた。


 晄くんは細かいところまで見逃さない。

 彼との恋愛はバニラアイスみたいに甘くならない。疲れた時に私を癒やしてくれる甘さはない。

 きっとカカオ多めの大人の恋愛だ。


 甘くてもいいんだけどな、と雑魚が顔を出した。


 時間が来た。

 西畑さんと同じタイミングでため息をついたことに気付いて、乾いた笑みを交わした。 

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