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第二幕 降り始めの雨が小枝を揺らす(3)


 二課の捜査会議に参加することになった。

 捜査一課に配属されて半年。

 初めての応援要員出動は、切れ者と呼ばれている犬塚係長と一緒だ。

 隣に座るだけで緊張する。


「澤村」

「はい!」

「……声量落として」

「すみません」

「会議は緊張しなくていいから。緩めて」


 そう言う犬塚さんは言葉どおり、机に頬杖をついている。

 片手で触っているスマホの画面には、今回の二課の会議とは無関係な、お弁当のレシピブログが映し出されていた。

 犬塚さんが多忙なことは知っている。話し掛けるなら今しかない。


「犬塚さん」

「何?」

「先輩方が話しているのが聞こえたんですが」

「うん」

「近々結婚されるって」

「誰が」

「犬塚さんが」

「どちらの犬塚さんのお話?」

「捜査一課の係長の犬塚さんです。今、俺の隣に座ってスマホを触ってます」

「その犬塚さんならよく知ってるけど、近々ってお話は知らないねえ」


 犬塚さんは『係長』と呼ばれるとちょっと嫌そうな顔をする。

 だから、話し掛ける時は必ず『犬塚さん』だ。


 先月、被疑者確保時に、被疑者に殴られて奥歯が折れた先輩が、罰として、係長のことを『アキちゃん』と呼ぶように言われて、半泣きになりながら呼んでいた。

 ちなみに、殴られた先輩が罰を受けたのは、係長曰く『殴られるような隙を見せた奴が悪いから』らしい。

 一理あるが、厳しい人だと思ってしまった。


 そんな係長が、自分のことを『晄くん』と呼ばせている女性とメッセージのやり取りをしているという話を聞いた。

 これはもう、あれで間違いないと、先輩たちが噂していたのだが。


「犬塚さんは特定の相手は作らないって、俺、配属初日に桑野さんから聞いてたんですけど」

「いるよ」

「はい?」

「いるよ、特定の相手。恋人できたもん。結婚も視野に入れてる」


 思わず立ち上がった。


「ちょっと一課のみんなに報告してきていいですか?!」

「澤村、もうすぐ会議始まるから座りなさい。なんでみんなに報告するの」

「生安の新山さんと交通の片山さんより先に恋人ができたからです」

「……同期より先に、的な?」

「はい」

「それ言ったら二課の山口さんのひとり勝ちじゃん」


 交通課は俺が前にいた部署だ。

 片山さんは俺の直接の指導員で、付きっきりで交通課のイロハを教えてもらった。

 気さくで楽しい人だったが、情報管理がガバガバで、よく上司から注意されていたように思う。


 その頃から、片山さんの同期飲みの話はよく聞かされていた。

 だいたい、二日酔いの言い訳なのだが、そこに出てくるのが、捜査一課の犬塚 晄さん、生活安全課の新山 修也さん、捜査二課の山口 賢治さんだ。


 捜査二課の山口さんについて、片山さんは『あいつはヤバい、もし二課に配属されてもあいつには近づくな』と言っていた。

 幸い、配属先は一課だったから、まだ二課の山口さんとは話したことも顔を合わせたこともない。

 ついでに、具体的に何がどうヤバいのかは教えてもらえなかった。


 ただ。


「あの人は別枠です」

「は?」

「別枠なんでノーカンです」

「それ、誰の言葉?」

「片山さんです」

「今度、レンレンに言っとく」


 片山さんのあだ名はレンレンだ。名前が蓮だから、レンレンらしい。

 そのままのほうが短いのに、パンダの名前のようになっている。

 片山さんの見た目にパンダの要素は皆無なのだが。


「犬塚さん。恋人さんのお写真、見せていただいてもよろしいですか?」

「お断りですよ」

「恋人ができた件は、一課のみんなに共有しておきます」

「やめなさい」


 その時、会議室の扉が開いて二課の課長が入ってきた。犬塚さんよりもふた周りは年上だろう。

 起立して迎える。犬塚さんもスマホをポケットに入れて立ち上がっている。


「お待たせしました。捜査会議を始めます。今回は捜査範囲が広いため、捜査一課と組織犯罪対策課にもご協力いただくことになりました。ご多忙とは思いますが、よろしくお願いします」


 捜査二課は企業絡みの事件担当。一課は殺人や強盗等の凶悪事件担当で、現場でかち合うことはまずない。


 先輩から聞いたところによると、二課と組んだのは数年前に一度だけ。

 企業の役員が殺された事件だそうだ。

 今回はそんな情報もない。


 会議室には組織犯罪対策課の課長もいた。

 こちらと同じような、何故自分が関わらなくてはならないのか、という顔をしている。

 ややこしい案件であることは確かだということか。


「今から配布する資料は回収しますので、取り扱いにはご注意ください。では、1ページ目からご説明いたします。ご確認ください」


 進行役の二課の刑事の声に、捜査資料に目を通す。

 大企業の名前と億を超える金の動き。

 ざわめきが広がる。

 ちらりと、係長の顔色を伺うと、無表情にページをめくり続けて最後のページまで見終わると、裏返して机に置いた。

 説明は続いている。


「不正融資が横行していると思われます。融資先に挙がっている企業の中で、2社、反社勢力との繋がりが疑われる企業の裏取りを組対課へお願いしたいと思います」

「分かりました」

「一課の皆さんには、県警と協力していただきます。リストは後ほどお渡ししますので、自殺とされている3人の行動を調査いただき、不正融資との関係を探ってください」


 一瞬、間があった。


「了解」


 犬塚さんの返事は簡潔で、温度がない。

 会議が終わっても犬塚さんはなかなか立ち上がらなかった。


「犬塚さん、何かありましたか?」

「澤村さんは出身地、東北のほうでしたね?」


 犬塚さんの口調が変わった。

 これは失敗が許されない指示が出る時だと桑野さんから教えてもらった。


「はい。秋田出身です」

「今夜中に秋田入りして明日から聞き込みよろしく」

「はい!」


 犬塚さんが立ち上がった。一課の事務室へ戻る。


「築島さん、鈴木さん、それから桑野さん。ちょっと来てくれる?」


 名指しされた刑事が犬塚さんの机の周りに集まる。


「二課の応援で、自殺者の過去、洗ってきて。県警と協力してもらうことになるから。築島さんは奈良県警出身でしたね? 知り合いに刑事は?」

「います。協力要請しておきます」

「じゃあ、すぐに出発。被害者の情報はノーパソに送るから忘れずに持って行くように」

「はい。用意します」

「鈴木さんは徳島出身?」

「はい。県警に知り合いはいません」

「俺から話入れて婦警さん1人付けてもらうから、現地で落ち合えるように用意」

「了解です」

「桑野さんは澤村さんと一緒に秋田。県警との連携のやり方だけ教えたら戻ってきて。秋田県警には俺から話通すから」

「分かりました」

「それから桑野」

「はい」

「俺、恋人いるから。後輩に変なこと吹き込まないように」


 桑野さんに睨まれた。


「あと、何気に俺からいったの、人生初だから。手探りで進めているので余計な詮索はしないこと」

「は……」

「別に童貞ってわけじゃないけどね?」

「はい、すみませんでした!」


 桑野さんが勢いよく頭を下げたので、俺も一緒に頭を下げた。


「じゃあ、各自準備よろしく。進捗の報告も忘れずにお願いします。解散」


 解散の直後に桑野さんに尻を蹴られた。


「桑野! 暴力禁止!」


 すかさず犬塚さんの叱責が飛ぶ。


「はい! すみません!」


 犬塚さんが電話を掛け始める。

 机の上を片付けながら、桑野さんが俺に苦情を入れる。


「澤村、魔王にチクんなよ。俺に何か恨みでもあんの?」

「すみませんでした。雑談ついでについ」

「あの人相手に雑談しない。飲みの席でも厳禁だから」


 無茶を言う。


「で、恋人の写真は見せてもらえた?」

「断られました。祝勝会もいらないみたいです」

「そっか。……見たいな、相手」

「はい。気になりますよね」


 係長席を見る。


 犬塚さんは電話を顎と肩で固定して通話しながら、パソコンで何か作業している。


 警視庁の捜査一課といえば刑事の憧れの部署だ。ドラマなんかで知名度も高いし、優秀な人が集まる頭脳派集団のように思われている節もある。

 犬塚さんはそのままドラマに出てきてもおかしくない人だ。

 イケメンで、冷静で頭も良くて、自分から現場に出向くことも厭わない。

 任せてくれるところと、自分が受け持つところの線引きが明確にある。

 残念ながら、犬塚さんみたいに頭のいい人は一握りで、大半は普通の出来だ。

 ただ、前にいた交通課と違って皆、コミュニケーション能力が高い。

 桑野さんの話は凄く分かりやすいし、築島さんは聞き上手だ。それぞれ個性はあるが、他人と関係を構築するのが早い。


「魔王様にもなると女のほうから寄っていくんだな」


 ボソッと桑野さんが呟く。

 魔王が初めて口説いた女性。それまでに付き合った女性は皆、言い寄ってきた女性ということか。


「凄いですね」

「同じ人類とは思えないよ。規格外か人外だよな」

「桑野、聞こえてるよ」


 魔王様は地獄耳だった。

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