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第二幕 降り始めの雨が小枝を揺らす(4)


「高城課長、私のデータ、チェックお願いします」

「石田さんの、Bの23番のデータですか?」

「はい」

「分かりました」

「お願いします」


 データチェックなどをやっているが、明後日から有休消化に入ることになっていたりする。


 本来なら業務の引き継ぎをする予定だったのだが、引き継ぎ先の西畑係長と工藤係長が揃って部長会議に呼び出されてしまった。

 引き継げないので、こうしてデータチェック係をしている。


 HDMホールディングスとの面談の日。

 担当の佐原さんが連れてきたのは、まさかの社長だった。そして、その社長から提案されたのは、3週間の納期の延長だけだった。

 私と西畑係長で深く頭を下げたが、何故そんなに譲歩してくれるのかなど怖くて聞けなかった。佐原さんの目が真っ赤で、面談の途中で涙が堪えきれずに退席する場面もあり、余計に怖くなった。

 佐原さんは悪くない。

 どうして彼女が泣いて、かつ、こちらに譲歩する内容に契約変更されたのかは永遠の謎になるだろう。


 納期に余裕ができたため、残業が日付を越えることはなくなった。


「課長、すみません」

「はい。松下さん、どうしました?」


 申し訳なさそうにやって来た松下さんに笑顔を向ける。


「杉山主任にデータチェックをお願いしたんですけど、戻ってこられなくて、作業が進められないんです」


 確かに杉山さんの席が空いている。パソコンは立ち上がっているが、画面はスクリーンセーバーが動いていた。


 ああ、またか、という感想しか浮かばない。


「気付かなくてすみません。すぐに私のほうでチェックして、松下さんにお返ししますね」


 ありがとうございます、と頭を下げられた。

 松下さんに何も言わずに15分以上離席している杉山さんが悪いのだが。


 松下さんから提出されているデータを確認する。1時間前に松下さんから杉山さんへ提出されていた。主任と係長のチェックを飛ばして、修正を2箇所入れた。もう一度見直してから承認ボタンを押す。

 自席を立って、松下さんの席に近付いた。


「松下さん、今、承認したので、2点修正して次の工程に入ってください」

「はい。ありがとうございます」


 わざわざ立ち上がって頭を下げられてしまった。

 そのまま事務室を出て、トイレに入る。

 スマホを見た。


『お弁当ありがとう。美味しかった』


 私から晄くんに入れたメッセージ。

 既読はついたが、返しはない。


 晄くんが私の家に二泊した。

 今日はどうするのだろう。こちらから聞いてみてもいいものか。

 追い出すような言葉を使わずに、聞くのは案外難しい。


『事件

 遅くなる』


 メッセージが入った。


『了解。気をつけて』


 返した瞬間に既読になった。


 晄くんが泊まりに来た日。

 遅い晩ご飯を食べながら、こういうパターンもある仕事だと話してくれた。

 普通に帰れる日もあるし、遅く帰ってくる日も、帰れない日もある。

 いつも突然言うけど慣れて、と言われた。


 晄くんは独身寮で暮らしているらしい。

 独身の警察官で持ち家のない人はだいたい独身寮と呼ばれるアパートに入れられるという。

 初耳だったけれど、なるほどな、とも思った。

 悪さができないように相互監視の意味が強いのだろう。

 同時に、それで泊まりにきたのか、とも思った。

 息抜きくらいの感覚。たまには監視の目のないところでのんびりしたかったのだ。

 そう言い聞かせて納得しようとしている。


 晄くんは、キス以上のことを求めてこなかった。


 お弁当を作ってくれたのは気まぐれだったのか、興味本位なのか、それとも料理好きなのか。それはまだ聞けていない。

 晄くんは聞けば答えてくれる。

 答えられないことは、答えられないと言ってくれる。

 でも、聞かなければ話してくれない。

 元々は無口な人なのか。それとも面倒なだけなのか。

 私はまだ、晄くんのことを知らない。

 釣った魚に餌をやらない人なのか、餌が必要なことを知らない人なのかも。


 メイクのよれを軽く直して、席に戻った。

 作業を再開する。


 私は、昔から2番目になることが多かった。気付いたら2番目にされていて、どうしたらいいか分からずオロオロしているうちに関係が自然消滅する。

 2番目になっていることに気付いた時、1人にだけ、聞いたことがある。

 私にどこか直してほしいところはあるか、と。

 間髪入れずに、ない、と返ってきた。

 そう答えられたら、それ以上は踏み込めなくて諦めた。その人も、徐々に連絡が来なくなって、私から連絡しても返事が来ないことが増えて、そのままいなくなってしまった。

 言ってくれないと、どこを直せばいいのか分からない。言葉が欲しかった。教えて欲しかった。そういうところが雑魚なのかもしれない。


 晄くんは教えてくれるだろうか。

 私には何が足りないのか。


内線電話が鳴る。


「企画課、高城です」

「工藤です。至急、特別会議室にお願いします」

「分かりました」


 電話を切って立ち上がる。


「原口主任、すみません。打ち合わせで席を外します。特別会議室にいます。私宛の電話は折り返すので、相手先の電話番号だけ聞いておいてください」

「かしこまりました」


 タブレットを持って工藤係長に言われた特別会議室に入った。


 総務部長、企画部長、西畑係長に工藤係長、杉山さん。そして、人事課長と人事部長。


 嫌な面子だ。


「遅くなりました。何のお話でしょうか」

「杉山さんに調停申立書が届きました」


 人事課長から手渡されたのは、杉山さんを指名した調停申立書。

 申立人は、HDMホールディングスの佐原さんの代理人弁護士。

 要約すると『佐原さんが杉山さんに貸した金を返せ』だが、2人が恋人関係にあったこと、出会いは今回の取引で、杉山さんから営業をかけた、いわゆる色営が発端だと書かれていた。

 杉山さん個人宛だが、住所が会社になっている。


「社長は、ご存知なんでしょうか?」

「これからです」


 人事課長の言葉に、後の展開が読めてくる。

 だが、さすがにこれは飲めなかった。

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