第一幕 疲れ果て眠る踊り子の見た夢は(6)
晄くんの両手が私の頬を包みこんだ。
「紋」
「何?」
「あーや」
「なーに?」
晄くんが私の目を覗き込んで、首を傾げる。
綺麗な目。吸い込まれそうな、澄んだ色をしている。
「行かせたくない」
びっくりした。
「無理なのも知ってる」
「うん」
「これが、俺の気持ち」
「うん」
「呆れた?」
「そんなことない」
「三十半ばでも男なんてこんなもん」
自嘲めいた笑みを浮かべて晄くんが私を見た。
「清廉潔白な人間でもないし、人に言えないようなこともしてきたし、墓場まで持っていかなきゃなんないことも山ほど抱えてる。そういうのが、紋を傷付けると思う。逃げるなら今のうち。今ならまだ、ギリギリ離してあげられる。でも、出来るなら……俺の恋人になって?」
晄くんの手が私の頬を撫でる。
流されても、いいのだろうか。
「はい」
俯いたまま返事をした。
本当にいいのかは分からない。
雰囲気に酔っているだけかもしれない。
それでも、この人を悲しませたくないと思ってしまった。
もっと冷静に、どんな人かを見ないといけないのに。
晄くんが私の体を抱きしめた。抱きしめ返す。
突然私のスマホが鳴る。慌てて身を引いた。
知らない番号。固定電話。
「すみません、出ます」
物凄く嫌な予感がして電話に出た。
「わたくし、HDMホールディングスの佐原と申します。鷲尾商事の高城様のお電話でお間違いないでしょうか」
杉山さんが無許可で番号を教えたか。
「はい、私が高城です。この度は弊社の杉山が大変失礼をいたしまして」
「もう結構です」
「申し訳ありません」
「当社はこれ以上、杉山様とお話することはございません。今後は杉山様以外の方にご対応願います」
「はい。かしこまりました。わたくし高城と、西畑の2名でご対応いたします」
最悪の契約破棄でなかったことに安堵しつつ、どれだけの損失が出るのか、冷や汗が滝のように背中を伝う。
「では、高城様から、今後のリカバリーと補償のお話を伺えるという認識でよろしいでしょうか」
「はい。リカバリーについては素案を今からメールで佐原様にお送りいたします。補償についてはリカバリーの出来次第、御社のご希望をご提示いただければと」
タブレットを立ち上げて、佐原さん宛にテストメールを送った。
「今、テストメール届きました」
「ありがとうございます。では、すぐに素案をお送りします」
杉山さんに任せていたら埒が明かない。
保険を掛けて、私が勝手に考えていた提案書の下書きを添付して本メールを送る。
「届きました。このまま確認させていただいても?」
「はい。遅い時間に申し訳ありません」
電話の向こうでカタカタと小さな音が鳴る。
隣でカチ、と音がして、タバコの匂いがした。
晄くんがタバコを吸っていた。窓を細く開けてそこから煙を逃がしている。
晄くんと目があったので、唇の動きだけで、ごめんね、と伝える。
晄くんが目を細めて私の頭を撫でて、頬に唇を押し付けてきた。自分の顔が赤くなるのが分かる。
「確認しました。私の判断だけではお返事出来ませんので上に報告いたします」
「よろしくお願いします」
「説明には来ていただけますか? オンラインでも構いませんが」
「お伺いいたします。お日にちをご指定いただければ」
「明日でも構いませんか?」
「もちろんでございます」
「では午前10時に、弊社の受付にお越し願います」
「かしこまりました、明日の午前10時、受付でございますね。高城と西畑の2名でお伺いいたします」
「お待ちしております。では、明日。失礼します」
電話が切れた。
「うああああ」
「何その声」
「私の中の小さいおじさんの声」
晄くんがクククと笑う。
「仕事中の姿ほど、恋人に見られたくないものはないです」
「そう? かっこよかったよ」
「どこがですか。謝ってただけですよ」
「うん。それでも、会社の看板潰さないように頑張ってるのは見える」
頭を撫でられる。
「まあ、俺も仕事中の姿だけは絶対見られたくないかな」
「え?」
「魔王とか言われてるし。後輩から」
「後輩から?」
「そう。たまに上司にも言われる」
でも魔王は、何か畏怖とか畏敬とかがあって、尊敬も含まれている気がする。『王』だし。
「晄くんが魔王様、何か似合う」
「酷い。傷付いた」
晄くんの手が私の頭から頬へ移動する。
「慰めてよ」
ゆっくりと唇が重なる。
「今の電話で仕事終わり?」
「ううん。まだこれから」
「残念」
言いながら、晄くんの手が私のブラウスのボタンを外していく。
「晄くん?!」
「なに?」
「さすがに、ちょっと、それは」
「それって?」
晄くんが胸の膨らみに歯を立てる。
「っ」
息を飲んで次に来るであろう痛みに備える。
でも、痛みは来なかった。
ヂュ、と音を立てて、晄くんが顔を上げた。
ボタンを留めていく。
ブラウスの上からそっと私の胸を撫でた。
「予約しといた」
晄くんの表情は変わらない。
見つめると目を逸らして、キスされる。
もしかして、これは照れ隠しだろうか。
「ここは、俺の居場所」
晄くんが言って、私の首筋を唇でなぞる。
緊張で固まると、またヂュ、と音がした。
「ちょっと、そこは、見えるところ!」
「見えるとダメ?」
「ダメでしょ!社会人として!」
「ふーん?」
もう一度、晄くんは同じ場所に吸い付いて、軽く歯を立てる。
「紋が悪い」
「なんで?! 仕事だから?」
「紋が、悪い」
抱きしめられた。
少し、晄くんの体が震えている気がする。
「紋が悪い」
「ごめん」
謝って、晄くんの背中に軽く手を添えた。
「ここで待ってるから、仕事終わらせてきて」
「え? たぶん日付変わるよ? 晄くん明日仕事でしょ?」
「いいから。送らせて」
「……分かった」
返事をしたら、ようやく晄くんが体を離してくれた。
どんな顔をすればいいか分からない。
俯いたまま車を出る。
「紋」
「うん?」
「いってらっしゃい」
晄くんが少し笑ったような気がして、ホッとした。
「いってきます」
笑顔で返して、車のドアを閉める。軽く手を振って、駐車場を後にした。




