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第一幕 疲れ果てた踊り子の見る夢は(5)


 突然、私のスマホが震えだす。

 発信者が『杉山』で、一瞬意識が全てを拒否した。


「これ、あの部下ちゃんじゃない?」


 私のスマホの画面を覗き込んだ晄くんがのんびりと言った。


「はい。すみません、一瞬失礼します」

「どうぞ」


 断って通話ボタンを押した途端。


「遅いですよ! どうしてまだ着かないんですか?!」


 ふ、と隣で晄くんが笑う。


「……もうすぐ着きます」

「もう何度も先方から電話が入ってて。ほら、聞こえるでしょう?!」


 杉山さんの後ろで、確かに電話の呼び出し音が響いている。


「うるさくて仕事にならないんですよ!」

「ちょっと待って、杉山さん、電話出てないの?!どうして?!」

「だって要件なんか聞いても僕では答えられないんですよ?! 取るだけ無駄じゃないですか!」


 頭がクラクラしてきた。

 嫌な予感がしてタブレットを開き、企画課長権限で杉山さんのパソコンデータを確認する。

 先方から来ている何通ものメールに何も返していない。


 そりゃあ電話も鳴る。

 私でも掛ける。鬼のように掛けまくる。


 駄目だ。

 杉山さんと仕事をしようと思っていたが無理だ。

 これは、杉山さんの顔を見た瞬間に私がキレる。


 片端からメールを開いて内容を確認する。

 何ヶ月も前に私から杉山さんに確認した内容を確認するメール。

 進捗の確認。

 書類の送付依頼。

 データ提出の依頼。

 全て、私から杉山さんに確認して、出来ています、と報告を受けていたもの。


 どこから出来ていないのか。


 遡っていくと3か月前からだった。

 先方からのデータの修正依頼に対応していない。

 クリアしたと聞いたのだが。

 電話の向こうで鳴り続ける固定電話の呼び出し音。何か怒鳴っている声。


 杉山さんに最初に進捗状況を聞いたときのことを思い出す。

 あのときも怒鳴っていた。あまりの大声に顔をしかめてしまって、余計に怒鳴られた。

 確か『これは僕の案件です! 課長は口を挟まないでください! 職権乱用です!』とか言っていたと思う。

 翌日には私が人事部長に呼ばれて、杉山さんは中途採用だし、少し任せてみたら、と宥められた。

 任せるんじゃなかったと、今、心底後悔している。


 とっくに6秒は経過しているが、怒りは収まらない。アンガーマネジメントはその場から離れて6秒だったか。どうやったら離れてくれるのだろう。


「杉山さん。30分後に戻ります。先に帰っていて結構です」

「分かりました! 帰ります!」


 躊躇なく返事が聞こえ、電話も切れた。

 とても呆気なく離れてくれた。最初からこうすれば良かった。


「30分?」


 晄くんがこちらを見ていた。


「私の、クールダウンの時間です」

「なるほど」


 晄くんは近くのコインパーキングに車を停めた。

 エンジンを切り、シートベルトを外す。


 私の手を取ると、爪にキスをされた。

 気障な仕草に私の思考が停止する。


 晄くんはそのまま覆い被さるように私の体をシートに押し付けた。


 唇が、重なる。離れる。見つめ合う。


 また、顔が近づいて、思わず目を閉じる。

 唇が触れた瞬間、体が跳ねた。シートと晄くんの間で身動きが取れない。

 唇の隙間から舌が入り込んでくる。抵抗しようとした手は繋がれて、痛いぐらいの強さで握り込まれてしまう。

 手はいつの間にか腰に添えられていて、体全部が支配されているような気になる。


 唇が離れていく。

 でも体は密着したまま。


「本当、どうしてくれんの、俺の気持ち」


 耳元で囁かれているのに、随分遠くから声が聞こえる。そんな、変な感覚。


 顔が離れた。目が合う。


 晄くんの目が見開かれた。


「泣くほど、嫌だった?」


 晄くんの手が、恐る恐る、私の目元を拭う。


「驚いた、だけ」

「なら、もう一度、キスしていい?」


 頷いたら、今度は本当に触れるだけの優しいキスが唇に落ちる。


 唇と体温が離れていく。

 晄くんのほうは見れなくて、自分の唇に触れてしまう。

 キス、された。

 なんでこんな流れになったんだっけ。

 晄くんから好きとかは言われていない。


 言われて、ない。


 送ってくれただけだ。きっと、その報酬みたいなもの。


「どうしてくれんの」


 晄くんが言って、苛立ったように髪をかきあげた。


「晄くんは、私に、どうされたいの?」


 晄くんのほうは見なかった。


「俺は紋に受け入れてほしい」


 即答だった。

 晄くんを見る。晄くんもこちらを見ていた。


 お互いに、たぶん何も知らない。

 名前と職業と年齢ぐらいしか知らなくて。

 何が好きとか何が嫌いとか。

 そんな大切なことも知らないのに。


 晄くんとのキスは気持ち良くて。

 たぶん、私達は体の相性は良いと思う。

 ただ、それだけ。


 もう、雑魚でもいいか。


 そう思わせるくらいには、晄くんは魅力的だった。

 所作が綺麗。声が落ち着く。怒っていても冷静で、杉山の逆ギレを一緒に笑ってくれた。私の言葉を流しているようで実はしっかり聞いていて、冬空色の冷たい瞳に、雪解けの日差しが混じるように微笑む。


 私は晄くんの顔に向かってゆっくりと手を伸ばす。両手でその綺麗な顔を包み込む。それから、軽くキスをした。


 唇を離して晄くんを見る。

 何を考えているのか分からない瞳が見つめ返してくる。


 不意に強く抱きしめられた。キスをする。返される。またキスをして、返されて。もう一度、もう一度とキスを繰り返す。唇を合わせるだけのキスが、舌を絡めるようなキスに変わったのは、何度目のキスの時だっただろう。

 ぼんやりする頭で考えようとするけれど、よく分からなくなってきた。


「30分なんて短すぎる」


 晄くんが呟く。


 上がってしまった息を整える。

 時計を見たらきっかり25分経っていた。


 キスに夢中になっていたのは私だけで、晄くんの方はそうでもなかったのかと思う。

 冷静に時計を見ていた、なんて考えたくないけれど。


 晄くんは分からない。分かるほど知らない。

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