第五幕 切り倒された月桂樹の枝を(9)
年が明けた。
大嶋さんと恵美さんが帰ってきた。新しい家族と一緒だ。男の子だそうだ。
見に来てもいい、と言ってもらったけれど、連日親戚っぽい人や友達が詰めかけているようで遠慮している。
そういうわけで、大嶋家と繋がっている駐在所周りが人で賑わうようになってしまい、ソラくんとタイガくんの兄弟はうちの庭でボールを蹴り合っている。
ダンゴムシに花を全滅させられて以来何かを育てる気になれなかった庭はいい遊び場だ。
大嶋さんは申し訳なさそうにしていたが、当のソラくんとタイガくんは何も感じていないようで、毎日来る。2人だけならいいけど人数が増えたら困る、というのは伝えておいた。
大嶋さんが駐在所に戻ってきて、晄くんの生活が変わった。
駐在所は基本的に24時間営業だ。
もちろん、駐在さんが見回りに行って留守にしていることもある。そんなときに訪ねてきた人がいたら、その対応は一緒に暮らしている家族がすることになる。
家族の負担が大きいため、制度の見直しが進められているそうで、今回、大嶋さんの育休取得に合わせて、二交代制を取り入れたらしい。
大嶋さんが時短で勤務して、他の時間は晄くんが対応する。主に夕方から明け方までが晄くんの勤務時間で、完全に昼夜逆転生活だ。
晄くんは夕方前にうちの庭に来て、ソラくんたちと少しボールで遊んでから、2人を家まで送り届けて仕事に行く。私が家にいてもいなくても、その3人のサイクルは変わらない。
そんな中で、晄くんから予定を聞かれた。
晄くんが1日休みをとれる日があるらしい。
私の予定を合わせて、デートしよう、という話だった。
思わず、何もかも後回しにして休みを調整してしまった。
晄くんの休みは貴重で、滅多にない。
自分の中で色々理由を考えたけれど、晄くんとデートしたいという自分のワガママを最優先した。
恋人として付き合うかどうか。
ちゃんと答えを出さなくちゃいけない。
もちろん、私は晄くんのことが好きだ。恋人になれるのは嬉しい。
でも、それと付き合い続けられるかどうかは、別の問題。
ネックになるのは晄くんの仕事だった。
生活時間が合わない。休みが取りづらい。異動があれば、同じ県内でも簡単には会えなくなる。
始発前に呼び出されて仕事に行ってしまった晄くんを見送って泣いた記憶はまだ新しい。
あれが何度も続いたとき、私は慣れることができるのだろうか。
晄くんは、私を選んだ。
私が揺れているのは怖いからだ。
晄くんのように、踏み切れない。
晄くんの周りには、魅力的な女性がたくさんいる。
それでも私を選んでくれた理由を、私はまだ信じきれない。
鏡の前で自分の頬を叩く。
ごちゃごちゃ考えていたら、デートを楽しめない。
せっかくの休みなんだから、晄くんには楽しく過ごしてもらいたい。
悩むのは、後回しだ。
晄くんとのデートを楽しむこと。今日はそれだけ考える。
今、考えるのは、晄くんと私が楽しい時間を過ごすには、何が必要なのか。
おにぎりをたくさん。大きめの水筒に温かいお茶。
この歳で遠足のようなデートをするとは思わなかった。
何を持っていけばいいのか分からなくて、結局、遠足みたいな準備になるあたり、私は根っからのインドア派なのだと思う。
今日の予定は晄くんが立ててくれた。
晴れていれば白鳥を見に行き、気温が高ければ外でお弁当、低ければ車の中でお弁当。
天気が悪ければ、私の家でのんびり映画鑑賞。
今日は晴れたが、気温は低い。車の中でお弁当になるかな、と玄関の雪を片付けながら思う。
「おはよう、紋」
振り返って、もこもこに着膨れた晄くんを見たら、なんだか申し訳なくなった。
「おはよう。晄くん、考えたんだけど、今日、おうちデートにしない?」
「えー? 公園行かねーの?」
晄くんの後ろから、ソラくんとタイガくんが顔を出す。
「ソラくん、タイガくん。おはよう。ええと、公園?」
「新人とゲームの先生、今日デートで公園行くって、駐在が言ってた!」
ソラくんの通う小学校で、プログラミングの触りの部分を教えている。“ゲームの先生”は小学校で付けられた私のあだ名だった。
「ごめん、紋。大嶋からバレた」
晄くんが私に両手を合わせる。
「別にいいけど、おにぎり足りるかな」
「俺も作ってきたから大丈夫だと思う」
「早く行こう!」
ソラくんがぐいぐいと晄くんのコートを引っ張る。
タイガくんも頷いているあたり、同意のようだ。
なぜか4人で少し遠いところにある広い公園に行き、私は3人がサッカーをする様子をレジャーシートに座って見守るという、きっとデートじゃないデートになった。
晄くんはサッカーが上手い。
タイガくんにはタイガくんが受け止められる強さで、ソラくんにはソラくんが追いつける速さでボールを蹴ってあげている。
遠くから見ているとよく分かる。
2人からボールを受けるときも、晄くんのほうが先回りしてボールが来る場所に移動している。
楽しそうだ。
時折、笑い声が聞こえる。
晄くんは、今、幸せなのかもしれない。
事件も事故もなく、子どもと遊んでいる。平和な日だ。
そこに、私がいる意味はあるのだろうか。
久しぶりに、胸が痛い。
しばらくして、晄くんがこちらに来た。
「おつかれ。はい、飲み物」
「ありがとう」
自販機で買っておいたスポーツドリンクを渡した。
飲み干してタオルで汗を拭ってから、私の隣に腰を下ろす。
「紋、ごめん。2人きりの予定だったのに」
「子どもは仕方ないよ。大人の都合なんか関係ないし」
「あの2人、放置子でさ。なんか、ガキの頃の自分と重なるんだよね」
「晄くんの子ども時代?」
「そう。父親は兄貴、母親は妹にべったりで、俺はまあ、どっちにとってもそんなに、って感じで。近所の交番の若いお巡りさんに相手してもらってた」
「へえ」
「だから、警察官になった」
試験が難しかったり、確か武術も必須だったと思う。
「すごいね。子どもの頃の夢、叶えたんだ」
「うん。そこまでは順調だった。そこから先が問題だらけで、今も色々あるんだけど」
晄くんが近寄ってきて、私の肩に頭を載せた。
「最近は、紋が弾くピアノの音が毎晩駐在所まで聞こえてきて。それ聞いてたら何とかなりそうって思えるようになった」
晄くんが私の手をとる。
「それでさ、紋に謝りたいんだけど」
「うん?」
「たぶん、ここにいる限り俺たち結婚する方向にしか進めないと思う」
「何それ。どういうこと?」
「たぶんソラ、ご近所に言いふらしてるから」
ため息が出る。
外堀が埋まるとはこういうことか。
「ちょっと、楽しくない状況だね」
「だから、ごめんって」
「謝罪で済むなら裁判とか不要だし」
「怒らないでよ」
「怒ってません!」
呆れているだけだ。
大嶋さんも晄くんも不用意過ぎる。
……怒っているかもしれない。
「新人が先生に甘えてる!」
「いいだろ、甘えても! 俺、紋のこと好きだし! 紋も俺のこと好きだし! 俺は誰にも紋を渡す気ないし!」
ソラくんの指摘に同じテンションで言い返す晄くんを見て、もう1つため息をついた。




