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第五幕 切り倒された月桂樹の枝を(6)


 晄くんが近所に住んでいると知って数日。

 私の生活時間が他とズレているのか、再会後、私服姿の晄くんは見なかった。

 が、制服姿で駐在所にいるところは何回か見た。


 お腹が目立ってきた恵美さんが、夜になるとぼやきに来るようになった。


「駐在所ってさ、ぶっちゃけると、家の土間のところなんだよね」

「土間?」

「そう。一般家屋の玄関みたいなとこ。そこのスペースを広くとってある感じ」


 イメージが難しい。


「店舗付き住宅みたいな?」

「そう! 交番付き住宅なの!」


 防犯力が高そうだ。


「だからねえ、何て言うか……私の生活空間に他人が出入りしてる感じ」

「晄くんですか?」

「のファン! 毎日毎日来るの! あとソラくん!」

「ソラくん?」


 誰だか分からなかった。


「田んぼの向こうに住んでる山田さんのところの男の子。小学生がソラで、中学生がタイガっていうんだけど! 毎日来るのよ!」


 恵美さんのストレスと血圧が心配だ。お腹の子は大丈夫だろうか。


「ソラくんは何しに来るんですか?」

「サッカー」

「サッカー?」

「晄くん、大学までサッカーやってたらしくて、めちゃくちゃ上手いのよ。それが楽しいらしくて、毎日サッカーボール持ってきて、まとわりついてるわ」


 子どもに好かれるタイプだとは思っていなかったので意外だった。見てみたい。


「紋ちゃんは気にならないの?」

「私の仕事時間とは被らないので」

「そうじゃなくて! 元カノなんでしょ?」


 晄くんが話したのかな、と思う。


「付き合っていたのは1か月程度だったので」


 気にならないといえば嘘だ。

 いつも気にしているし、意識もしている。

 ただ、勇気がない。


 この夏はかなり日に焼けてしまったし、最近は化粧もしていない。中身がぽんこつで家事能力もそこまで高くないのに、どの面下げて話し掛ければいいのか分からない。


「紋ちゃん、なんで別れたの?」

「私の、前にいた会社が問題を起こして。警察官が犯罪に関係してるかもしれない人間と付き合ってたら、駄目だし」


 恵美さんが首を傾げた。


「何か、翔ちゃんから聞いた話と印象が違うな」


 “翔ちゃん”は恵美さんの夫。駐在さんだ。


「そうですか?」

「うん。翔ちゃんから聞いた話だと、晄くんのほうが紋ちゃんに引け目があるっぽかったんだけど」


 再会したときに何度も謝られた。あのことだろうか。


「別れたあとに勤めてた会社の社長が逮捕されて、私は特に罪には問われなかったから、かな」


 でも捜査していた晄くんは気を揉んだだろうし、罪が発覚してから別れたのでは遅すぎる。

 あれはぎりぎりのタイミングだった。

 晄くんが悩んだ時間の長さかもしれない。

 晄くんを追い詰めたのは、私。


「晄くんは悪くないのに。責任感、強いですよね」


 私が言うと、恵美さんが手を伸ばして私の頭を撫でた。


「似た者同士のカップルだね、晄くんと紋ちゃんは」

「そうですか?」

「そうだよ! 紋ちゃんは特に晄くんに怒ったりしてないんだ?」

「はい」

「よかった。晄くんが、避けられてるんじゃないかって、気にしてたよ?」

「避けてないです。配送の仕事が急に忙しくなってきて、家にいる時間が短いだけで」

「ああ。そろそろ冬支度の時期だからね。物流止まる前にみんな買い込んでるんだよね」

「講習会で買っておくもののリストを貰いました」


 恵美さんにリストを見せる。


「うん、だいたいリスト通りに買えば大丈夫だと思う。……紋ちゃん家、ガスストーブか石油ストーブある?」

「ないです。いりますか?」

「いる。何年かに一度ドカ雪が降るんだけど、それで電気止まるから。ガスか石油のどっちかは買ったほうがいい。高いけど命には替えられないからね」


 一冬越せるか心配になってきた。


「あたた」


 恵美さんが急にお腹を押さえた。


「恵美さん?」

「なんか、たまに暴れるんだよね。狭いのかな」


 恵美さんは、ふーっと息を吐きながらお腹を擦っている。


「恵美さん、病院行ってましたよね? 大丈夫ですか? 無理してませんか?」

「うーん。初産だからよく分かんなくて。こないだ病院で血圧の薬出されたんだよね」


 あまりよくない気がする。

 産休直前に入院することになった会社の先輩を思い出した。

 先輩も、血圧が高くて大変だと言っていた記憶がある。


「大変ですね。晄くんに異動してもらいますか?」

「えー? そうしたら、翔ちゃんが育休とれないよ」

「晄くんって、育休中の交代要員なんですか?」

「将来的にはそうなるんじゃないかな? 今は時短勤務らしいよ。だから、ソラが毎日サッカーしに来るんだけどね」


 苦笑した恵美さんが、顔を歪めてテーブルに伏せた。


「恵美さん?!」

「ごめん、紋ちゃん…ばっか、痛く、なってきた」

「駐在さんを呼んできます、すぐ戻りますから」


 家を出て、駐在所に飛び込んだ。


「紋?!」

「高城さん?」

「大嶋さん! 恵美さんが、お腹痛いって。今、うちに居ます」

「分かった! 犬塚、あと頼む」

「了解」


 大嶋さんは一度、駐在所の裏口から出て行き、大きな鞄を持って出てきた。


「車、回してくるから、高城さんは恵美の側にいてください」

「分かりました」


 駐在所の外に出て違和感に気づく。

 靴を履いていなかった。


 慌て過ぎだ。

 こういうときこそ、焦らずに行動すべきなのに。


 ダイニングにいる恵美さんの側に寄り添う。


 廊下まで連れ出したいが、私だけで恵美さんを支えられるか分からなかった。

 痛みを耐えている恵美さんを抱きしめて、腰のあたりを擦る。

 もしも、私のせいでこの子に何か起きてしまったら。


「すぐ、ですから。すぐ大嶋さんが来てくれますから」


 気休めを声に出して自分に言い聞かせる。


「紋ちゃん、ごめんね」

「私は大丈夫ですから」

「うん……」


 それからすぐに大嶋さんが毛布を抱えて入ってきた。恵美さんを毛布でぐるぐるに巻いて抱えるようにして出て行った。

 大嶋さんの顔が険しくて、恵美さんが苦しそうで、胸の奥に嫌なモヤモヤが広がる。


 こんなときはどうやって過ごしていたのか。

 分からなくて、答えがほしくて、気がついたら駐在所の前に立っていた。


 「紋?」


 晄くんが出てきた。


「今、大嶋さんが、恵美さんを車で、病院に……」

「うん。見えてた。入る?」

「うん」


 駐在所の中に入ると、ストーブがついていた。

 石油ストーブだ。上に置かれたやかんから湯気が立ち上っている。


「ここ、夜は冷えるから」


 晄くんが私に奥側の椅子を勧めてくれた。


「恵美さん、大丈夫かな」

「医療も毎日進歩してるし、きっと大丈夫だよ」


 晄くんは落ち着いている。

 足元を見た。今回はちゃんとサンダルを履いていた。


「うん。大丈夫だよね」


 上滑りする言葉が虚しい。


「私、最低だった」

「最低?」

「恵美さんがお腹痛いって言い出したとき、私のせいでお腹の子に何かあったらどうしようって。そんなこと考えてた。自分の心配しかしてなかった。どうやって謝ろうって。……最低だ」


 晄くんはしばらく何も言わなかった。


「自分の心配するのは、悪いことじゃないよ」

「そう、かな?」

「紋の心配は、自分の手に負えないことが起きたらって前提で、そんな心配するのはそういうことがあったときに傷ついた経験があるから。本能みたいなもん」


 私は傷つくことが怖い。傷ついたことがあるから。


「晄くんも怖い?」

「怖いよ」


 晄くんは即答した。


「俺の母親、首吊って死んだの」


 晄くんを見た。

 表情はとても静かだ。


「葬式で久しぶりに会った父親に、殴られた。家族は俺に任せてたのにって言われて」


 言葉が出ない。

 酷すぎると思う。父親の言葉ではないと思う。

 でも、私は父親を知らない。家族を知らない。

 正しい在り方が存在するのかも分からない。


「任された覚え、なかったんだよね。でも、母さんが死ぬ直前に電話かけたの、俺だけだったから。やっぱり任されてたのかもしれない」


 晄くんがため息をついた。


 恵美さんは、私と晄くんが似ていると言った。

 母親の死に方が同じだなんて、笑えない似方だ。


 晄くんに手を伸ばす。

 晄くんが私の手を取った。冷たい手だった。


 人の死の責任をとることはできない。

 それでも、親族は近くにいた人間を責める。

 どうして気づかなかったのか。

 どうして助けられなかったのか、と。

 そして、一番責め続けるのは、自分自身だ。


 あのとき、何かできたのではないか。

 声をかけていれば、少しでも話をしていれば――


 その答えのない問いかけは、自分が死ぬ瞬間まで終わらない。


 唯一、許しを与えてくれる存在は、もうこの世にいないのだから。


 沈黙の中、やかんの蓋がかたかたと小さな音を立てていた。


「ねえ晄くん」

「何?」

「恵美さんがね。晄くんのことが好きな女の人がたくさん出入りして落ち着かないって」

「あー」


 少しだけオーバーに言ったら、心当たりがあるのか、晄くんの目が泳ぐ。


「おモテになるんですね?」

「えっとね、あれは……この辺、コンビニないし、外食できるところもないじゃん? 飯とか不便だなって言ったら……煮物を作りすぎた人がたくさん現れるようになりました」

「ふふふ。皆さん、親切でよかったですね?」

「すみません、失言でした!」


 私の手を握ったまま、晄くんが机に額をぶつけるようにして頭を下げた。


 思わず笑った。

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