第五幕 切り倒された月桂樹の枝を(4)
鷲尾商事の社長が特別背任で起訴された。裁判が始まった。
紋が引っ越した。行く先は誰にも教えなかったようで、鷲尾商事の人事課も、職安も、紋の次の住所は知らなかったと澤村から聞いた。
課長に転属願を出した。
課長は首を横に振った。
紋に罪はなかった。だから問題ない。続けろと言われた。
希望が通らないことは何度も経験してきた。
今回も、仕方ないと諦めようとした。
頭が納得する前に、体が拒絶した。
言うほど何かがあったわけではない。
強いていえば疲れただけだ。生きていくことに疲れた。秘密を抱えていることに疲れた。
体が重い。思うように動けない。
現場でこけて、そのまま歩けなくなった。
一週間入院して色々検査を受けた。
心因性、と結論づけられた。
結論が出たから治るわけでもない。
リハビリ専門の病院に転院した。
リハビリ四日目。
澤村と藤原が見舞いに来た。
「犬塚さん、高城さんに土下座して、縋り付いて、やり直してくれって言えますか?」
藤原が言い出したときには、俺が抜けたせいで忙しくなり過ぎてどうにかなったのかと思った。
「は?」
「高城さんに別れ話をするとき、俺を連れてって、その辺に隠れとけって言ったの、そういう意味ですよね?」
「違うけど」
「自分はそう受け取りました」
藤原を連れていったのは、俺が紋に情報漏洩しないか見張らせるためだ。
「俺の純情を踏みにじった罪は重いですよ」
「いや、藤原さん、何言ってんの。意味分かんないんだけど?」
「澤村くん、アレ出して」
「はい」
澤村が鞄から取り出したのはタブレット端末だった。
「どうぞ」
澤村は藤原に端末を渡す。
「これが証拠です」
藤原が真面目な顔をして見せてきたのは、紋の写真だった。
痩せて、少し日に焼けた紋が、笑っていた。
「高城さんは今、新潟県村上市にいます。移住希望者トライアル枠で、小学生にプログラミングの授業をしたり、配送の下請けをしたりしています」
詳しいね、と皮肉を言おうとした。
声にならなかった。ただ、涙が出そうになって、慌てて目頭を押さえた。
「新潟に行ってください」
藤原が言った。
藤原と澤村を組ませた馬鹿は、たぶん桑野だろう。こうして暴走することが目に見えていたのに、どうして組ませた。
「何してくれてんの。澤村くん、桑野は君たちのこと知ってんの?」
「知ってます。築島さんも課長も知ってます。あ、これ、新山さんと片山さんから、それぞれお見舞いの品です。預かってきました」
「澤村くん、そういうのは先に出して」
「すみません」
修也からは饅頭、蓮からはクッキーの詰め合わせだった。
「3人で分けるか」
大半は藤原が食べた。
修也からの饅頭は、開店前から並ばないと買えない人気店のもの。蓮からのクッキーは、一か月前から予約が必要な店のものらしい。
「あのサイト見つけたの、澤村くん?」
薄味の缶コーヒーを飲みながら澤村に尋ねる。
「新山さんです。村上市の移住希望者トライアルを調べてみろって言われて」
澤村の純粋さにつけ込んだのは修也だった。
「なんで素直に言うこと聞いてんの」
「一応、自分も訊いたんですよ? なんで村上市なんですか、って」
質問のポイントがズレている。
「新山さんは『理由は晄に聞け』って」
コーヒーの苦味が舌の上で濃くなった。香りが部屋に広がっていることに気づく。
「犬塚さん、分かります?」
公安の刑事は何枚も上手だった。
およそ、俺には手が届かない。
俺は修也には敵わない。
「白鳥の、越冬地」
「……高城さんの携帯の待ち受け、白鳥の写真でしたね」
澤村は目端が利く。人の感情の機微にも聡い。
少し素直過ぎるところだけ気をつければ、敏腕刑事として一課を支える人材になるだろう。
「村上市は、鮭ですね。あと、日本酒と村上牛」
藤原は、このまますくすくと育ってもらいたい。
「では、仕事に戻ります」
「ああ。頑張ってな」
敬礼する二人の若い刑事を車椅子から見送る。
「犬塚さん」
行きかけた澤村が振り返った。
「新山さんが、紋さんの入院中に謝罪にきました」
「謝罪?」
「ストレス掛けたからって。そのとき、新山さん、はっきり言いました。『俺は紋さんと晄を応援してる』って」
修也が、応援。
「一課も、みんな応援してます。課長も、立場上、引き留めたけど、会社は誰かの人生まで責任は持てないから、自分が行く方向は自分で決めろって」
転属願に、希望する転属先は書かなかった。
「俺も、応援してます。失礼します」
澤村が頭を下げて出ていこうとする。
「澤村!」
呼び止めた。
廊下の手すりに掴まって立ち上がっていた。
足が震える。それでも、俺の体重を支えて伸びてくれた。
「ありがとう。……一課を頼みます」
「もちろんです!」
自信満々に答えたのは、澤村ではなく藤原だった。
「藤原さん、それ俺のセリフなんですが」
「いや、俺からも澤村さんには一課をお願いしたいなって」
「順番からいったら藤原さんが先ですからね?」
「そんな無茶は会社もしないと思うよ? 俺が係長になったら、一課の必須体術は相撲に変更するから」
「えええ?!」
「あっはっは。冗談冗談」
「その体型だと冗談に聞こえないです」
2人のやりとりに、久しぶりに笑った。




