第五幕 切り倒された月桂樹の枝を(2)
「恵美ちゃん! 高城さん!」
移住支援課の渡辺さんだった。
「仕事休むって聞いて! 高城さんの様子を見に来たんですけど! 何かこのクソジジイに言われました?!」
首根っこを掴まれて車から降りてきたのは、配達が遅れる度に怒鳴ってくる山の上に住む森山さんだ。
「え?」
「ほら! 森山さんも謝って!」
森山さんはそっぽを向いている。
「しばらく配送無理って連絡あったから、絶対何かあると思って! 運送会社に聞いたんですよ! そしたら無茶な配送ばっかり頼んでるのが分かって! あの会社にはちゃんと苦情入れましたから!」
渡辺さんは厚意で苦情を入れてくれたのだろうけど、これは本格的に配送の仕事がなくなりそうだ。
「それもこれも森山さんが怒るからですよ? どこの運送会社からも配送断られるの、自覚してください!」
「時間指定に遅れるのが悪い!」
それはそうだ。
「森山さんが何回も指定日変えるからでしょ!」
「あらまあ。それは現場が混乱するね」
恵美さんがのんびりと口を挟んだ。
「配送の人は移動しながら仕事してるから、指定日変更されちゃうと荷物取りに戻ったりして時間かかるんだよ。森山さんだって、昔、郵便局で働いてたなら分かるでしょ?」
恵美さんの正論に、そっぽを向いたままの森山さんが苦い顔をする。
同業だったのなら、不甲斐ない若手に腹も立つだろう。
「渡辺さん、すみません。ちょっと腱鞘炎で、お客さまの荷物を取り扱うのが怖かったんです」
「腱鞘炎?!」
「腱鞘炎なの?」
渡辺さんと恵美さんがこちらを向いた。
「はい。ちょっと調子に乗ってピアノ弾いてたら」
「紋ちゃん、腱鞘炎なのにパン焼いたの?」
「ホームベーカリーは材料入れた後は全自動なので」
「パン? パンか……なるほど!」
渡辺さんが何か閃いたようだ。
「高城さん! 私に任せてください! 私が何とかしますので!」
「えー? ゆいぴー、大丈夫? また空回るんじゃないの? コンポストみたいに」
「あれは、一部には好評なんです! 一部には!」
「発想は悪くないが、畑で使うには量が足りん」
恵美さんの呆れた声と、森山さんの苦情に渡辺さんがしょんぼりした。
やる気が空回りするタイプだ。そんな気はしていた。
「高城さんに見捨てられたら、30連敗なんです! お願いします! 定住してください!」
頭を下げてお願いされると逃げたくなってしまうが、昨夜あと2年頑張ると決めたところだ。
「はい、もう少し頑張ってみます。ご心配かけてすみませんでした」
渡辺さんに頭を下げたら、森山さんが、ふんっと鼻を鳴らす。
「少し怒鳴られたくらいで辞めるだの何だの大袈裟な」
「辞めちゃったらどうしようって言い出したの、森山さんじゃない! 高城さんに会いたいからって小分けにして通販するの止めなよね?」
「そんなことするか!」
「いやいや、してるでしょ。運送会社の記録見たし」
聞き捨てならないことを言いながら二人は去っていく。
「ああ、森山さんが怒鳴ってたのか〜。それは嫌にもなるよねえ」
「いえ、時間指定に間に合わなかったのは事実なので」
「森山さん、寂しがり屋でね。孫が大きくなって会いに来なくなっちゃって、ちょっと拗ねてるの。昔は夏になったら息子さん家族で来てくれてたのにね」
畑があるからこの場所から動けない。来てくれるのを待つしかない。
来るはずの時間に来ない。待つ身にとって、時計の秒針すら遅く感じる。
そんなことは分かっているはずだった。
いつも待たされる側だったのに。
私は、あの人の時間を食いつぶした。
「でもね、紋ちゃん。森山さん、紋ちゃんが配達してくれるようになって随分と明るくなったんだって、森山さんの奥さんが言ってたよ」
「明るく?」
「そ。偏屈ジジイだけどね。紋ちゃんのことは気に入ってるみたい。孫の嫁に来てほしいって」
それは物凄く嫌だ。
「確かお孫さん、まだ高校生なんだけどね」
孫も嫌がると思う。
何となく、息子家族が帰省しなくなった理由が分かる気がした。
「うちにもちらほら問い合わせがあるの。紋ちゃんを嫁にほしいって」
「なんでそちらに?」
「さあ? ご近所だし、駐在所だからかな。よろず相談窓口みたいなもんだし」
駐在所というのは、警察で、つまりちょっと敷居の高い公的機関の一つだと思っていた。
どうも交番とは役目が違うようだ。
恵美さんが私を見て笑った。
「だから紋ちゃんも! 分からないことあったら何でも言って。ウチら相談対応には慣れてるからね。ドクダミ茶の作り方でも、ハチの巣退治でも、何でも言って」
渡辺さんも恵美さんも、私が困らないように手を差し伸べてくれる準備がある。
ただ2人はこの土地の人だから、私が何を分かっていないのか、何に困っているのかが分からない。
それなら私から聞きにいけばいい。分からないから教えてくださいとお願いすればいい。
新人の社会人と同じこと。
私はこの土地の新人だから。
一度通った道だ。きっと何とかなる。
「たくさん頼らせてもらいます、恵美先輩」
そう言うと、恵美さんが嬉しそうに笑った。
◆◆◆
渡辺さんが上司の猪口さんを連れて家にやって来たのは、7月の終わりの週だった。
「パンを配るんですか?」
「はい。1月から3月まで、週に1回です。主に高齢者だけの家、それから一人暮らしの方の家です」
「ちょっと待ってもらえますか」
2階の部屋から、紙の地図とノートパソコンを持って降りた。
お客さまを通すのは1階のダイニングに決めている。テーブルも椅子もそこにしかない。
「範囲はこの辺りですか?」
「はい。おおむねその辺りになります。あと、少し離れますが、こちらに3軒ほど該当する家がありますので、そちらも」
「あの、米どころでパンを配るって、喧嘩を売って回る行為としか」
先日も森山さんから日本人は米だろう、とお米をいただいたところだ。精米機の使い方を恵美さんに教わった。生まれて初めてもみ殻を見た。精米したてのお米で炊くご飯がこんなに美味しいとは知らなかった。
「もちろん、事前申込の希望者だけです」
問題はそこではない。
「私、雪道の運転をしたことがないんですが」
「え?」
「あ!」
渡辺さんが口を覆う。
「10月に雪対策講習会があるので! それ、受けてくださいね!」
それだけで本当に大丈夫なのだろうか。
「戸数を絞り込んで高城さんの負担にならない程度にしましょう」
猪口さんの声に我に返る。
「待ってください。行政の仕事って全部入札制じゃないんですか?」
「今回は試験的な試みなので。本格的に導入することになったら入札制になりますが」
渡辺さんをちらりと見て、猪口さんは肩をすくめた。
「効果がなければ来年は行わないでしょう」
期待されていないのは気楽だが、少し悔しい。
移住希望者枠で色々と便宜を図ってもらっているので強く言えなかった。
収入源については私の見通しが甘かったせいで、黒字化の目処がついていない。渡辺さんが心配してくれている。だからこそ猪口さんが来たのだろうし。
「ところで高城さんは、お見合いにご興味は」
「ありません」
「そうですか。忘れてください」
「はい」
最近、見合いの誘いが多い。
たぶん、この辺りの人が嫁を探しているのだろうけれど、私にはまだ、ここで暮らしていく覚悟がない。先日、コガタスズメバチを見て腰を抜かしたところを駐在さんに救助されたばかりだ。
「では、またご連絡いたします」
猪口さんは渡辺さんと一緒に帰っていった。
仕事用のタブレットが通知音を鳴らした。配送の仕事だ。
渡辺さんの一言で配送の仕事は減ると思っていたが、逆に増えた。
森山さんの荷物だけではなく、近隣の普通の荷物まで任されるようになった。
意外だった。
森山さんも、恵美さんや渡辺さんから何か言われたのか、配達日を変更することが少なくなった。
遅れは減り、少しだけ雑談をする時間もできた。
本当に少しだけれど上手く回り始めている気がした。
雪対策講習会は10月の半ば。
役所に隣接する講堂のような場所で行われた。
受講者は28人。
開始時間15分前に着くと、駐在さんと渡辺さんが話し込んでいるのが見えた。
駐在さんの後ろに、晄くんがいた。




