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第四幕 甘い夢は闇夜に溶ける(4)


 知らない間に入院になっていた。

 付き添いの人が夜遅くに持ってきたという鞄には、入院に必要な衣類やタオルの他に、合鍵が入っていた。

 晄くんが来たのだと分かって、少し泣いた。


 医者から動いていいと言われた日。

 会社に電話を入れた。

 人事部の木村課長を選んだのは、一番何かを知っていそうだから。


「体調は?」

「明日の検査の結果次第で出勤できます」

「すまない。無理だ」

「え?」

「退職日は決まっている。今は有給休暇で、仕事の話はできない。必要な書類は全て家に送付する。……もう、来なくていい」


 事務的で取り付く島もない言葉。私が寝ている間に木村さんが用意してきた言葉だ。

 もう何もかもが終わっていた。


「分かりました」

「力になれず、悪かった。それじゃ」


 木村さんはすぐに電話を切った。


 『退職日は決まっている』なら、書き換えた諭旨がそのまま通っている。

 内容は部下を会社の指示通りに成長させられなかったことの詫び文。警察に咎められることは書いていないはずだ。表に文面が出ても問題はない。


 けれど、この時期に会社を辞めることは、あまりにも不穏な意味を持つ。いや、持たされた。

 木村さんの『力になれず』はそういうことだ。

 全てを、私がやったことにしてしまう。

 諭旨の中身が何かなんて、周りは知らない。ただ知っている情報を結びつける。

 会社の罪と、罪が暴かれる直前に辞めた人間である私を。


 私は会社が何の罪で警察に調べられたのかさえ知らないのに責められる。

 それに対して頭を下げる。


 被害者は誰なのか。被害はどれくらいなのか。

 私はどんな罪を犯したのか。

 分からないことしかない。

 弁護士さんに相談してもいいのだろうか。

 被疑者になったらどう行動するのが正解なのだろう。

 まだ痛みが残るお腹を押さえて丸くなって眠った。


 入院して数日。絶食から重湯になった。

 病室に捜査二課の小谷さんと、捜査一課の澤村さんが来た。2人とも恐らく二十代だろう。

 若い人とビジネスライクに話すのは、いつも少し疲れる。


「高城さん、少しお時間、よろしいですか?」


 小谷さんに言われて、軽く頷いた。


「顔色、だいぶ良くなられましたね」

「おかげさまで。お手数おかけして申し訳ありませんでした」


 形だけ頭を下げる。

 澤村さんが困った顔をしながら花束をくれた。


「ありがとうございます」

「いえ。高城さんが倒れてしまったのはこちらの配慮が足りなかったせいなので」

「犬塚係長も心配されてました」


 澤村さんの言葉の後ろに小谷さんが付け加える。

 聴取はもう始まっている。


「わざわざすみません」


 花束を受け取る。オレンジ色が鮮やかな、華やかな花束だった。


「小谷さん、何か私にお聴きになりたいことがあるんですよね?」

「はい。鷲尾商事株式会社の、経営方針について、です」

「どういうことですか?」

「5年前から鷲尾商事の社員が出向に出されることが多くなりましたね。5年前、何があったか、お聞きしたいんです」


 ざっくりとした質問は、こちらからできる限り多くの情報を引き出すためだ。


 5年前。

 木村さんと私が係長になった年。

 ポストが空いたから繰り上がりになった。


「詳しいことは分かりません。役職者が出向に出て、ポストが空いたので順繰りに私たちの代に係長の役職が回ってきた気がします」

「出向先でどのような仕事をしていたか、ご存知ですか?」

「いえ。そこまでは聞いていません」

「建設業ですよ。土木工事の作業員や、交通誘導員のお仕事です」


 全く経験のない仕事だろう。

 先輩方が苦労している様子が目に浮かぶようだ。

 あの時は、課長以上が一気に減った。

 人事の木村さんは、人件費が浮いたのはいいのか、悪いのか、と飲みの席でこぼしていた。


「それからあちこちに出向させていますよね。高城さんも、出向予定だったとお聞きしました」

「はい」

「出向を断った理由を教えていただけますか?」

「内々に上司から出向を打診されて、出向先を見に行きました。どんな仕事をする場所なのか、分からなかったので」


 鄙びた温泉街。

 働き手が少ないとか、動ける若手がほしいとか。

 そういう理由なら受けていた話だった。


 旅館・美郷は、どこか懐かしくて心地良い旅館だった。従業員は皆、若くはないが元気に動けていたし、お客さまへの心配りが素晴らしかった。

 私もここで働けたら、こんなふうに誰かを癒せるようになるのかな、と暢気に考えた。


 裏の従業員出入り口で、女将さんとスーツ姿の男が言い合いをしているのを聞くまでは。


 あの会社の出向を受けるなら、うちの銀行は手を引く、と男は言っていた。


 その男の声に聞き覚えがあって、思わず隠れた。


 女将は、出向の人を受け入れている間は予約システムのメンテは無料だからその間に他の設備を新しくする予定で、銀行に手を引かれたら困る、と言っていた。


 旅館を出た後、インターネットで旅館と関係ある銀行を見つけて、“融資担当の和田さん”を呼び出した。


 あのときの和田くんの引きつった笑顔を、私は一生忘れないと思う。


 和田くんが大学時代にどれだけ酷いことをしていたのか思い出してもらってから、美郷と鷲尾商事の話を聞いた。

 鬼だの悪魔だの性悪だのと毒づきながら、優秀な融資担当者の和田さんはうっかり私に全部話してしまった。


 地方で鷲尾商事がやっていることを聞いて、にわかには信じられず、けれど和田さんから聞いた会社を調べたら確かにその通りで、私は思いつく限りの経営案をまくし立てて、何とか和田さんの首を縦に振らせることに成功した。


 東京に戻った私は、上司に出向の話は受けないと申し出た。


「旅館のお仕事を見て、私には無理だと思い、上司に断りをいれました」

「そのあとは? どうなりましたか?」

「そのあとは、業務支援課の課長兼務の話が出ました」

「美郷という旅館がどうなったかも、ご存知ですか?」


 小谷さんに尋ねられて、和田さんからの電話の言葉を思い出す。

『1週間遅かったらヤバかった。女将さん、首括る準備してた。今は何とかやってるよ。ありがとな。あと、あのこと、絶対言うなよ。俺の家族潰そうとすんなよな』


「詳しくは知りませんが、何とかなってるみたいで。インターネットで営業中になっているのを見ただけですけど」

「一時期は本当に危なかったみたいですね。女将が自死を考えるほど」


 きりきりと胃が痛む。

 抱えた花束の下で、手を強く握り込んだ。

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