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第三幕 仮面を付けた道化師たち(3)


 頼まれたデータを確認して、後輩に声を掛けた。


「桑野さん。第3項のところ、時系列が分かりにくいです」

「はい、すみません。直します」


 二課からの応援要請は予想以上に面倒だった。

 ないことの証明は難しい。

 融資がなくなったから首を吊ったのか、融資とは関係がない別の理由があって首を吊ったのか。

 遺書があれば簡単だが、二課に指示された3人に関して遺書はなかった。

 “事故でも他殺でもないから自殺”

 そう判断しただけとしか思えない、手抜きの現場報告書だけが資料として提示されていた。


 面倒なところだけを押し付けてくるところは相変わらずだ。

 係長レベルでの依頼なら蹴り飛ばしているが、今回は捜査本部長を経由した正式な協力要請だった。


 紋の会社が関わっているなど考えもしなかった。

 タイミングが最悪だ。

 協力する事件も、後輩からの呼び出しも。


 部屋に1人で残してきた紋は、恐らく泣いている。扉の向こうから聞こえた、押し殺しきれなかった慟哭は紋の声だった。


 相手が本命の女なら、言われずとも朝まで一緒にいる。男はそういう生き物だ。

 それをワガママだと言った。震えながら願った。

 紋が今までどんな恋愛をしてきたのか、簡単に想像できてしまった。


 仕事のときと同じように、自分を押し殺して、相手のためだけに、譲ってはいけないところまで譲って、消耗するだけの恋愛。

 誰かの特別になることは紋にとっての悲願。それが彼女に結婚を望ませる。


 2日も一緒にいれば分かる。

 自分は仕事でぼろぼろなくせに、夕飯を作って、食べさせて、ベッドを譲ろうとして。

 同じ部屋で過ごしていた時の紋のふるまいは、全て捨てられないための努力だった。

 こちらの顔色を伺い、言われる前に全てを用意しておく。人の役に立つことが、必要とされることが、自分が愛されるために必要だと思っている。


 そんな努力は必要ない。

 彼女はそのままで愛されていい存在だ。

 アイスクリームを口に含んで、蕩けそうな笑みを浮かべているだけでいい。

 そのことを伝えたかった。

 できることなら、ずっと彼女の傍にいて、彼女が何も失うことなく幸せを手にするところを見ていたい。


「築島、戻りました」

「お疲れ様」

「お疲れ様です、犬塚さん。これ、頼まれてたものです」


 奈良県警に出張していた築島に、三輪素麺を買ってきてほしいと頼んだ。


「おいくら?」

「あ、レシート、これです」


 築島から受け取ったレシートの金額は、素麺にしては高いと思う。


「なんか、三輪素麺ってランクがあるらしくて、とりあえず、一番高級品にしておきました」

「とりあえずなら真ん中にしろよ」


 金を渡して、桐箱を開けた。10把入っている。

 見た目は普通の素麺だ。いや、中に1本だけ薄紅色の素麺がある。

 ……当たりだろうか。それともハズレなのか。

 どっちだ。


 桑野が覗き込んできた。


「めっちゃ細いですね」

「そう?」

「俺、湯がきましょうか? 犬塚さん、朝ごはんも食べてないですよね?」

「え、ここで? 汁ないじゃん」

「買ってきますよ」

「じゃあ、頼む」


 結局、桑野は他の人からもおつかいを頼まれて出て行った。


 築島がネクタイを緩めながらノートパソコンを取り出してこちらを見る。


「犬塚さん、俺は元のヤマに戻っていいですか?」

「ごめん。二課から追加依頼」


 築島からの報告は既にメールで受け取っていた。

 無関係の証明は、本棚に念入りに隠されていた借用書。ギャンブル依存だったらしい。自殺の時期と、膨れ上がった利子を含めた督促状の日付から鷲尾商事とは無関係と判断した。


 明らかに不服そうな築島に内心で両手を合わせる。


「たぶん、今回は日帰りで帰ってこれると思う」

「また出張ですか? あいつらも足で捜査しろっての! どこですか?」

「水戸」

「自分が行きましょうか? 千葉県警なら知り合いいます」

「いいの? 犬塚さん、藤原に代わってもらっていいですか? 俺、明日からホシの尾行予定なんですよ」

「藤原がいいなら頼む。築島のヤマも大詰めだから」

「大丈夫です。その変わり築島さん、俺にも素麺食わせてください」


 藤原は一課のグルメリポーターと言われるほど食べ物にうるさい。そしてよく食べる。よく喋り、よく笑い、よく働いて、よく肥えた。横綱だ。顔も体つきも横綱っぽい。


「素麺の所有権は犬塚さんだ」


 藤原が笑顔でこちらを見る。


「じゃあ、1把だけな」

「やったあ! 犬塚さん、資料転送してください」

「はいはい」


 桑野の帰りを待つ間に、藤原に軽く二課の事件を説明しておく。


「この会社知ってます」

「え?」

「美味いラーメン屋が近くにあって」


 心の底から納得した。


「この会社で二課系ですか。そんなに大きな会社じゃなかった気がするんですけどね」


 資料を見ながらぶつぶつ呟いている藤原は、千葉県警の所轄上がりだ。警視庁に異動してきた理由が、『飲食店が充実しているから』で、『異動出来たら誰よりも働いて美味いもんが食いたいです』と宣ったらしい。課長から聞いた。


 桑野が戻ってきて、早速素麺を湯がき始めた。

 3人で給湯室に居座って素麺を啜る。


「細いのにコシが強くて切れないですね」

「このコシが高級品か?」


 素麺はあまり食べないので、味の違いはよく分からないが。


「で、なんでいきなり素麺なんですか?」

「ん? 彼女がこの地方の出身って言ってたから。食べてみたくて」


 くふっと桑野がむせた。素麺を喉に詰めるとは器用な奴だ。


「犬塚さん、彼女居たんですね。美人ですか?」

「美人だよ」


 藤原の問いに答えたところで、スマホが鳴った。


「はい、犬塚」

「お疲れ様です。澤村です」

「お疲れ。調子はどう?」

「少し気になる話をマルガイとは関係ない人から聞いたんです。美郷って旅館の女将さんなんですけど。その旅館、鷲尾商事に嵌められそうになったのを女性社員に助けてもらったらしいんです。名前は分からないそうなんですが。もう少し掘ったほうがいいですか?」

「名前が分からないって、名刺なくしたとか?」

「いえ。名前は伏せさせてほしい、と言ったそうです。でも、銀行の融資担当者と知り合いだからって紹介してもらえたらしくて。あと、経営改善案も一緒に作ってくれたので潰れずに済んだって。どうしますか?」

「澤村さん。今から画像データを送ります。女将に、その写真の人だったかどうかだけ聞いてください。返事がどうあれ、それで帰ってきてください」

「はい。分かりました」


 写真を送る。

 すぐに折り返しの電話がある。

 予想通りだ。


「……分かった。お疲れ。帰ってきていいよ」

「はい。分かりました」

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