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私は私

 今回は、何で書いてるんだろう、何で投稿してるんだろう、っていう話。


 まず、何で書いているか、ということだけど、コレは、自分が読みたいものを書くため。


 じゃあ、なぜ投稿するか。

 自分が読みたいだけなら、公開する必要ないよねという話だよね。

 これは、公開しなかった理由の方がむしろ、自分の中ではネックだったかもしれない。

 公開する理由なんて、せっかく自分が楽しんで創ったんだから、面白がって読んでくれる人がいればいいな、くらいの気持ちだから。


 公開しなかった理由は、評価が付くことが嫌だったから。

 温度みたいに評価を分類できるのだとすれば、絶対評価ではなく、どちらかと言うと相対評価の方かな。

 それが、一緒くたになって貼られることが。


 小説の書き方なんて習ったこともなければ、なんならあんまり小説も読まない。

 だから、文章を読んだとき、面白いと思うポイントが、小説を読むことが好きな人からすると、ずれている。

 自分なりにちゃんと気を配って、真面目に書いていても、評価されないのがわかっているんだよね。


 こだわりポイントが違うから。

 そしてそれはそのまま、評価する側とのずれだ。


 評価にはある程度再現性が必要だ。

 評価という行為には、目的がある。

 根本的に、面白がるのとは違うんだよね。


 じゃあ、どんな文章でどう感じるか。


 例えば、運転免許の講習みたいなので渡されるような被害者家族の手記とか、好きなスポーツの実況文とか、事実を元にした文章は、心を持っていかれる。


 でもそんな文章が、小説として評価されることはないよね。


 事実を元に、という意味では、論文。

 専門分野が外れている人にまで読んで貰おうという丁寧さが滲むものなんかは特に、すごく面白い。

 COVID-19っていうキーワードでどれだけ読んだことか。

 飛沫飛沫ゆーてるけど、それ全部地面に落ちるから、地面が一番感染が広がる経路やねんで。

 みたいな論文とか、へーって思うというより、それはそう、って感じ。

 畜産とかじゃ、当たり前に地面を警戒するもんね。

 だけど、そういうことをちゃんと真面目に丁寧に論じてる。

 ちゃんとしてる。

 言わなくてもわかるでしょ、とはせずに、気配りされている。

 もちろん、限度はあるけど。

 でも、くどいくらいに丁寧に書かれている。


 面白くないわけない。


 周りの人たちに聞きました。

 共感は得られませんでした。


 まあ、世間はマスクマスクだったよね。

 靴の裏がきれいかより、マスクしてるかどうかの方が、わかりやすいからね。


 あと、IMRaD形式なんていう用語を作中でも使ってるけど、論文はそういう書き方のルールみたいなのがある。

 だから、堅苦しい。

 あまりにも専門的過ぎる論文は、丁寧に書かれていても、本筋から離れすぎるところまで丁寧に書くと、論点がわからなくなる。

 そういった理由もあって、丁寧にするにも限界があるから、難しい印象を覚えるものの方が、圧倒的に多い。


 論文には、堅苦しいだけの理由がある。

 評価する方法もまた、ある程度、系統化されているからだ。

 目的があって、方法があって、結果があって、考察がある。

 言葉の定義があって、根拠があって、どこまで言えるかがある。

 行間を読んでください、では済まされない。

 言わなくてもわかるでしょ、も通りにくい。

 だから、ちゃんと、丁寧に、誠実に書かれる。


 たぶん私は、そういうところも面白いのだと思う。

 そして論文という面白い文章も、小説として評価されることはない。


 けれど小説は、そうではない。

 説明しすぎると野暮だと言われる。

 読者の想像の余地だとか、言葉の持つ力だとか、そういうものが大事にされる。

 それ自体は、悪いことではない。

 私だって、行間や余白が嫌いなわけじゃない。


 ただ、それを評価する方法は、論文ほど系統化されていない。

 古典文学みたいに、長く学問として分析されてきたものならまだしも、ライトノベルやweb小説は、もっと現場に近い。

 読者の好み、流行、ジャンルの空気、投稿サイトの仕組み、売れるかどうか。

 そういうものが、かなり混ざる。

 だから、無法地帯とまでは言わないけど、少なくとも再現性のある学問とは、かなり遠い。


 こうして整理してみると、私が相対評価と置いたものは、内容そのものだけではなく、総合力として貼られる評価だったのだと思う。

 それを不公平だと言いたいわけではない。


 評価には目的がある。

 読む側にも、選ぶ側にも、時間や都合や期待がある。


 だから、内容だけが見られるとは限らない。


 そして私は、評価されないことが、自己否定になる確信があるくらい、弱い。


 そこで、逆転の発想である。


 いっそ、論文を作品に取り込んだったらええやん。

 そしたら自分が読んでて面白い。

 同じ土俵で戦ってへんねん。

 みたいな、完璧な自己防衛まである!


 評価されることと、面白がってもらうことは、同じではない。

 評価されないことと、誰にも届かないことは、ちょっと被る。

 評価された方が読まれるからね。


 だから、投稿は続ける。

 自分が読みたいものを書いて。

 それを、誰かが面白がってくれたらいいなと思っている。

 だから、数字は気になるけど、まあいっかって思うことにする。


 いつか、売れる作品を創りたいと考えるようになる日が来れば、学んだ方法で、売れるために書くようになるかもしれない。


 だって、習ってはいないけど、学んではいるのだから。


 だけど今は、まだいいかな。

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