耳を塞いだ者③
「たまたまの夫婦喧嘩だったのかもしれないでしょう。そうじゃないと言い切れますか?あの時点では結局、かもしれないという疑念でしかないんです。それにもしなにかあったときには私は知りませんでした、という免罪符が必要でしょう?不必要なことに耳を塞ぐのは弁護士として必要なスキルですから」
知ってなんの特になるのだ。
逆に知ったことで契約を切られ、得られるはずだった利益を失う。
それこそ馬鹿のすること。
この世はお金が全て、それをみすみすドブに捨てるなんてことをメイはしない。
アリアドネを諭すように、ソファーへと深く背を預け足を組む。
「誰だってね、自分が一番可愛いんですよお嬢ちゃん。事件が起きたときに使用人や近隣住民達は皆、言うでしょう?知りませんでした、まさかそんなことが起きていただなんて……本当にそうだと思いますか?夜中に誰かの泣き叫ぶ声が聞こえなかったと?なにかを壊す音が聞こえなかったとでも?翌日、頬を腫らした顔を見て何も無かっただなんて……本当にそう思いますか?皆ね自分の生活に一生懸命で、面倒事は避けてしまうんですよ」
大小関わらず、自分だって一つくらいそういった経験があるだろうとメイの眼差しが問うている。
馬車の駐車違反、裏路地の喧嘩、虐めの見て見ぬふりだってそう。
自分に関わりのないことであれば避けてしまう、それが人間だ。
それは間違ったことではない。
自分が一番大切で、可愛くあるべきなのだから。
「リエイト様が使用人や従業員達を定期的に変えるのは、夫人への態度を知られないためというのもあったんでしょうね。徹底したクリーンさは、その反動だったのでしょう。だからそういった人達に聞き込みをしても無駄だと思いますよ。彼らの中でリエイト様は過分な給料をくれるとても良い雇用主でしょうから」
「どうしてイルサ様はそこまでして、離婚しなかったんだろう……」
メイのもっともな意見に少なからずでも身に覚えがあり、言い返すことはできずに意気消沈するアリアドネを見て。
経験の足らない子供を諭したのではなく虐めたみたいな気持ちになったメイは、肩を竦ませる。
アリアドネの素直な反応が、メイの僅かにある良心を痛ませた。
「夫人の旧姓をご存じですか?」
「確か……ラヌスでしたわよね」
「そう、イルサ・ラヌス。ラヌス家は平民街で小さな衣服店を営んでいました。けれど経営が悪化し、自己破産寸前となった頃に夫人は結婚したんです。そしてリエイト様の援助で衣服店は持ち直しました。今は弟が継いでますよ。こうなった原因があり、結果となったわけです」
カールが言っていた色々な問題とはそのことだったのかもしれない。
何処にでもよく転がっている、家族を助けるための結婚という自己犠牲。
彼女だけは幸せになりませんでしたとは、憐れでならない。
「夫人が微笑みを浮かべたのは、女性の客が連れている小さな子供にでした。子供が可愛いと思っただけのことなのに……嫉妬心は恐ろしいものです。夫に逆らわない従順な妻の、なにがそんなに不安だったのか」
「分かりました。ありがとうございますメイ」
「いいえ。もし夫人と直接お話しする機会があるようでしたら、今後のことを話し合いたいので一度事務所に連絡が欲しいと伝えてください。何通か手紙をお送りしているのですが、返事がなくてね。商会の運営にお困りでしたら多くのノウハウを持つ私が、上手くやりますからとね」
「えぇ、伝えておきます。あぁ、そうだわ。一つ依頼を受けてもらっても?」
「依頼?ランポール家にはうちなんかより、優秀な専属の弁護士軍団がいらっしゃるでしょう」
「あなたの腕を見込んでのお願いなの。引き受けると約束してくださる?」
そう言われて悪い気はしない。
自分の能力を正当に評価している(見る者によっては過大だが)メイは、自信を示すように胸を張る。
「まぁ、構いませんけど……新しい事業でも立ち上げるんですか?」
「いいえ、わたくしの友人が対魔警察に囚われておりまして。このまま起訴にでもなってしまったらと不安で……もしものときはあなたに弁護をお願いしたいのです」
「絶・対・嫌・です!私は商会法務専門の弁護士ですよ!刑事事件なんてお金にならない弁護なんてクソくらえ!」
メイほど、刑事弁護のできない弁護士はいない。
損得感情で物事を考え、相手の心情を考慮することはなく、与えられた事件捜査の資料を適当に見るだけ。
此処から出してくれと、泣き喚く依頼人の金切り声を聞けばやる気を失い。
まるで刑事かの如く依頼人がいかに犯人であるかの事実を突きつけ、刑罰を受け入れろと詰め寄る。
無罪ですら有罪にする、勝率0%のそんなメイが刑事弁護だなんて……永遠に閉じ込めておきたいとしか思えない。
捕まっている被疑者がメイの名を聞けば、担当弁護士を変えてくれと懇願するはず。
「まぁでもあなた今、構わないとおっしゃったでしょう?耳を塞がずにしかと聞いて約束を交わしたのだから、守っていただかないと。費用でしたらご心配なく、あなたのお給料以上の金額をお支払いいたしますわ」
「ぐぬぬぬぬぬ!」
「ご安心ください、ランポール家の弁護士もご一緒いたしますから。あなたの歴史に刑事事件唯一の勝利という文字が刻まれることでしょう」
聞いていないフリはもうできない。
クリスティアの肩に現れたミサが『まぁ、構いませんけど』と言うメイの録音した声を流しているのだ。
明確な証拠のある契約。
してやられた、なんて奴だ、これだから嫌いなんだクリスティア・ランポール!
悔しげに唸りながら、なんの足しにもならない刑事弁護を引き受けることとなったメイは、この際法外な金額を請求してやると心に誓うのだった。




