耳を塞いだ者②
「随分と甘い契約であったの?」
「まぁ、規模の割りには。契約に関しては一度くらいは難癖が入るものですが、リエイト商会はこちらの提示した条件を全て受け入れてくれました。向こうから提示されたのは女性の弁護士であることくらいです」
甘い蜜は吸えるだけ吸うのがブリッジスの理念。
多かれ少なかれ汚れているのが人間。
その汚れている部分を隠し、法の抜け穴を使い依頼者に利益をもたらす。
それが商会法務専門の弁護士だ。
人がより良く豊かな生活を求めることに、貪欲になることは悪いことではない。
「リエイト様の賢さは、経営の全てにおいて妻を徹底的に排除したことですね」
「排除?」
「便利で都合が良く、どんなことにでも目を瞑ってくれる最高のパートナー。それが配偶者というものですよ。経営のことなど何一つ分からず、夫の言うとおりに動く便利な傀儡はなにかを隠すには最適の隠れ蓑です。夫にしか従わない彼女らは、弁護士にとっては厄介な存在でもあります。そんな都合の良い配偶者を排除して、リエイト様は業務の一部を全て外部に委託していました。しかも不正がないように定期的に業者を全て変える徹底ぶり。だから私達も今年からなんですよ」
つまりネイサン・リエイトは、警戒心が強く誰も信じていない。
猜疑心の塊のような男であった。
それはニール達対人警察が聞き込みをした人となりとはまるで別人。
「契約の金額も余所より随分と良く、あまりにも怪しすぎるので。なにかやましいことでもあるんじゃないかと、前の弁護士事務所に問い合わせをしたりしてこちらも色々と調べてみましたが……叩いても埃は一つも出ない。商会はクリーン過ぎるほどクリーンでしたよ」
正直つまらないなとメイは思った。
叩いて埃がでるほうが、仕事としては面白みがあるからだ。
どう法律の編み目をすり抜けて依頼人の利益を守るか、それは弁護士の腕の見せ所でもある。
「だからうちも依頼を受けたんです。つまらなくても、綺麗に越したことはないですし」
「では、あなたはリエイト夫妻……特に、妻であるイルサとは関わりがなかったのね?」
「法人的にも個人的にも、関わったことはございません。ただご存じの通り。私という人間は自分の仕事に関わりがなければ、どんなことを聞いても聞いていないふりをします。依頼人が隠すことならば特に、火の粉を被らないためには都合の悪いことには耳を塞ぐタイプですので」
それは自慢できるような性格ではないのだが。
メイにとっては自慢できる危機回避能力である。
「夫妻の間になにかがあったという、心当たりがあるのね?」
「えぇ。リエイト様は夫人を商会の仕事に関わらせないわりには、何処へ行くにも連れ回していました。最初は周りに自慢でもしているのかと思ってましたよ。まぁ、それなりに綺麗な奥さんでしたし。ただアクセサリー感覚で連れ回すにしては、二人の歳はそれほど離れているわけではないので疑問ではありました」
老齢の男性が年若い妻を見せびらかすために連れ回す、そういったことは良くあることだが……リエイト夫妻には当て嵌まらない。
二人の年齢は2歳差で、しかもイルサのほうが年上だ。
夫にとってどれほど魅力的な妻であったとしても、他人の目から見てもそうだとは限らない。
クリスティアのように華やかで、誰もが羨む容姿ならば話は別だが。
イルサはどちらかといえば、容姿が取り分けて美しいというよりかは……醸し出している儚い雰囲気が、その美しさを彩っているような感じであった。
妻の価値を過大評価している夫と、自身の価値を過小評価している妻。
人間は正反対の者に惹かれると聞いたことはあるが。
自分と似た感性(偽りであったが)の男に惹かれたメイにとっては、二人は不思議な夫婦であった。
そう、あの声を聞くまでは。
「ある日、新しい事業の契約に関して見直すべき点があったので、商会に赴きました。執務室に案内をされたのですが、手洗い場に行くために少し席を立ったんです」
しんっと静まり返った廊下。
何度かリエイト商会へと来たことはあるのだが、案内されるのはいつも客間だったので手洗い場の場所が分からない。
誰か従業員とすれ違うだろうと軽い気持ちで室内を彷徨っていれば、少し扉の開いた一つの部屋から話し声が聞こえてきたのだ。
メイはこれ幸いと、手洗い場の場所を聞こうとしたのだが……ダンッというなにかを壁か床に叩きつけるような音を聞いて、扉をノックしようとした手を止めた。
「酷い、言い争いでしたよ。いや、争いではなく一方的であったというべきですね。夫人は沈黙していたのですから。リエイト様は夫人に対して、それはそれは口にすることも憚れるような暴言を吐いていました。たかだが客に微笑んだとかそんな理由で」
この売女め!誰にでも媚びを売るなと言っているだろう!
それはまるで我が儘な子供のような声であった。
理不尽な怒鳴り声を上げるネイサンに、取り繕った謝罪をしなかったのはイルサのプライドだったのか。
夫の暴言をただ受け入れる妻に、すっかり手洗い場に行く気は失せてしまったメイは執務室へと戻ったのだ。
「暴力を振るっていましたか?」
「さぁ、私が聞いたのはあくまで音だけです。見てはいませんから」
「事情聴取のときに、どうして黙っていた?」
「些細なことですからね刑事さん、忘れていたんですよ。それに依頼人の利益を守るのが、弁護士の役目ですから」
「聞いてただけって……なんで助けなかったんですか?」
商会法務専門の弁護士には必要の無い情報は、すぐに頭から消えていく。
咎めるようなニールの声音に、悪びれた様子のないメイの態度。
それを見てアリアドネが不満の声を上げれば、嘲笑うかのようにメイはハッと息を吐き捨てる。
「私は警察でもなければ、刑事事件担当の弁護士でもありません。しかも助けを求められたわけでもない何故、助けなければならないのです?無駄な正義感なんて持ち合わせていないんですよ。その後、二人は仲良く私が待つ執務室に来ましたし」
「そんなの、演技に決まってるじゃん」
メイの横柄な態度に、ムッとしたアリアドネとラックの眉間に皺が寄る。
イルサは恐怖で支配されていただに決まっているのに、なんとも薄情な弁護士だ。




