二話
「くれぐれも失礼の無いようにな」
村長の口がつむぐ言葉を、ヒュノは何度聴いたことか。いい加減聞き飽きた程度には釘を刺されている。本日だけで何度も繰り返された言葉を聞き流す権利くらい、ヒュノにもあることだろう。
「はいはい。分かってるから、静かにしてくれよ村長」
ヒュノからしてみてもそのくらいは弁えているし、少なからず緊張しているのだからあまり刺激して欲しくない。それを知ってか知らずか、村長は現在、声を荒げて説教してくる。ちゃんと理解しているのかと、似たようなことを延々繰り替えしているが、ヒュノの耳は右から左に抜け出していく。
鬱陶しいと言ってしまえれば気も楽になるのかもしれないが、この状況では火に油を注ぐだけだろう。無駄な鬱屈が募っていく一方、ヒュノは目の前に佇む薄手の扉を見据えた。
ロッド村の集会所の対話室だ。こうした改まった場所に入るのもヒュノには初めての体験だった。それもまた余計な緊張を助長しているかもしれない。この一枚の扉を隔てた先にガーネット騎士団の団長が待っているらしい。女性だの、美人だの、ここに来るまでの途中、無関係な村人たちの言葉が他人事のように飛び交っていた。思い出してしまえば腹が立ってきそうで、一度大きく吸った息を徐々に吐き出して気を取り直す。
流石に村長もヒュノの緊張を読み取り、声の調子を落としていった。
「あークッソ、何なんだよいったい」
村長ほどではないにせよヒュノも本日何度か呟いた言葉は、村長の説教の余韻で掻き消える。扉の先はおろか、隣に居る村長にすら聞き取れなかったヒュノの紛れも無い本音は、いやでもまとわり着いてきた疑心暗鬼を露呈している。
残念なことに、カーテンから漏れ出す光も無視して眠れる彼だが、この場においては繊細さを見せ付けた。一日の気苦労がこれで解消されると、ヒュノは開き直ることはできなかった。
「失礼します」
ノックの後、言いながら扉の持ち手においた手に力を加える。今更のように礼儀作法を気にしながら、ヒュノは対話室に足を踏み入れた。後ろから付いて来ようとした村長を、中の人物は呼び止めた。
「あぁ。彼だけで構わない」
ミネルバ・ジルハーツは掌で中空を仰ぎ、ヒュノを示している。
肩に付く髪をなびかせて、その凛々しい顔立ちは微笑を覗かせた。騎士と言うには随分とラフな格好をしている。下着にも近い袖のないシャツが、ある意味女性らしさを強調していた。疲労を帯びた肢体はくつろいでいる為に無防備になっていて、目のやり場に非常に困る。
美人には変わりないが男前な顔立ち。ヒュノの第一印象を口にするのは、いわゆる失礼に当たるだろう。
そういうことならと、村長は面食らいながらも引き下がった。
「掛けてくれ」
とば口を閉めて入室したヒュノに、ミネルバは木製の机を挟んだ対面のいすに腰を掛けるよう促した。緊張からか、あるいは警戒心か、いすに座るヒュノの挙動は何処となくたどたどしい。
ミネルバと対照的に、部屋の隅には全身鉄の装備を身に纏ったいかにもと言った騎士が寡黙に佇んでいる。騎士団で決められてるのであろう体制を一切変えず、ただ呼吸の音だけが彼と言う存在を証明していた。
「まずは自己紹介といこう。私はミネルバ・ジルハーツ、一応騎士団の団長をしている」
この場に居るということは彼女が団長と言うのも理解しているが、女性が団長と言うのも珍しい話だ。それこそ部屋の隅に佇む屈強なこの男性こそ団長にふさわしい気がする。凶暴な魔獣たちと戦う先陣を斬って行くのが非力な女性なのはいささか信じがたい。
とはいえ、それは疑ったところで仕方がない事実だ。
余計な詮索も程ほどに、ヒュノも名乗った。
「ヒュノ・オクサリス……です」
名前だけで一度途切れて、思い出したように敬語が付け加えられた。慣れない言葉遣いに苦労しつつ不器用に扱う。ミネルバは気付いていないと言うか気にしていないようで、口元に指を当ててヒュノの姿を改めて見据えている。なんとなく気恥ずかしさを感じながら、ヒュノはミネルバの視線を追うように自分の体を眺めた。
ふむと、小さく納得したようなミネルバの仕草につられてヒュノも顔を上げた。
「しかし驚いた。まさか七神器の一つである炎剣レーヴァテインを、君のような少年が手にしているとはな。あの迷宮は、我々ガーネット騎士団では到底踏破出来るものでなかった」
ミネルバはそのままの感想を言っているのだろう。素直に賞賛を含めて、伝説の名器を称えている。
自分を探している理由はそういうことかと、ヒュノは独りでに納得した。目的は剣なのだと。
立派に年齢を重ねた自覚のあるヒュノは少年と呼ばれたことに若干含むところがありながらも、謙遜の言葉を見繕った。
「レーヴァテインを持ち帰ったのは俺の親父ですよ。自慢にもならないのでしょうけど、剣の実力だけはあった人だったんで運良く迷宮を攻略したみたいです」
「なるほど……では、君の父親とはどちらに?」
ロッド村に訪れた際高らかに宣言したとおり、ミネルバは戦力となる者を求めている。正直ヒュノのような若者が現れるとは想像もしていなかったが、その言葉に改めて納得する。そうなると必然的にヒュノの父親の力を借りないわけにはいかない。
とはいえミネルバとて団長を務める以上実力にはそれなりの自負があった。その自分でさえ到底及ばないと恐れる迷宮を、まさか一介の村人が攻略できるとは思えなかった。
「……親父なら、三年前に死んじまってますよ。病気でね」
「なに? ……そう、か。申し訳ないことを聞いてしまったな」
言い出しづらそうに告げられる事実に、ミネルバの期待は脆く崩れる。構いませんよと、ヒュノの否定も暗くなった雰囲気に呑まれた。実際気にこそしていなかったが、沈んでいく空気が妙に気持ち悪くなり、咳払いで誤魔化すようにヒュノは質問を提示した。
「結局のところ、レーヴァテインをどうにかするんですか」
まさにこの場の目的を逆に提示され、ミネルバの面持ちは威厳を取り戻した。




