九話
ミネルバが地面を蹴り上げる。
砂埃が上がり、一瞬ヒュノの視界を遮った。その僅かな一瞬で、ミネルバが魔獣の目前へと差し迫っていた。
閃光と形容するには、実際のところあまりに遠く及ばないだろう。視覚できる程度の速さで、だがしかし、それ故に速い一閃。もし仮に人に閃光と呼称することがある場合、それは彼女の為に用意された言葉だと確信する。まさに、聖槍を掲げるにふさわしい。
ミネルバの一撃は魔獣を襲う。
ヒュノの一撃では至らなかった、傷を負わせることが出来た。耳を劈くような断末魔だ。確かに痛みとして、魔獣を苦しめている。この場合、苦しめているとは、魔獣が逆上するきっかけでもあった。
だが、騎士団たちも団長の特攻に続き、勇敢に立ち向かう。
暴れまわる魔獣を、ミネルバを筆頭に翻弄していく。
ヒュノには彼らの勇気が、羨ましくもあった。
「何をしているヒュノ君! 君も加勢しろ!」
痛みが引くだけの時間はあった。
構わず呆けているところを、ミネルバが一喝する。
どうすれば良いのか、ヒュノは分からなかった。レーヴァテインを振れば良いのか。振ったところで、ミネルバの武器捌きに及ばないのは目に見えている。生憎と、一度振りほどかれた相手へ立ち向かうだけの勇気を持ち合わせていない。
怖いと言うなら、ヒュノは最初から怖いのは自覚していた。騎士団がロッド村に訪れたあの日から。今でも変わらず、この魔獣を恐れているのだろう。足が竦んで、加勢が出来ない。やはりというか、最初から足手まといだったのだ。
悪いのはレーヴァテインを渡すと言ったヒュノの言葉を蔑ろにしたミネルバが悪い。ヒュノはそう思い込むように、魔獣と騎士たちの攻防を見据えながら立ちすくむ。立ちすくみながらレーヴァテインを掲げるが、脚を蹴りだすだけの勇気がない。
ヒュノは、ただ立ちすくんでいた。
「どうしたヒュノ君! 私が見た君の力は、そこで動けなくなるような物じゃなかったぞ!」
矛を交えながら、ミネルバが声を掛けた。
所詮買いかぶりだと、ヒュノは思う。買いかぶりでないとすればミネルバの目も大したものではないと言うことだ。
だが、そんな買いかぶりでも信じてみたいと言うのは傲慢なのだろうか。
否、自分よりも遥かな七神器の使い手の言葉を、ヒュノは誤魔化せなかった。
「ウゥゥゥオォォォォオオオオッ!」
相変わらず、情けない雄叫びである。
あまりにも安直な、感情のままの。
しかし、確かな勇みを含んでいた。
寸分違わぬ、ヒュノの勇気だ。
ミネルバが綻ぶ。
一直線に駆け出したヒュノの直線状には、ミネルバが居た。相変わらず器用に身を翻し、更にその先には魔獣が居た。
あまりにも無骨な特攻だった。だがしかし、力強さを携えていた。
ミネルバの綻びの向こう。
レーヴァテインを振りかざす。
「オラァッ!」
レーヴァテインが、魔獣を切り裂く。
確かな手ごたえと共に感じる、ヒュノの中の自信。
血飛沫を浴びながら、異様な獣臭さも気にせずにヒュノは思った。
ガーネット騎士団の一員として、貢献できたと。おいしいところを頂く結果となったが、よくやったと、その一言がヒュノを安心させた。ミネルバからも、ガトリーからも、他の騎士からも。皆同様に顔を綻ばせ、その一言がヒュノを認める。ヒュノも、認めている。
魔獣が倒れ伏した空間で、賞賛の歓声を心地良く受け入れる。
ミネルバが息を吐き見据えたのは、迷宮の王だ。
迷宮の最深部に座す剣。
フランベルジュ。
炎の揺らめきの如く波打つ刀身。
君が取れと、ミネルバが促した。初めてといって良いほどに、ヒュノが素直にミネルバの言葉を聞いた。騎士たちからも文句の一つもない。紛れもなくヒュノを認めた証拠だろう。
剣へ歩み寄るたびに、不思議と緊張が煽られていく。逸る動悸を感じた。
騎士たちが息を呑んだこともまた、ヒュノの緊張を助長していただろう。
立ち止まり、剣を手に掛ける。
なるほど、父親の話の通り、ヒュノはフランベルジュに異様な重みを感じた。深く突き刺さった剣を引き抜けない、という程ヒュノも非力なわけではない。錯覚というよりも、達成感が生み出した重みだ。心地良い重みだった。
騎士たちの期待のままに引き抜く。
語り継がれる伝説の通りであるとすれば、このまま迷宮は活動を終える。迷宮フランベルジュもまた、例に漏れずに静かに音を消した。あるいは、静かに震えたような気もする。そうして迷宮はただの空洞と化すのだ。ただの壁となるのだ。主を失った迷宮から、再び魔獣が生み出されることはない。
迷宮の中の生態系は死に絶え、やがて骨となる。
誰にも気付かれることなく、活動を止めた迷宮の中の生命体は、迷宮と同様に生きる目的を失ったように朽ちていく。
そういう運命なのだと、ミネルバは言った。
生命の儚さとは、魔獣も同様であるらしい。
傷つき、傷つけあった結果、互いに死んでいく。
迷宮が生み出した死の連鎖。
この刃の迷宮が覆う世界で、人々への平穏の日々は二度と訪れることはないのだろうか。
不毛な戦いの末、結局得るものは魔獣、あるいは人間の死のみ。
騎士たちの歓声の中、ヒュノは一人虚しさを感じた。




