二人の夢 後編
「シュークリーム……美味いか?」
「……うん。甘くて美味しい」
部屋の中、俺と桜野は静かにシュークリームを食べる。
シュークリームを食べている間、俺は漫画のことについて一言も聞かなかった。
勿論言いたいことは沢山あった。気にするなよとか頑張れば良いさとかそんな言葉は沢山浮かぶ。
でも今はどんな言葉を掛けるよりも只、静かに彼女の側にいるそれだけで良い気がした。
「あのさ……ありがとう」
「別に感謝されることはしてないだろ。俺がシュークリーム食べたかっただけだしな」
「……そうじゃなくて励ましに来てくれたんでしょ」
「それも礼を言われるようなことじゃない。俺がただお前の側にいたかったんだよ」
その言葉にまたお互いに沈黙する。勿論気まずさはあった。
でもこの気まずさは彼女の気持ちに寄り添うのに必要なものだと思った。
やがて諦めたように溜め息を吐いて桜野は悲しげな声で呟いた。
「私……漫画描くの辞める」
「……え?」
「なんか夢から覚めちゃったんだよね」
彼女はそう言って笑った。まるで漫画のことなど最初から興味がなかったかのように。
でもそれは嘘だった。確かに顔は笑顔だったでも声は泣いていた。身体は震えていた。
本当はそれに対して何も言わないのが正しいのだと思う。
漫画を描くのを辞めたのが彼女の意思である以上それを受け止めてやるのが優しさなんだと思う。
でも俺はそんなの認めたくなかった。
だって俺は桜野の漫画が好きだったから……いや違う俺が好きだったのは桜野の漫画だけじゃない。
漫画を描く桜野が好きだったんだ。彼女の夢を話す姿が漫画に真剣に取り組む姿が好きだった。
だから漫画を諦めて欲しくはなかった。
「本当に諦めるのか?」
「才能がないって分かっちゃったからね。自惚れだったんだ。私は自分の漫画が一番面白いってどんな漫画よりも面白いって今だって思ってる。でも実際はそうじゃなかった。自分が面白い漫画でも世界からすればその漫画は読む価値のないものだったんだよ」
「でも俺は漫画を描く桜野が好きだ。そりゃお前の気持ちは分からない。夢が叶わなかった苦しみは夢を持たない俺には分からないかも知れない。それでも俺は桜野が描いた漫画を読みたいよ」
「先輩……でもね。夢は覚めるのもなんだよ。だからもういいんだ」
「確かに夢は覚めるものだ。でもな夢は何度だって見ていいんだよ! また夢を見ればいいじゃないか!」
「でも夢を見るのは苦しいことなんだよ! また賞に応募してさ……それでまた落ちて……そんなのを繰り返すなんてもう無理だよ。それならいっそのこと夢を諦めた方が楽になれる」
「だったらなんで……なんでそんなに苦しそうなんだよ! なんでそんなに悲しそうなんだよ。本当は夢を諦めたくないから漫画家になりたいからお前は苦しいんじゃないのか!」
「それは……」
夢が叶うかどうかなんて分からない。桜野が漫画を続けたところで漫画家になれる保証はない。
でも漫画を描くのを辞めたら桜野が悲しむのだけは分かっていた。
だからこそ俺は彼女が悲しむのが嫌で漫画を辞めるのが嫌で漫画を続けるべきだと言っている。
「いいじゃないか落ちたって。何度でも落ちるならその度に何度だって漫画を描けば良い。それで辛くなったらさ……またこうやって一緒にシュークリームでも食べればいい」
「シュークリームか……私はそれよりもーー」
突然桜野はこっちに近づくとそのまま俺の胸に顔を埋める。
突然のことで驚くが拒絶したりはしない。ただ桜野の頭にそっと手を置いた。
「こうやって抱き締めて欲しい。側にいて欲しい……それなら漫画描けると思うから」
「分かった。お前が辛い時、必ず側にいる。だから安心しろ……安心して泣いていいんだ」
「……ありがとう」
その言葉と共に彼女は涙を溢す。確かに今回桜野は漫画賞を受賞出来なかったかもしれない。
でもこんなに真剣に漫画を描いて漫画が落ちたら涙を溢してそれだけ自分の漫画を好きだと信じれる奴なんだ。
だからきっとーー桜野は良い漫画家になれると思った。
ーーー
「ごめんね! 恥ずかしい所見せちゃったね」
「別に恥ずかしいところなんて無かっただろ。夢が叶わなくて泣いた……それだけ夢に真剣だったってことじゃないか。それは全然恥ずかしいことじゃない」
あれから一時間以上桜野はずっと涙を溢していた。
その間、俺はずっと彼女を抱き締め続けていた。
そのおかげなのかしばらくすると泣き止んで落ち着いて桜野はいつもの調子に戻った。
「……やっぱ先輩は優しいね。始まりは嘘告だったけどさ、先輩と友達に慣れて本当に良かったと思うよ」
「最初に会ったときは驚いたけどな。告白は嘘だし後輩だって言うのも嘘だからな」
「精神的後輩だから良いの!」
そう言って頬を膨らませる桜野。それに対して俺はくすっと笑った。
「あのさ……なんで私が先輩に嘘告したのか分かってる?」
「分かってるよ。漫画の為だろ?」
彼女が嘘告した理由。それは桜野が恋愛漫画を描くにあたって恋人が必要だったから。
桜野は漫画に真剣であるが故に恋の描写もしっかりと描きたいと思っていたのだ。
だからこそ恋人を作ろうと思い俺に嘘告をしたのだ。
「勿論それもあるよ。漫画のために私は恋を知る必要があった。この先輩呼びだって漫画の主人公が後輩キャラだから先輩呼びしてるだけ……でもね」
桜野は優しい目でこちらを見る。
「それだけじゃないんだよ。漫画研究会で先輩を見た時にさ、真剣に漫画を読んでいる先輩を見て漫画のことが大好きな人なんだって思ってさ。気がついたら目で追っていて先輩なら恋人になってもいいかなって思ってそれで嘘告したんだよ」
「そうだったんだな。それなら尚更漫画が好きで良かったよ。おかげでお前とも知り合えた」
「うん……本当。お互いに漫画が好きで良かった」
そう言って彼女は笑うと覚悟を決めたように口を開いた。
「私……漫画を描くよ!」
「そうか。それでどんな漫画を描くつもりなんだ?」
「今度も恋愛漫画を描くつもり。漫画を描き始めた時は恋について分からなかったけどさ……今は恋がどんなものなのか分かった気がするから」
桜野はそう言うと照れ恥ずかしそうに笑った。




