26話 やりたいことを思い出す
「お休み、カトリーヌ嬢」
「……お休みなさいませ、フェリクス様」
時は夜。カトリーヌの部屋の入り口で、見つめ合う新婚の夫婦。
婚姻の儀の日から一週間が経っていたが、二人が夜を共にすることは無かった。
その間、カトリーヌは和やかな食卓をフェリクスと囲い、ヒュドラーのスープに舌鼓を打ち、部屋のなかを掃除し、静かに過ごしていた。
二人の仲が悪いわけではない。少なくともカトリーヌはそう感じている。王子は毎夜、挨拶を交わすために部屋を訪ねてきてくれる。
彼女を見つめる瞳は名残惜しげで、部屋の前から去る際には瞼を伏せている。
離れがたい、と思ってくれているのだと信じている。
とはいえ、自信が無い日もある。ただのうぬぼれだと落ち込む日がある。
今日のカトリーヌは、自信が無く落ち込みがちだった。
王子を見送った後、溜息まじりに羽根ペンに話し掛ける。
「私、ずっとフェリクス様から避けられていると思いませんか? やっぱり初日の夜にくしゃみをするわ、言葉遣いも素になっちゃうわ、いっぱい失敗したからですよね。きっと幻滅したんだわ……」
インクのついたペン先を洗うための水に鉤爪を浸していた羽根ペンは、やれやれというように羽根をゆらして水の入った小皿から鉤爪を出した。
ペンは、机の上の文箱を漁ると、そのうちの一枚を引き出してペン先兼鉤爪でつまみ上げると、カトリーヌに見せた。
曰く、『考えすぎだアホ』。
数日前にペンが紙にかきつけた言葉だ。
同じところをぐるぐる回って悩むカトリーヌに、ペンは、既に書いた文言を再利用して答えることにしていた。
「ペンさんったらそればっかりじゃないですか?」
『政略結婚なんだから、婚姻が成就したらそれでいいんじゃないのか? 自分で言ってたじゃねーか』
「それはそうなんですけど、このままでは夫婦として不安です。フェリクス様は気遣ってくださるけれど、それだけなんですよ。ヒト族の花嫁なんて、本当は望んでいなかったのかもしれないって思うと、申し訳なくて……」
カトリーヌは、片側に垂らした三つ編みを両手で撫でながらそう呟く。
心細げに髪をいじるカトリーヌを前に、羽根ペンは一旦静止した。なにか考え事をしているようにも見える。
ペンは箱の中から二枚の紙を取り出した。差し出された一枚目の紙にはこう書かれていた。
『子作りがしたいってことか?』
カトリーヌは一気に赤面した。くしゃくしゃにされた形跡のある紙は、前にも一度出されたことのあるものだ。その時はカトリーヌが勢い余って丸めてしまったのだ。
「な、なにを言ってるんですか!」
『お上品ぶった気持ち悪い言葉をやめて、お前の本当の心を伝えろよ。あの王子は鈍いから遠まわしは通じないぞ』
二枚目の紙は、何度も出されている紙だ。一日一回は目にしている。
「それが出来たら苦労ないですよ。まったく、それしか言えないんですね」
恥ずかしさから語気を強めるカトリーヌに、ペンは怒ったように飛び上がった。
そして、せっかくインクを洗い流した後だというのに、勢いよくインク壺に鉤爪を突っ込むと、先程出した紙の裏に猛烈に何事かを書き始めた。
まず目に入ったのは、大きな字で書き殴られた
『辛気臭えー! いつまでもいじけてる奴ってのが一番苦手なんだ!』
というペンの心の叫びだ。
その下にはこうもあった。
『引きこもってるから陰気になるんだ。明日は部屋の外に出ろ。さもないと顔にひげを描いてやるからな』
「そんな横暴な! 大体、部屋から出られないのは私のせいじゃないんですけど! 蜘蛛のモンスターの糸が城中に張り巡らされてるから、誰かについていてもらわないと城内を歩いちゃだめだって言われてるんですよ! 私が部屋から出るたびに、誰かに付いていてもらわないといけないんですよ!」
そう、カトリーヌが引きこもっているのは、城の警備を担当する蜘蛛女の糸が、そこら中に張り巡らされているからでもある。
『そこの交渉も気持ちを話す練習だ。黙ってたら周りが勝手に良くなっていくわけじゃねーぞ』
「うう、正論っぽいことを言われている……」
『お前の好きなことは何だ? 何をして過ごしたいのか考えろ。そんで伝えろ、分かったな。じゃ、俺っちは休むわ』
好き勝手に意見を書き散らすと、羽根ペンは定位置のペン立てに戻ってしまった。
「ちょっと!」
声をかけても、ペンはただの羽根ペンに戻ったかのように、動いてくれない。諦めたカトリーヌは、しおしおと寝台に向かった。
(確かに、お城の役に立つことをしたいって決めていたのに、この一週間なにも出来ていなかったのは確かだわ。このままじゃダメっていうのは分かっていたのよね)
明日、何をどう伝えようか。やりたいことは決まってはいるが。





