18話 無表情な王子の悩み
手の甲に口づけを落とされたカトリーヌ。
悲鳴を上げそうになったけれど、ギリギリのところで飲み込むことが出来た。
ただ、手は引っ込めてしまった。
王子が、無表情のまま少しだけ顔を傾けた。カトリーヌの反応が不思議だったようだ。
(けいいをひょうするって、手の甲への口づけの挨拶のことだったのね。本当にこんな挨拶をするのね)
王城でもパーティはあったが、使用人であるカトリーヌは、お客様の前に姿を見せることは出来なかった。
人づての人づて程度に聞いたことがあるくらいだ。
初めてのことに、カトリーヌは固まって顔を熱くする。
背中には汗まで吹き出てきていた。
(ど、どうしたら良いの? 王女だったら、こういうときにどうするの? もう何にも考えられない!)
恥ずかしさのあまり、引っ込めた手をスカートの上で組んで、もじもじとすることしか出来ない。
視線を落とすと、あかぎれだらけの指が目に入る。
豪華なドレスを着せてもらっても、中身はただの、無才無能と蔑まれてきた自分なのだ。
このまま逃げてしまいたい、とカトリーヌはしょげそうになった。
そのとき、左手の甲の『弱虫』の字が目に入った。
羽根ペンに書かれた文字だ。
『弱虫』。
確かに、今の自分は弱虫だった。
(自信のなさに甘えていたらダメ。このままじゃ羽根ペンさんに呆れられちゃう!)
それにこの婚姻には、たくさんの民の期待がかかっている。
王子にほほえみかけて、堂々と挨拶を返さなくては。
「フェリクス様! 私も! お目にかかれて光栄デす!」
なんとか言葉をしぼり出した。
組んだ指が震えているし、声は裏返ってしまったけれど。
(い、言えた! 『弱虫』なんかじゃなかったわよって、あとで羽根ペンさんに言ってやるんだから!)
心のなかで羽根ペンに『参りました』と言わせる想像をする。
途端に自信がわいてきて、むふむふと笑顔が浮かんでくる。
と、唐突に視界いっぱいにフェリクス王子の美しすぎる顔が現れた。
「ななななな、なんですか⁉」
「ふむ、失礼。貴女の笑顔がとても美しかったから。……です。可憐な薄桃色のドレスは、花のように艶かしい貴女によく似合っている、です。かぐわしい花の香りとハチミツ色の髪に、僕は引き寄せられてしまった、です」
王子の薄い唇から甘い言葉がささやかれる。
表情の乏しさと情熱的な言葉のギャップに、カトリーヌの頭はまた混乱した。
手の甲へのキスの経験がないのだから、甘い言葉をささやかれた経験だってあるわけがない。
魂が抜けたようになって、何の反応も返せない。
そんなカトリーヌの手に、王子の手が重ねられる。
「ひぇ!」
「怒っていますか? 僕が遅れたからですか? ……それとも、僕の事が恐ろしいですか?」
「いえ、違うんです。違うんです、私、その」
(どうしよう、私もなにか甘いことを言うべきなの? それとも笑って受け流すの? 手が気になっちゃってなにも考えられない!)
「フェリクスよ、怖いに決まっておろう。カトリーヌ殿、息子は無表情で仮面を付けたようであるし、父である儂にも表情が読めないのだ。しかし優しさは保証しよう」
手を引っ込めることも出来ずにいるカトリーヌに気を使ってか、ミノス王が口を挟んできた。
「……そうだったか。カトリーヌ嬢、失礼した。僕はいつもこうなんだ。言葉は装えても、この無表情は変えられない……」
ミノス王の言葉を受けて、フェリクス王子の瞳が曇る。
さきほど「お前の顔は怖いんだから」と言われたときと同じように、悲しげに。
そして、重ねられていた手がそっと離れていく。
「あ!」
カトリーヌは思わず声をあげた。
フェリクス王子が悲しそうに見えたのは、勘違いじゃないと気付いたからだ。
(フェリクス王子はきっと、無表情だとか怖いとか、そう言われるのを気にしてるんじゃないかしら。そんなことを言われ続けていたら、自信を無くしてしまうもの)
無才無能と呼ばれ続けて来た自分と重ねて、胸がちくりと痛む。
もし王子が孤独なら、それを少しでも分け合いたい。
彼の瞳が、悲しみに曇るのを見ていられない。
「フェリクス様! 私、フェリクス様のお顔を怖いなどと思いません! フェリクス様のお顔に表情が無いなんてこと、ありません」
王子の手を両手で握って引き寄せる。緊張はいつの間にか消えていた。





