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キモデブと、琥珀色の守護天使  作者: あるふぁ


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6話 冷たい感触

冷たい感触


 逃げろ、という脳の命令よりも早く、カズヤの体は弾かれたように動いていた。


 全身の節々が悲鳴を上げ、砕けた肋骨が肺を突くような激痛に襲われながらも、彼は遮二無二、男の腕を両手で掴み取った。


(行かせるか……っ! ここで離したら、あの子が……!)


 恐怖など、とっくに彼方の闇へと消え去っていた。カズヤは泥に塗れた重い体を、肉の塊そのものをぶつけるようにして男に揉み合う。組み伏せようと必死に腕を振るう中で、指先に、ゾッとするほど滑らかで冷たい金属の感触が触れた。


 その、瞬間だった。


『サクッ……』


 これまでの殴打や蹴りといった、外側からの衝撃とは明らかに質の違う、異質の感覚が腹部の奥を抜けた。肉と脂肪を滑らかに裂いて、冷たい鉄の塊がヌルリと体内へ滑り込んでいく――そんな、あまりにもあっ気ない、静かな蹂躙じゅうりんだった。


「……え?」


 一瞬、思考が止まった。痛みすら感じなかった。ただ、腹部の奥底から、ドクドクと脈打つ鼓動に合わせて、熱く、粘り気のある何かがじわじわと広がっていく感覚だけが脳を支配する。


 視線を下に向ければ、自分の突き出た腹部に、根本まで深く埋まった黒い柄が見えた。男の震える拳の隙間から、ドロリとした液体が溢れ出し、カズヤのヨレヨレのTシャツを急速に、赤黒く染め変えていく。


(ああ……俺、今……刺されたのか……?)


 理解が追いつくと同時に、身体の芯から急速に熱が奪われ、代わりに言葉にできないほどの激痛が、遅れて津波のように押し寄せてきた。


 振り返った少女が、夜の静寂を無残に切り裂く、裂帛の悲鳴を上げた。その絶叫さえ、カズヤの鼓膜には、まるで遠い異世界の出来事のように、こもって聞こえる。


「おい、これ……やべえって! 血が……!」

「クソッ、逃げるぞ!!」


 さっきまでの傲慢な態度は霧散し、男たちの声には隠しきれない動揺と、剥き出しの恐怖が混じっていた。カズヤの腹部に深く突き刺さっていたナイフが、男の手によって無造作に引き抜かれる。


 その瞬間、カズヤの腹部から、堰を切ったように熱いモノが溢れ出した。ドクドクと脈打つ鼓動に合わせて、とめどなく溢れ、Tシャツを、ズボンを、そして足元の冷たいアスファルトを、赫く、急速に染め上げていく。地面に滴り落ちる、執拗なまでの生命の音。


 無様に背を向け、暗がりの向こうへと散り散りに逃げ去っていく男たちの足音を、薄れゆく意識の中でカズヤは確かに聞いた。


(ああ……あの子、逃げられたんだな……よかった……)


 腹部から溢れ出す熱気が、急速に体温を奪っていく。指先から、足先から、じわじわと感覚が消え失せ、あんなに疼いていた激痛さえ、今はひどく遠く、現実味を欠いていた。


 逃げていく男たちを見届け、カズヤは最後の一葉が枝から離れるように、ゆっくりと、静かに膝を折った。冷たいコンクリートが頬に触れる。


 視界の端が煤けたように暗くなり、世界が静寂に包まれていく。


(……じいちゃん、俺……少しは、役に立てたかな……)


 深い、深い眠りに誘われるように、カズヤの意識はスーッと、穏やかな闇の中へと溶け込んでいった。その表情は、この数ヶ月で初めて見る、驚くほど安らかなものだった。



忌まわしき旋律の目覚め


 深い闇の底から、重い澱をかき分けるようにして、ゆっくりと意識が浮上していく。


 瞼が鉛を流し込んだように重く、ようやくこじ開けるようにして開いた瞳に映ったのは、無機質な白一色に塗り固められた天井だった。ぼんやりとした視界の中で、鼻を突く消毒液のツンとした特有の匂いが、ここが現実の世界であることを執拗に主張している。


『ピー、ピー、ピー……』


 静寂を等間隔に刻む、乾いた無機質な電子音。それは、かつて祖父が最期を迎えた瞬間に聞いた、あの忌まわしい音の記憶を鮮烈に呼び起こした。耳の奥にこびりついて離れない死の旋律が、今度は皮肉にも、自分をこの世に繋ぎ止めるための鼓動として鳴り響いている。


 状況を確認しようと首をわずかに動かそうとした瞬間、顔面に焼けるような熱い痛みが走った。


 頬から顎にかけて、何層にも厚手の包帯が巻かれている。指先で触れずとも、その下の皮膚が赤黒く腫れ上がり、脈打つたびにズキズキと神経を逆なでしているのがわかった。腹部を貫いたナイフの熱さに意識の全てを奪われていたが、あの時、自分は執拗に、壊れるほどに殴り続けられていたのだと、今更ながらに鈍い記憶が追いついてくる。


 肺に酸素を送り込むたびに、肋骨のあたりがきしむような音を立てる。生きている。その事実だけが、痛みの奔流となってカズヤの全身を支配していた。


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