5話 捨て身の盾
捨て身の盾
容赦なく叩き込まれた、硬い靴底による無慈悲な蹴り。内臓がひっくり返るような凄まじい激痛に、カズヤの視界は火花を散らし、一瞬で白く染まった。肺から無理やり空気が搾り出され、ヒューヒューと喉が鳴る。支えきれなくなった膝の力が抜け、カズヤは湿ったコンクリートの地面へと、重低音を響かせて崩れ落ちた。
「今のうちに、早く……逃げて……! 人通りが多い場所へ……! 近くのコンビニへ逃げ込めば……っ!」
地面に這いつくばり、込み上げる酸っぱい嘔吐感を必死に堪えながら、カズヤはひび割れた声を振り絞った。一刻も早く、彼女をこの地獄から遠ざけなければならない。その一念だけが、途切れそうな意識を繋ぎ止めていた。
額から滴る脂ぎった冷や汗が、目に入って鋭くしみる。視界の端で、少女の怯えきった視線が自分に向けられているのを感じながら、カズヤは背中に走る激痛に耐え、ただひたすらに彼女を背後に隠し続けた。
「おら、立てよデブ! まだ終わってねえぞ! もっと遊んでくれんだろ?」
再び背後から浴びせられる、重い鈍音。ドスッ、ボゴッ、と肉を打つ嫌な音が響くたびに、カズヤの体はビクンと跳ね、衝撃をその厚い脂肪と筋肉で受け止める。男たちの意識が、逃げようとする少女ではなく、自分という格好の「動くサンドバッグ」に向いている。それを確信した瞬間、カズヤはさらに体を丸め、岩のようにその場に根を張った。
どれほど殴られ、蹴り飛ばされようとも、自分さえここで耐え抜けば、彼女は助かる。泥にまみれた視界の中で、彼はただ、少女の足音が遠ざかることだけを祈り、嵐のような暴力をその身一つに引き受け続けた。
鈍色の閃光、消えゆく意識
カズヤの血を吐くような叫びに、少女は激しい葛藤と恐怖に揺れながらも、震える足で一歩を後ろへと踏み出した。だが、その微かな動きを、獲物を狙う獣のような鋭い目で見逃さない男がいた。
「んな、簡単に可愛い子を逃がすかよ!」
男の一人が低く吠え、逃げようとする少女の細い肩目掛けて、汚れた手を無遠慮に伸ばした。その瞬間、カズヤの意識から生存本能としての「恐怖」が完全に消失した。
コンクリートに這いつくばっていた巨体が、地響きを立てるような勢いで跳ね上がる。泥にまみれた右足で地面を力いっぱい蹴り、弾丸のような質量となって男の懐へと突っ込んだ。
「うおぉぉっ……行かせるかぁぁ!」
ドゴォッ、という肉と骨が激突する鈍い衝撃音。カズヤのなりふり構わぬ体当たりを食らった男は、肺から空気を叩き出されたカエルさながらの声を上げ、たたらを踏んで数メートル後ろへと無様に転がった。
だが、カズヤの抵抗は止まらない。すぐ隣で少女を追いかけようとしたもう一人の男の裾を、泥に塗れた指先で、千切れんばかりの力で掴み取る。
「行かせ……ない! 絶対……っ!」
グイッ、と全体重を乗せて引き戻すと、男の身体が大きくよろめいた。カズヤはそのまま、冷たい地面に再び膝を突きながらも、男の足首に太い腕を回して必死にしがみついた。
「この野郎、離せ! 靴が汚れるだろ、クソデブが!」
苛立った男の踵が、カズヤの指を、手首を、顔面を容赦なく踏みつける。ボキリと嫌な音が鳴り、視界が真っ赤に染まったが、カズヤの腕に込められた力は、むしろ岩のように強固さを増していった。
爪が割れ、皮膚が裂けても、その指先は決して獲物を離さない。ただ一秒でも長く、彼女が闇の向こうへ、安全な光の場所へ辿り着くための時間を稼ぐ。その執念だけが、崩れかけの肉体を支える唯一の芯となっていた。
「なんだよコイツ! 離せって言ってんだろ!」
苛立ちに染まった怒号が、深夜の路地裏に突き刺さる。カズヤがしがみつく腕を振り払おうともがく男たちの顔が、醜く歪んだ。
「邪魔すんなよ! お前……次、邪魔したら……刺すぞっ!」
その脅しと共に、カチリ、と硬い金属音が響いた。一人の男がポケットから引き抜いたのは、掌に収まる程度の小型の折りたたみナイフだった。薄暗い街灯の下、剥き出しになった刃が、冷たく、鋭い光を撥ね返す。
その一筋の光が、カズヤの瞳を射抜いた。夜の闇の中に現れた、逃げ場のない「死」の予感。男はナイフを低く構え直すと、再び獲物である少女を追って一歩を踏み出した。




