32話 幸福な拘束
幸福な拘束
退院後の慌ただしさが一区切りつくと、カズヤはどうしても自分の「元々の居場所」が気になり始めていた。
「ちょっと、自宅の方が気になるから見てくるよ」
「わたしも、ご一緒いたしますよ」
レナは待機していたかのように立ち上がると、すかさずカズヤの腰に腕を回した。そのまま、自分の肩をカズヤの脇に滑り込ませ、密着するようにして支えてくる。
「いや、だから……一人で歩けるってば」
「ダメですよ。もし転んで怪我が開いて、病院に逆戻りになったら……どうするのですか? 一人で転んで入院なんてことになったら、わたし、今度は付き添いも面会も一切しませんからね」
レナはそこまで言い切ると、プイッとそっぽを向いて唇を尖らせた。
カズヤは想像した。レナのいない、あの白く無機質な病室。一度この暖かなぬくもりと、彼女の笑顔がある生活を知ってしまった今、彼女のいない入院生活がどれほど孤独で辛いものになるか、容易に理解できてしまった。
そして、ふとした疑問が口からこぼれた。
「……もし俺が、今度別のことで入院することになったら……?」
「え、ご一緒いたしますよ。彼女ですから、当然じゃないですか」
レナは何の衒いもなく、まるで明日の天気を話すような自然さで答えた。
「……そっか。ありがとな」
「困ったときはお互い様だと、相沢くんが言ったのですからね」
彼女は満足そうに微笑み、さらに力を込めてカズヤを支える。
カズヤは、連結部分の廊下をゆっくりと歩きながら、ふと窓に映った自分たちの姿を見た。
(これ、傍から見たら……俺がレナに馴れ馴れしく肩に腕を回して、美少女を連れ回しているように見えるんじゃ……。というか、客観的に見たら完全に俺が寄生してるみたいだな……)
情けなさと幸福感が入り混じった複雑な心境のまま、カズヤは「自分の家」へと通路へと足を踏み入れた。
再生した居場所と、琥珀の光
家と家を繋ぐ、まだ木の香りが漂う新しい廊下を二人で渡り、カズヤの自宅へと足を踏み入れた。
そこには、かつての荒れ果てた光景は微塵もなかった。
リビングに山積みになっていたゴミ袋や、床を埋め尽くしていた古い雑誌、チラシの類はすべて処分されている。何層にも積もっていた埃は払われ、床も壁も徹底的に磨き上げられていた。
それは、カズヤがこの家に越してきたばかりの、一番清潔だった頃の状態へと完全に戻っていた。
「清掃費……いくらだった? 払わせてくれないか」
「え、必要ないですよ。わたしが勝手に申し出て、勝手に行ったことですから」
「いや、流石にそれは悪いって……」
申し訳なさそうにカズヤが声を落とすと、レナはそっとカズヤの顔を覗き込み、慈しむような笑みを浮かべた。
「命を助けてくれたお礼ですから。受け入れていただけると、わたし、とっても嬉しいのですが……」
「……そう言われると。ありがとな、本当に助かったよ」
「はい、どういたしまして。……ふふっ、ここが相沢くんのおうちなのですね♪」
レナは楽しそうに部屋を見渡し、パタパタと小走りで窓辺へ向かった。
数年間、ただ寝るためだけに過ごしてきた無機質な空間。けれど、そこにレナがいるだけで、冷えていた空気までもが明るく華やいで見えるから不思議だった。
(自分の家なのに、こんなにキラキラして見えるなんて……。美少女一人で、こうも変わるものなんだな)
カズヤは、清潔になった自分の部屋の真ん中で、彼女の琥珀色の髪が夕陽を弾いて輝くのを、ただ眩しそうに見つめていた。
未定の未来と、現在の体温
「和風の古い家と、洋風の豪華な家……どちらも楽しめるようになったんだな」
カズヤが冗談めかして言うと、レナの表情がぱあっと明るくなった。
「んふふ、わたしの家も『相沢くんの家』と言ってくれるんですね♪」
彼女は弾むような声で答え、再び吸い寄せられるようにカズヤの元へ。その細い腕を彼の腰に回し、当然のように寄り添ってきた。
「でも……綾瀬さんも忙しくて、俺に付きっ切りという訳にはいかないだろ? その……彼氏とか、友達とか……。そういう付き合いもあるだろうし」
カズヤの問いに、レナはきょとんとした顔をした後、少しだけ困ったように微笑んだ。
「え、彼氏ですか? いませんし、興味ありませんよ。お友達とは学校だけのお付き合いですし、放課後も習い事で遊ぶ暇なんてありませんでしたから。そもそも、彼氏なんていうものには……興味が持てなかったんですよぅ……」
レナは恥ずかしそうに俯き、上目遣いでカズヤを盗み見た。桃色の唇がわずかに震え、彼女の頬は淡い桜色に染まっていく。
「じゃあ、その……高校を卒業した後は? 彼氏とか作ったりしないのか?」
「それは、その……未定ですよ。分かりません……。その時に考えますから、ご心配ないですよ。今のところは、現状で……とっても幸せになっていますから」
レナが腰に回した腕に、ぎゅっと力が入る。
それは、どこにも行かないでほしいという、密かな、けれど確かな主張のようだった。カズヤの胸に押し当てられた彼女の温もりは、言葉以上に「今、この瞬間」の真実を告げていた。
「……そっか。俺も……今は、すごく幸せだよ」
カズヤが不器用にそう返すと、レナは嬉しそうにカズヤの肩に頭を預け、二人で静まり返った和室の夕暮れを眺めた。




