22話 琥珀の食卓、温かな記憶
琥珀の食卓、温かな記憶
ピロン♪
静かな特別室に、レナのスマートフォンの通知音が小気味よく響いた。待っていましたと言わんばかりにレナが立ち上がり、部屋の重厚な扉を開ける。そこには誰かの影があったが、彼女は手早くいくつかの買い物袋を受け取ると、軽やかな足取りで戻ってきた。
「それでは、料理を始めますね」
レナは袋の中から、淡いクリーム色のエプロンを取り出した。それを身に纏う姿は、お嬢様というよりは、どこか家庭的な温かさを感じさせる。
キッチンに立ったレナの動作には、迷いがなかった。ジャガイモの皮を剥く手つきは驚くほど滑らかで、規則正しい包丁の音がトントントンと心地よく室内に反響する。食材が鍋で踊る音、出汁のふんわりと甘い香りが広がるにつれ、そこが病院の一室であることをカズヤは完全に忘れてしまっていた。
やがて、正午を告げる時計の針とともに、全ての料理がテーブルへと運ばれた。
「お待たせしました。相沢くん、食べられそうですか?」
カズヤは目の前の光景に、言葉を失った。
彩り豊かな季節のサラダ、艶やかに炊き上がった白米、湯気を立てる優しい香りのスープ。そして中央には、照りよく煮込まれた大粒の肉じゃがが、二人分、仲睦まじく並んでいる。
「……すごいな。これ、本当に綾瀬さんが作ったのか?」
「ふふ、もちろんです。さあ、冷めないうちにいただきましょう」
二人で手を合わせ、静かに「いただきます」と声を揃えた。
カズヤがおずおずと箸を伸ばし、ホクホクのジャガイモを口に運んだ。口の中で崩れる食感とともに、出汁の旨味とレナの優しさがじわりと広がっていく。
「……うまい。こんなに美味しいもの、食べたことないよ」
「本当ですか? 良かった……。相沢くんがジャガイモ好きだって言うから、少し奮発しちゃいました」
レナは自分の皿にはほとんど手をつけず、美味しそうに頬張るカズヤの姿を、琥珀色の瞳を細めて嬉しそうに見つめている。
コンビニの弁当を独りで食べていた、あの味気ない日々。けれど今、目の前には微笑む少女がいて、温かい家庭の味が体中に染み渡っていく。
カズヤは噛み締めるたびに、自分が生きていること、そして誰かに大切にされていることを、心の底から実感していた。
夢の終わり、絆の始まり
特別室での時間は、カズヤの人生においてもっとも密度が濃く、そして残酷なほどに穏やかだった。
レナが作る料理の香り、窓辺で交わす何気ない会話。それらすべてが、明日には消えてしまう幻影のように思えてならなかった。退院を翌日に控えた夕暮れ時、オレンジ色の光が差し込む部屋で、カズヤはぽつりと胸の内を零した。
「……これで、夢のような生活が終わって。綾瀬さんと関わるのは、今日で最後か……」
俯き、寂しさを噛み締めるようなその言葉を聞いた瞬間、荷物をまとめていたレナの手が止まった。
「え、いえ……前にも言いましたけれど、相沢くんをお一人にさせるわけにはいきませんので。ご一緒いたしますよ」
「……あれは、俺を元気づけるために言ってくれただけじゃ……?」
カズヤの問いに、レナはゆっくりと首を振った。
「そのようなことを、元気づけるためになど言いませんよ」
嘘偽りのない、澄んだ琥珀色の瞳。彼女は優しく微笑むと、再び部屋の片付けを始めた。
ふと、レナがサイドテーブルの引き出しに手をかけた時だった。彼女の動きが止まり、その肩が小さく震えた。
「……わぁ……。本当に……あの時の置手紙を、大切にしてくださっていたのですね」
引き出しの奥、スマートフォンの横に、折り目ひとつなく大切に仕舞われたあのメモを見つけてしまったらしい。
「恥ずかしい話だけど、女子から手紙をもらったことなんて一度もなくてさ。……嬉しくて、記念にと思って」
カズヤが正直に白状すると、レナは呆然とした様子でその紙片を見つめていたが、やがてその白い頬がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「そ、そうなのですか……。そのような手紙……を……。……ばかぁ……ひゃぁ……」
レナは消え入りそうな声で呟き、顔を覆うようにして身を丸くした。
「そ、そんなに大切にしてくださるなら、やっぱり書き直させてください……! あんな、なぐり書きのようなもの……恥ずかしくて死んでしまいます……うぅぅ……」
指の隙間からこちらを覗き込む彼女の視線は、熱っぽく、それでいて深い慈愛に満ちている。
夢は終わらない。
カズヤは、退院の先に待つ新しい生活への不安を、彼女の灯してくれた確かなぬくもりが打ち消していくのを感じていた。




