23話 二人きりの前夜
二人きりの前夜
「あの、今日は……明日早くから退院の準備があるので、わたしも泊まりますね」
荷物を整理していたレナが、あまりにも自然に、重力のないような口調で重大な爆弾を投下した。
「ん!? 泊まる? ここに? 同じ部屋に?」
カズヤは思わずベッドの上で身を乗り出した。心臓が早鐘を打ち、喉が急激に乾き始める。しかし、レナは小首を傾げて、不思議そうに瞬きを繰り返すだけだった。
「はい。そうですけれど……退院手続きもありますし、朝一番で退院後の生活に関する説明もあるそうですから」
「いや……同じ年の男女の高校生が……同じ部屋で一晩過ごすなんて、普通はダメだろ」
「また、そのお話ですか……。ここは病院ですし、看護師さんの巡回も頻繁にありますから、何も心配いりませんよ。それに、あちらに立派なソファベッドもありますから」
レナはリビングスペースに置かれた上質な革張りのソファを指差した。その無防備な態度に、カズヤは頭を抱えた。
「……俺に襲われるとか、そういう危機感が無さ過ぎだと思うぞ。一応、俺だって男なんだから……」
カズヤの切実な忠告に、レナは片付けの手を止め、ゆっくりとカズヤの目を見つめた。その琥珀色の瞳には、一切の曇りも疑いも混じっていない。
「……襲われているわたしを、命懸けで助けてくれた方が、わたしを襲うんですか?」
真っ直ぐに射抜くような言葉に、カズヤは二の句が継げなくなった。彼女は、自分自身の目で見極めた「カズヤ」という人間の本質を、誰よりも信じているのだ。
「はぁ……。もう、好きにしてください……」
降参するようにカズヤが溜息をつくと、レナは満足げに「ふふっ」と微笑み、パジャマ代わりにするのであろう可愛らしいルームウェアを袋から取り出した。
カーテンの隙間から差し込む月光が、静まり返った特別室を青白く照らし始める。
こうして、奇妙で、けれどひどく甘やかな、二人きりの夜が幕を開けた。
琥珀の残り香
「はーい♪ それでは、お言葉に甘えて勝手にさせてもらいますね。片付けが終わりましたら、ちょっとお風呂に入ってきますね」
レナは鼻歌をまじえながら、手際よく荷物を整理していく。その軽やかな足取りが、カズヤの緊張をさらに煽った。
「……ど、どうぞ……」
「覗いちゃダメですよっ♪」
レナはバスルームの扉に手をかけ、いたずらっぽく片目を瞑ってみせた。その小悪魔的な微笑みに、カズヤは慌てて視線を泳がせる。
「……一人じゃまともに動けないし、そもそもそんな勇気はないから」
「そうですかぁ……。そう……ですよね……」
なぜだろうか。レナは一瞬だけ、本当に一瞬だけ、少しだけ残念そうに眉を下げた。しかし、すぐにまた柔らかな微笑みに戻ると、パタンと扉を閉めてバスルームへと消えていった。
静まり返った部屋に、微かにシャワーの水の音が響き始める。
カズヤはベッドの上で、逃げ場のない心臓の音を必死に宥めていた。しかし、数分も経たないうちに、部屋の空気が一変する。
バスルームの隙間から、ふんわりと、けれど抗いようのないほど甘い香りが漂ってきたのだ。
(……シャンプーか? いや、もっと花の蜜みたいな……)
レナが纏う、清潔感のある、それでいて少女の瑞々しさを感じさせる香りが、ゆっくりと、確実に特別室の隅々まで満たしていく。
ただの病室だった場所が、彼女の存在によって、急速に「彼女の色」に染まっていく。その香りを肺に吸い込むたび、カズヤは自分の平穏が音を立てて崩れていくのを感じていた。
狭い病室という密室で、扉を一枚隔てた向こう側に、自分を救い主だと信じて疑わない少女が身を清めている。
カズヤは熱くなった顔を隠すように枕に押し付け、今夜という長い夜が、一刻も早く、あるいは永遠に過ぎ去らないことを願わずにはいられなかった。




